教員の寮が使えなくなり、その後復旧してから数日後。改めて話がしたいという南ひなたから、彼女の辞書に登録してある謝罪にまつわる全ての単語を聞き終え図書室を出た。
彼女は大変に明るく、元気があり、可愛らしいことこの上ないのだがいかんせん気遣いがやや空回る傾向にある。特に片想いの相手であるイレイザーヘッドが絡むとその確度は非常に高く、今回の一件も彼のことを気遣ってした行為が回り回って寮の一部の部屋が使えなくなったという。ヒーロー科の誰かさんと似ているなと考えたところで、先日寮の共用スペースで過ごした時間を思い出してしまい慌てて頭を二、三回振った。

「ナーツー」

職員室に戻るとプレゼントマイクに手招きされた。まるで私を待ち構えていたようなタイミングの良さにほんの少し不安が胸を過ぎる。

「お前さ、今日空いてる?」
「今日ですか?まあ、はい」
「じゃあ飲み行こうぜ。外出許可は取っとくからよ」
「えっ外に行くんですか?」

今の雄英は夏休みに敵から襲撃されたこともあり教員も含めて全員が敷地内に建設した寮に住むことが義務付けられている。外出できないわけでもないけれど、それには確固たる理由と時間や場所によってはプロヒーローを伴わなければならないほどだ。教師兼プロヒーローであるプレゼントマイクと一緒なら問題ないとはいえ、わざわざ敷地を出なくとも教員寮で話せば済むことではないのか。

「たまには気分転換も必要だろ?遠足の打ち合わせもだけどそろそろ来年度からの話もしなきゃだからよ」

なるほど──と思いつつもどこか引っ掛かりを感じた。しかしあまり深く考えるのは得策ではない。半年前の歓迎会でだって私はイレイザーヘッド相手に墓穴を掘ったのだから。余計なことは考えずに聞かれたことに答え、出された話題にそのまま言葉を返せばいい。余計なことは考えるべきではない。

「ヒーロー科は基本的にプロヒーローが担任になるから……ナツは今んとこ普通科な。普通科の面接も来てくれって言われてるけど二月から予定空けれるか?」
「卒論の面接さえ重ならなければ大丈夫です」
「じゃあ年内に面接の質問作って俺に提出。オーケー?」
「わかりました」

居酒屋の個室に一杯目が届き、グラスの中身を半分も飲んでいない内に来年度の確認事項は終わってしまった。プレゼントマイクもまだ飲み終えていないのに二杯目を頼むらしくベルを鳴らしている。

「ナツも頼んどくか?」
「いえ……」

飲み終えないまま次の酒を頼む時は頼んだ酒が不味かったということがほとんどだけれども、店員に「同じのもう一杯」と頼んでいることからその可能性は消えた。

「個室つっても店員来ると話し辛えかなと思ってさ」
「……はい」
「まー、何つーか……ナツには言ってなかったんだけどな、寮は侵入者対策で監視カメラが付いてんだわ」

ほんの少し前までグラスを持っていた手を膝の上で握りしめた。冷たいはずなのにどくりと動き続ける血液のお陰か指先が熱い。何とも話しにくそうに切り出すプレゼントマイクに申し訳なさを感じつつも、それを上回る程の恥ずかしさが身体を駆け巡っていた。『寮には監視カメラがある』そんなこと考えなくともわかることなのに、私はあんな場所で深夜、生徒と二人きりになっていたのだから。

「言っとくけど別に全部録画してるわけじゃねえぞ?プライバシーがどうとか言われてるしよお……ただ、先週撮れたのがコレだ」

プレゼントマイクが差し出したのは自身のスマートフォン。その画面に映っているものが何かなど、見なくとも答えられる。何しろあの夜のことは忘れたくても忘れられないのだから。通形が私に何かを言おうとして表情が強張っていたことも、私が言わせなかったせいで切なげに揺らいだ瞳も、あの時の出来事は一秒残らず覚えている。

「お前ならこれ以上言わなくても分かるよな」
「……はい。ごめんなさい」
「余計な仕事増やすんじゃねぇよ?最近はただでさえ色々あんだから」

もし私に穴を掘る個性でもあったのなら今すぐこの場に掘って埋まってしまいたかった。
正式な教員ではないにしても教員としての扱いをされている中、消灯時間を過ぎても男子生徒と堂々と共用スペースに居座り、二人きりの時間を過ごした。これが同性の生徒なら良いのかと問われれば勿論そうではないのだが。どちらにせよ、あの日、あの瞬間の私には教員としての意識がまるで足りていなかった。
教師になるのが夢だとラジオに投稿し、誰よりも親身になってくれた人に私はこんな指摘をさせている。それが何よりも恥ずかしく、改めて自分の不甲斐なさを痛感した。

