「焦凍くんやっぱり早いね」

緑谷達と共に一次試験をクリアしたらしい沙耶が紙コップを片手に隣へ座った。支給されているコスチュームには土だか砂だかが至る所に着いている。沙耶自身は体育祭で個性が知れ渡っていたということもなさそうだったけれど、やはり雄英という事もあって狙われたのだろう。

「沙耶達もそんな遅くはねえだろ」

試験内容が発表されてから、彼女一人ではこの試験を通過することは難しいだろうとは思っていた。
手伝ってやりたい気持ちがなかったわけではないが、これはプロヒーローへの通過点ともいえる仮免取得試験。学校の授業とは訳が違う。そもそも、沙耶は俺の助けをアテにして雄英に来たわけではなく、一人のヒーローの卵としてここにいるのだ。
そうは言っても一次試験に合格した人が部屋に入ってくる度にそれが誰かを確認してしまうくらいには、沙耶の合否が気になってはいたのだが。

「あと二十人くらいの時だったかな、通過したの。緑谷くんとかお茶子のおかげだよ」

俺が助けなかったからその二人が助けた、というわけではないはずだ。これまで雄英に入ってから共に過ごした五ヶ月の間、状況を把握して動くことはできていたしその個性を用いて人と協力することは俺なんかよりもよっぽどうまくやっていた。だから今回も恐らくそうなのだろう。

「あ、もしかして一人で百人相手にしてた最初の通過の人って焦凍くんだった?」
「いや、俺じゃねえな」

俺がこの部屋に着いた時には既に五十人以上が寛いでいたし、雄英生以外の個性も実力の程もさっぱりわからない。試験官を驚かせたのが誰なのかは不明のまま。
「そっか。そんな凄いことできるの焦凍くんくらいだと思ったから」沙耶は当然のように笑って言ってみせるけれど、彼女の中で俺は随分と評価されているらしい事に衝撃を受けた。

「……俺が?」
「うん。……えっ、なんで?私なんか変なこと言っちゃった?」

数秒の間の後に笑顔を崩して慌てて俺の顔色を伺う沙耶が面白くて頬が緩んでしまう。
ほんの数ヶ月前まではただただ復讐のためにヒーローになる将来を見据えていた。母の力だけで父を超え、個性婚など不要だったのだと突きつけることこそが目標だった。それが今では緑谷のおかげで本来目指していたヒーロー像を取り戻し、俺と同じく俺の父に振り回された沙耶も今の俺を認めてくれている。それがどんなに心強いことか。何もかも知っているのに隣に居続けてくれていることが、どんなに有難いことか。

「沙耶の期待に応えねえとな」
「期待?」
「あ、救助演習なら一緒に動くか。状況によるけど」
「そうだね。皆と今の内に話しとかなきゃ」

間もなく休憩が終わり、次の試験が始まる。幸いにも一次と違って合格者数の制限はなく、より多くの人を迅速に救うことが目的ならば個性の相性を見てチームを作った方が効率的に動けるだろう──と理解はできるものの、そういう割り振りは能力的にも性格的にも俺がすべきではないともわかっていた。
きっと飯田か八百万がその辺りはうまくやるだろうと遠巻きに同じクラスのやりとりを見ていると士傑高校の生徒が爆豪と話しているのか耳に届く。何やら非礼を詫びているような内容だった。

「焦凍くんどうしたの?」
「ああ、いや……」

雄英とはいい関係を築きたいと言っているが、同じ士傑高校の生徒には俺をよく思っていない人もいた。全くもって身に覚えはないけれど知らぬ内に俺が何かをした可能性はゼロではない。幼馴染の沙耶に夏まで距離を取られていた時でさえ、俺は自分の行動に全くの非がないとは言い切れなかったからだ。

「おい、そこの坊主の奴」

だから、何かしたなら訳を聞こうと思った。俺が何か気に障ることをしたのであれば謝ろうと、誤解されているのならそれを解こうと。

「俺なんかしたか?」

夜嵐の後頭部を見上げた。俺より十数センチ高い同い年とは思えぬ身体付きのその男はゆっくりと振り向いてその目をこちらに向ける。雄英が好きだと言っていた少年のような瞳ではなく、出会い頭に沙耶を見て「雄英にも可愛い女子っているんすね!」と言っていた時──何故かはわからないがその発言には非常に嫌な気持ちにさせられた──のような温かな瞳でもなかった。

「……申し訳ないっすけど、エンデヴァーの息子さん」

その冷たい瞳の持つ感情の意味は誰よりもよく知っている。半年前までに鏡を見る度に見てきたそれと瓜二つ。俺は長年こんな目をしていたのだと突きつけられているかのようだ。

「俺はあんたらが嫌いだ」
「……」
「あの、私達……何かしましたか?」

隣にいた沙耶もこんな強い感情を向けられる覚えはないらしい。俺はまだしも、人当たりのいい沙耶が嫌われるなんて何かの間違いではないのか。

「ああ、いや、アンタの事じゃないんだ」

夜嵐が沙耶を見て何度か瞬きをする。「あんたらってのはエンデヴァーとその息子さんのことで」ちらりと俺に視線をやる時は再び憎悪の念が込められていて、俺は相当こいつの怒りを買うようなことをしたのだとその瞬間は納得をしていた。

