「ねえ見た?めっちゃ意外じゃない?」
「私のとこも回ってきた!これでしょ?」

休日の寮はいつもと違う賑やかさが生まれていた。皆スマートフォンを片手に映像か写真かを見せ合いながらあれこれと話している。何の話だろうかと気にはなるものの、女子の話を盗み聞きしていると大っぴらに言うのは気が引けてしまい目の前に座る環に「何のこと?」と聞いてみたが首を傾げられてしまった。

「普段あんな感じなんだね、夏海先生って」

とある女子が発したその一言に思わず反応してしまう。聞き間違いでなければ夏海先生というのは俺が想いを寄せているその人であり、その先生に関する何かでクラスメイトは盛り上がっているのだ。

「……」

教師である彼女に片想いしていることは環にしか話しておらず、その時にもらった『彼女に迷惑がかからないように他言はしない』という環からの助言通りにするには無闇矢鱈と彼女の話題に首を突っ込んだりして周りから疑われるのは避けたい。しかし、気になるのは事実で。

「今なら聞いても不自然じゃないと思う」
「!……よしっ」

どうしたものかと悩んでいたら環からのゴーサインが出た。第三者が許可を出してくれたならきっと大丈夫だ。俺の知らない夏海先生の話を聞けるかもしれないと高揚感を胸に女子の席へ向かった。

「何の話?」
「通形見てないの?」

ほらこれ、という一言共に差し出されたのは女子のスマートフォン。そしてそこに映っていたのは間違いなく夏海先生本人だった。

「……」
「この前買い出し行った子が見たんだって、夏海先生が居酒屋でデートしてるの。彼氏さんの方は顔見えないけど……」

夏海先生はいつも雄英では落ち着いた服装で、個性の激しい雄英教師の中では逆に見つけやすくもあった。だというのに、写真の彼女はカレッジロゴの入った淡い色のトレーナーに肩下までの髪をざっくりと後頭部に丸くまとめている。
これが本来の彼女ということなのだろうか。俺はこんな姿、見たこともない。何を着ていようがどんな髪型をしていようがどうということはないのだが、彼女のまた違う一面を見れたことは嬉しくもあるのだが、今まで生徒の中では彼女と距離が近いと思っていた分、あくまでも俺は生徒でしかなく彼女のプライベートを知る存在ではないのだという現実が胸に突き刺ささる。

「あっねえ待って!」
「?」
「見てこれ、ここ!」

ビールジョッキを片手に楽しそうに笑う夏海先生を見ていたら急に画面が拡大され、スマートフォンの主である女子の指がある一点を指し示した。

「……えっ」
「夏海先生の彼氏さん薬指に指輪してるー!」

心臓が止まったかと思った。呼吸の仕方を忘れてしまったのかと錯覚した。普段、どうやって瞬きをしていたのだっけ。

「夏海先生の指は見えないけど……でもそういうことだよね?来年結婚とかするのかな?私達卒業しちゃうからお祝いするなら今年の内だよね」

他にも何か言っていた気もするが、全く頭に入ってこなかった。恋愛に疎い俺でも薬指に指輪の意味は流石にわかる。右手であろうが左手であろうが、将来を約束した相手がいるということは間違いない。
今まで夏海先生の薬指に指輪があったことはないけれど、あそこまで公私の服装を分ける人なら指輪も同じように外しているだけかもしれない。それなのに俺は彼女に恋をして、俺が彼女を笑顔にするのだと息巻いて、ビールを飲んで楽しむような大人とホットミルクを飲んだくらいで舞い上がって。空回りもいいところだ。

「……ミリオ」
「うん」
「そんなに気になるならちゃんと確認した方がいい……と思う」

あまりにわかりやすく落ち込んでいたのだろう。消灯時間だからと部屋の前で別れる直前、環は小さな声で呟いた。「……うん」それに合わせるかのように俺の声も小さくなる。
環の言っていることは正論だ。しかし聞いてしまったら、将来を約束している人がいると返されたら、俺のこの気持ちは一体どうすればいいのだろう。壊理を始めとした、誰かを守るのだという強い気持ちとはまた違う感情はどこに向ければいいのだろうか。

「通形くんどうしたの」

数日悩んだ後、意を決した俺は職員室の扉を叩いていた。よくよく考えれば他の教師がいたらこんなこととてもじゃないが聞けないのだが扉の中は謀ったかのように彼女しかいなくて、本当に確認するのか迷っていた俺の退路が消え去ってしまう。
本人から直接聞いてしまったらもう後戻りはできない。好きでいることくらいは許されるかもしれないけれど、その想いが成就する可能性は未来永劫消え去るわけだ。

「ワ、ワークについて確認したくて!」

情けないと言われればそれまでだが、顔を見て早々に婚約者がいるかなどと確認する気にはなれなかった。
無理矢理話題に出した宿題の説明をしてくれる夏海先生の右手にも、無論左手にも、光り輝くものは存在しない。どちらなのだろう、婚約者なり配偶者なりがいるのか、いないのか。昔付き合っていたという人の話はつい最近聞いたばかりとはいえそれが何年前だったのかまでは聞いていない。新しく付き合った誰かと将来の約束をしていてもおかしくないのだ。夏海先生は俺と違って大人だから。

「そうそう、最近B組……っていうか三年生少し変じゃない?」
「え?変って?」
「なんかこそこそ話すようになったっていうか……私とスマホ見比べて『ほら!』とか言うから気になっちゃって」

休学していた俺には校舎での出来事など知る由もなかった。あの女子から写真が広まっているとは。写真の夏海先生は撮られていることに全く気づいていない様子だったし、今の雄英は買い出しか正当な理由と手続きを経ないと外に出れない状況だ、まさか居酒屋にいるところを見られているとは思うまい。