「……で、こっからがわざわざ雄英の外に出てきた本題になる」
「……はい」

お咎めなしで済むわけがない。私はルールを破った。消灯時間を過ぎたら部屋の外に出ないという明確に決められているルールも、教師と生徒は恋愛関係を持つべからずという暗黙の了解さえも。来年受け持つクラスについての話があったから内定取り消しということはないのかもしれないが、それでも最悪を想定して震えそうになる唇をギュッと噛み締めた。

「通形のどこがいいんだ?」
「え?いや、え、どこがっていうか……先生何言ってるんですか?!」
「何言っちゃってんのはどっちだ!?通形のこと好きなんだろ」

無造作に長髪をまとめているプレゼントマイクのお団子が少しばかり揺れた。眼鏡越しに見える双眸はレンズを隔ててもわかるほどに子供のような輝きを持っている。

「通形三年だろ?十八だから……お前とは四歳?五歳差?まあセーフだな。去年から仲良かったもんなあ」
「いや、あの……別にそういうのじゃ……」
「いやいや、流石にここまできてそれはなくねえか?」

「動画もっかい見るか?」とスマートフォンを差し出したプレゼントマイクから目を逸らしてグラスに口をつけた。
責められるのだと思っていた。立場を考えろとか、叱責されるものだとばかり。それなのに目の前にいる私の指導教員は女子高生がファミレスで異性の話題になった時のようなテンションであれこれと話し続けている。叱られたいわけではないけれど、私の取った行動も抱いている感情も批判されて然るべきものなのに。

「だってそういうのダメって言ったのマイク先生じゃないですか」
「ダメなんて言ってねぇだろ。人の話聞いてた?」
「聞いてましたけど……私は教師っていう立場だし、通形くんも色々あって不安定だからきっと恋愛だって勘違いしてるだけでしょうし──」
「それはナツ先生の意見だろ?アオハルサマー的にはどうなのよ」

トン、とプレゼントマイクがグラスを机に置いてからは個室に静寂が生まれた。
教師としては許されざる行為である事は間違いない。プライバシーやハラスメントが声高に叫ばれている時代でなくとも教師が生徒に恋愛感情を抱いて深夜に二人きりになるなんて。しかし私の指導教員は、それはそれとして個人としての私の気持ちを聞こうとしてくれている。気持ちを尊重してくれている。きっと監視カメラの映像で迷惑がかかっているだろうに。

「……私は」
「おー」
「通形くんのことが好きです。生徒とかじゃなくて、男の人として」

ああ、ついに言葉にしてしまった。本人を目の前にしているわけでもないのに、むしろ本人以外に言ったからなのかまともに前も見れない。机についてしまったグラスの底型の水滴を手元のお絞りで拭き続けた。

「おーおーいいねえ青春っぽくて!アオハルサマー!」
「前から思ってましたけどその何とかサマーってやめませんか?」
「なんでだよ?いい思い出だろ?ワーストサマーエバーチャン」
「それはまあ、そうですけど……来年持つ生徒の前ではやめてください」
「じゃ、あと半年はあるな」

あの時は元彼である秋彦に捨てられ、教員になる夢も諦めかけていた。未来に希望なんてないと膝を抱える毎日だった。それがあの日、あのラジオに投稿してから私の世界は一変し、雄英で教員となる道を与えられた上に新しい恋までするようになろうとは。
それもこれも全てプレゼントマイクのお陰ではあると頭では理解しているのに、彼は私にしてくれたたくさんの事を何でもないかのように言ってのけるからついこんな軽口を叩いてしまう。

「なんだかんだ言ってお前はまだ教師じゃねぇしな。好きなもんは好き。それは仕方ねえ。上手くやれよ」
「……ありがとうございます」

これ以上はもうプレゼントマイクに迷惑をかける事はできない。私個人の気持ちは大事にしつつ、立場を自覚し分別を持って行動しよう。
半年後には私も正式に教員となるのだが、同じように通形も──個性消失の件が春までに解決していたらという前提条件ではあるけれど──雄英高校を卒業する。少なくとも教師と生徒という関係ではなくなるのだ。半年後、立場も関係なく一人の人間として向き合えるようになった時に胸を張って想いを告げられるように。

「次は庇ってやんねぇぞ」
「はい……もうこの事でご迷惑お掛けしません!」
「……言うじゃねえか。よしもっと飲もうぜ!せっかくの外出だしもう一軒くらい行くか!」




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