「あの時よりいくらか雰囲気変わったみたいっすけど、あんたの目はエンデヴァーと同じっす」

この一言を聞くまでは。それまでは俺に何か非があったのかもしれないと思っていた。試験会場で話すわけでもなくただすれ違っただけだったけれど、推薦入試の時にでも何かしたかもと。
しかし、そんな考えは一瞬で消え去った。よりにもよって何故今、ここで父親の名前が出てくるのか。もう乗り越えたと思っていた過去が再び背後まで迫りくる感覚。ああはなるまいと幼心に決意していた人間と同じと評されることへの嫌悪感。沸々と苛立ちが湧き上がってきているのに、夜嵐は士傑の生徒に呼ばれてその場から去っていったせいで何を言うこともできなかった。

「何か……変な感じだったね、大丈夫?」
「……ああ」

沙耶から気遣いの言葉をかけられるものの、夜嵐の言葉が消えて無くなるわけではない。『あんたの目はエンデヴァーと同じっす』どれだけ否定したところで俺にはあいつと同じ血が流れていて、他人から見れば似ている所はあるのだろうが流石にそんな単純な話ではないはずだ。

「あの人が言ってること、どういう意味かはわからないけど……私は同じじゃないって思うよ」
「……」

ぽつりと呟いた沙耶に目を向けると、またも彼女は慌てて言葉を付け加えた。

「って、エンデヴァーさんとそんな関わりない私に言われても説得力はないんだけど……」
「いや、沙耶がそう言うなら……そうなんだろうな」

ここにいる誰よりも沙耶は長い間俺の近くにいてくれた。そうなったのは親同士の約束のせいというのが申し訳なさを生んではいるけれど、理由はどうあれ俺のことを一番見てくれていたのは、姉や兄を除けば間違いなく沙耶でしかなくて。その彼女が否定してくれるのなら、エンデヴァーの息子ではなく俺という個人を認めてくれているのなら素直にそれを受け入れることができる。
ほんの少し前まで心の中を占めていた怒りや苛立たしさは沙耶の一言で霧散してしまった。それ自体はとても良いことなのだが、こんなに自分の感情の起伏は激しかっただろうかと疑問が湧く。ただでさえ父親が絡んでいる時は切り替える事が難しいのに、やけに今日は簡単で。

「そうだヤオモモ達に──」

結局、試験前にチーム分けをすることはできなかった。士傑高校とあれこれ話していたせいで休憩は十分しかないということを失念していたからだ。
ジリリリと鳴り響く防災ベルに『敵による大規模破壊が発生!』緊迫感のあるアナウンスが入る。そして次の瞬間には部屋の壁であったはずの四隅が展開を始めた。

「やるしかねえな」
「うん、訓練はたくさんやったもんね」

沙耶が胸の前で拳を握り締め、緊張の色を浮かべながらも笑顔を作っている。食事をしている時の満足気な笑顔でもなく、友人とソファーで楽しげに話している時のような自然な笑顔でもなかったけれど、この不器用な笑顔もまた、感情表現の豊かな沙耶らしい表情だ。
それを見た瞬間、花屋の店員に伝えた事がふと頭を過った。
誕生日プレゼントを調達するために寄った花屋の店員は至極親切で、俺が渡そうとしているのだという花束の参考画像を見て『ネットのをそのままあげるよりオリジナルで考えてあげた方がいいと思いますよ』とアドバイスをしてくれたのだ。

『オリジナル……』
『お店を見てみてその人に合いそうなお花を選んでもらってもいいですし、どんな人か話してもらえれば私から幾つか候補出すこともできますよ』

花屋には当然ながら何十何百もの花が置いてある。流石にこの限られた外出時間でそう詳しくない俺が選ぶよりはプロの力を借りるべきだろうと判断し、沙耶の特徴を伝えることにした。

『今週が誕生日で』
『なるほど、秋生まれなんですね』
『あとは……背はあんま高くなくて、食べることが好きで』
『んー、そうですかあ……何か他に特徴はありますか?好きな色とか、どういう性格とか』
『……性格……』

沙耶の性格を一言で表現するなら優しい、というものになるのだろうか。あれだけ散々迷惑をかけられても、まだ俺が近くにいることを許してくれる。それを勘案すれば優しいというのは決して間違っていない表現なのだが、何かが足りない気がした。

『……表情が、すぐ変わる』

美味しい物を食べている時は幸せそうな顔をするし、緑谷と爆豪の言い合いに挟まれている時は仲裁するべきか関わらざるべきか困ったような表情になり、芦戸や麗日と話していると楽しそうに笑っている。誰しもが感情と表情は繋がっているけれど、沙耶のそれは人よりも深く、短く繋がっているのではと思うほどだ。それくらい彼女の感情は表情を見ればすぐにわかる。
ただ、一度だけわからない時があった。二人で線香花火をしたあの夜。『……終わっちゃった……ね』残念そうに呟いた沙耶の表情は言葉通りのものではなかった。あれがどんな名前の感情から来たものなのか、俺にはわからなかった。

『じゃあこちらなんてどうでしょう?ダリアと言って夏から秋にかけてのお花で、咲き方が豊富なので人間でいうところの表情が変わるのを楽しめて──』

沙耶に合っていると思った。この半年で見てきた彼女にはぴったりだと。そして今──仮免試験の二次試験が始まるこの瞬間もやはりあの花は沙耶によく合うと再認識した。

「……焦凍くん、頑張ろうね!」
「ああ、お互いな」

願わくばお互い試験を突破して、穏やかな沙耶の表情を見れることを願って第二の試験会場へと足を踏み出した。




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