「……」
「通形くん何か知らない?」
「何かっていうか……多分写真なんですよね、夏海先生の」
「写真?私の?」

不思議そうに首を傾げる彼女を見て段々と自分の行為を恥じる気持ちが生まれ始めた。
俺はあの写真を見て教師である時とそうでない時の差にショックを受けていたけれど、紛れもない盗撮だったのだからあの場でクラスメイトを嗜めるべきではなかったか。こんなに多くの人に広まって、彼女が嫌な思いをする前に。

「夏海先生が居酒屋でデートしてるって写真と噂が三年の間で回ってて」
「居酒屋って……見せてもらえる?」
「俺はちらっと見ただけだから送ってもらいますね」

同級生にメッセージを送ると三分と経たずに送られてきた写真は数日前に見たものと寸分の狂いもなかった。今着ているような触り心地の良さそうな肌にぴたりと沿っているニットではなく、ぶかぶかのトレーナーから申し訳程度に出ている細い指がビールジョッキを支えている。

「……なにこれ。雄英の子が盗撮したってこと?ヒーロー科が?」
「撮ったのが誰かは俺も……」
「こういうの本当ダメだよ。盗撮は犯罪なんだから」

眉を顰める夏海先生の言葉は俺に向けられた物ではないかもしれない。実際、撮ったのは俺ではないから。しかし俺がこの写真の出回りを止めようともしなかったのは否定しようのない事実で、ヒーロー志望だというくせに俺は自分の気持ちの整理を優先してしまった。ヒーローになる夢を応援してくれた人を守るどころか、これでは──。夏海先生の目を見ることもできず、膝の上で握りしめた拳を見つめた。

「って、通形くんが撮ったわけじゃないのはわかってるけど。教えてくれてありがとね」
「俺も……本当はこんなのよくないって皆に言うべきだったのに。他のことが気になっちゃって。すみませんでした」
「他のことって?まだ……何かあるの?」

失言だ。気づいた時にはもう言葉にしていて、それを彼女が聞き逃すわけもなかった。

「あっその、えーっと……」
「怒らないから。言ってみて?」
「……この人先生の彼氏?」

聞くか、聞くまいか。俺の脳内で繰り広げられた長時間の会議は現実世界ではたったの数秒に過ぎなかったのに、夏海先生からの返事を聞くまでは無限に続く時間のように思える。カチ、カチとアナログ時計の秒針が動く音に耳を澄ませた。

「え……もしかしてこれ?写真の?これ、マイク先生だよ?」

時計の音に集中していた俺の聞き間違いだろうか。写真に映る男性の手と目の前にいる彼女とを見比べて「マイク先生……えっ?!」職員室に響き渡る声を上げてしまったけれど、それが彼女には面白かったようで先程までの険しい表情から一転して破顔していた。

「あのね、マイク先生と私が付き合ってるわけでもないから」
「じゃあこれ居酒屋デートじゃ──」
「ないない。見えなかったみたいだけど、この奥にマイク先生の婚約者さんいらしたからね」

ああ、だからプレゼントマイクの薬指には指輪があるのか。彼に婚約者がいるという事実も平常時ならば衝撃的なニュースだったのだろうが、今はただ片想いの相手に彼氏がいただとか婚約しているだとかという噂が明確に否定された事への喜びの方が大きかった。

「夏海先生婚約してたわけじゃなかったんですね……」

胸の奥に溜まっていた澱んだ気持ちを一気に吐き出した後に吸った空気はやけに美味しく感じられた。

「尾鰭もしっかりしてるなあ……高校生は想像力豊かなんだから」
「じゃあ付き合ってる人は?」
「いません。これはデート写真じゃなくてマイク先生と仕事の話をしてただけだし、婚約してるのはマイク先生と別の人、今私に彼氏はいません。これで噂は全部説明できそう?」

間髪入れずに返ってきた言葉に口元が緩みそうになった。しかしここで笑顔を見せては不審がられてしまうだろう。せっかく夏海先生に婚約者も彼氏もいないと分かったのだから余計なことをして心証を悪くするのは避けたいところだ。
もう大丈夫だと頷いてみせようとしたその時、噂とは関係なくもう一つだけ聞いておきたい事があった。

「……好きな人は?」
「まさかそんなことまで噂になってるの?」
「……」

頷けば良かった。噂という建前が存在している今ならば何を聞いても怪しまれないとわかっていた。噂を消すには事実が必要不可欠で、そのために聞いているのだと正当化してしまえば。
だけどそれだけはできなかった。彼女に嘘をつくことだけは。

「……通形くんはいるの?」
「うん。いるよ」

夏海先生の目を見据えた。
俺の一方通行な気持ちであっても教師である以上、俺が彼女に恋心を抱いていると迷惑がかかる事はあの夜に告白を遮られた時点で理解している。俺が生徒で彼女が教師である間はもう言葉にしてはいけないのだと。口で伝えられない分、想いが届けばいいなと願いながら瞬きもせず見ていたけれど、彼女の返答は「そうなんだ、うまくいくといいね」ひどくあっさりとしていた。

「……夏海先生は──」
「噂は噂だって、皆にちゃんと言っておいて」

もうこれ以上話すことはないとばかりに言い切られてまで食い下がれはしなかった。聞きたい、知りたい、教えて欲しい。その気持ちは残っているけれど「任せられました!」胸を張って見せれば彼女は笑顔を見せてくれたから。今はそれで我慢するしかないのだ。教師と生徒である以上は。




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