WWill you wait for me when I graduate?W

眼前の英文に息を呑んだ。未来進行形の英文法ができていないから、なんてそんな理由ではない。『俺が卒業するまで待っていてくれますか?』一介の生徒でしかない、そうではなくてはならないはずの通形ミリオが私の課した英文ワークの自由記述欄にそう書いて提出してきたからだ。

「そんなの……」

答えは一つしかない。YesでもSureでもとにかく肯定を意味する単語であれば何でもいい。たとえ次の春までに個性が戻らず、一年かかろうがそれ以上の月日が必要になろうが、私の心は決まっているのだから。
指導教員であるプレゼントマイクにも言った通り、私は通形のことが好きだ。生徒としてではなく異性として彼に恋をしている。この気持ちが成就したらいいと思うし、彼も同じ気持ちを私に抱いているのだと先日の寮や職員室での出来事でほぼ確信に近いものを得た。けれども、だからと言って今の教師と生徒という立場で卒業したら付き合おうなどと約束をするわけにはいかない。その行為は今彼からの告白を受け入れているのとなんら変わりはないのだから。

「……」

どうするのか決められずにワークブックを自室にまで持ってきてしまった。ベッドに寝転びながらぼんやりと壁を見つめ、三年B組の寮で過ごした二日間はずっと緊張してしまって寝れなかったことを思い出す。

「同級生だったらよかったのにな……」

時たま見かけるクラスメイトである女子と話す通形は私と話す時と大して変わりはないのだが、それでも特に用事がなくとも話すことができて、距離が近かろうとも何ら疑念を抱かれない同級生が羨ましくて仕方なかった。どうあがいても埋められない歳の差。時折昔に戻りたいと思うことはあれど、今までこんな理由で願ったことはなかった。

「……はあ」

同級生だったら、好きだと気づいた時点で告白する事もできた。学内行事を一緒に楽しんだり、くだらない会話で休み時間を潰したりもできたはず。そんな夢を見たところで私が彼より歳上で教師であるという現実は変わらない。
──そう、私は教師なのだ。どれだけ彼に想いを寄せていても、彼から告白紛いの英文を受け取ろうとも揺らいではいけない。指導教員の言った『うまくやれよ』というアドバイスは、ルールを破っていいという類のものではなかったのだから。

「……未来進行形の復習しといてね」

文法ミスを赤字で訂正してコメントを付け加えた。他の生徒と同じように。そしてワークブックを鞄にしまった。

「クリスマスパーティ……ですか?」
「ああ。この後……まあ寮内でのちょっとしたもんだがな。エリちゃんも参加することになってる。渡瀬はエリちゃんと仲良かっただろ」

十二月も間もなく終わろうかという時期の職員室でイレイザーヘッドから掛けられた誘いは、昨今の不安定な情勢にはそぐわぬ何とも平凡で心温まりそうなイベントだった。

「まあ、はい」

エリと仲が良いかと問われれば、相対的にも絶対的にも自信を持って頷くことができる。元彼のカウンセラーには会わないよう時間調整をしてもらいながら空き時間には「ルミリオンが」「デクが」と楽しそうに話すエリと共に過ごしたのも一度や二度ではない。

「……」

それでもすぐにイベントへの参加を表明できなかったのは通形がいる可能性を消しきれなかったからだ。もっと正確に述べるならば、通形がいた時にどんな顔をして向き合えばいいのかがわからなかったからだ。
一年A組ならば緑谷がいるし、そもそもイレイザーヘッドもいるわけで、エリと生徒たちだけでうまくやれるだろう。無理に私が行く必要はない。

「今のところはうちのクラスとエリちゃんだけだ。来たくなったら来い」
「あっはい、ありがとうございます」

返事の決まらない私に業を煮やしたのか、あるいは私の想いに勘づいていることからの気遣いか。どちらにしてもイレイザーヘッドはいつものように気怠げな足取りで職員室から出て行った。

「クリスマスか……」

忘れていたわけではない。仮にも英語教育に携わるものとして海外のイベント事は頭に入っているし、卓上カレンダーにもクリスマスツリーやブッシュドノエルのイラストが散りばめられている。指導教員であるプレゼントマイクには婚約者とのクリスマスを楽しむのだと散々自慢されたし、イレイザーヘッドに片想い中のひなたからはプレゼントのアドバイスを求められもした。
ただ、去年のクリスマスを思い出してしまうから意識しないよう努めていたのだ。

『夏海先生だけなんだ』
『何が?』
『授業以外でヒーローになるための勉強を手伝ってくれた先生』

そのお礼とクリスマスを兼ねたプレゼントだと言ってマカロンをもらってからちょうど一年。真っ直ぐで、頑張り屋で、でもどこか抜けている彼に恋をしてからもう一年が経つのか。
あの時も英作文の添削で心を動かされたなとふと思い出す。そしてそれに対してはぐらかすようなコメントを付けたのも同じ。

『それはナツ先生の意見だろ?アオハルサマー的にはどうなのよ』

プレゼントマイクの言葉が繰り返し頭の中で流れている。教師としてならば私のこの行動は間違ってはいないと思う。生徒に恋をした場合の接し方なんて大学では習っていないけど、多分これでいいはずだ。

「……仕事しよ」

幸か不幸か、教員の仕事は終わることなどない。クリスマスだろうと正月だろうと次の授業がやってくる日は決まっているし、推薦や一般入試の担当を受け持つなら尚のことだ。いくら私がまだ正式な教員ではないとはいえ、雄英ほどのマンモス高校で働く以上、恐らく大抵のバイトよりはやる事が多い。
山積みにしてあるワークブックを見てため息を吐く。その量の多さにも、仕事に逃げている自分の情けなさにも、教師としての自分の行動に自信が持てない自分にも。

「夏海先生まだ残ってるんですか?」

ひなたの明るい声で集中力がプツリと途切れた。久しぶりに目の前の英文以外を見ようとしたせいか反射的に数回瞬きすると「お疲れ様です、大変ですね」ひなたがすぐに目薬を差し出してくれた。女子力云々ではなく、ただ一人のために常備しているのであろうことは聞かなくてもわかったが、敢えて言うのも野暮かと思って一言お礼を伝えて目薬をさした。

「もう帰るところで。ひなた先生は?」
「私はちょっと忘れ物を……」

そう言って自身の引き出しから紙袋を取り出していた。明らかにクリスマスプレゼントだとわかるそれをあのイレイザーヘッドがどのような顔で受け取るのかという興味を持ちつつも、彼女らの関係性を羨み妬んでしまいそうになる自分の心の狭さに嫌気がさす。
私が今高校生だったら。彼が生徒でなかったら。そうであったらそもそも出会いもしていないだろうという現実的な指摘には耳を塞いだ。

「ミッドナイトさんがケーキ買ってきてくれたそうなんですよ、夏海先生もそろそろ寮行きませんか?」
「ケーキなら戻らなきゃですね、リカバリーガールに全部食べられちゃう前に」

一年A組でクリスマスパーティをするからとイレイザーヘッドから誘われたけれど、どうやらパーティをしているのはそのクラスだけではなかったようだ。教員寮に戻るまでに通り過ぎた各寮からは楽しそうな声や音が漏れ出ており、カーテン越しにツリーやサンタ帽の人影も見えていたから。

「わー、すごい賑やか……」
「図書委員に普通科の子もいるんですけど、そのクラスもパーティしてるんだそうですよ」
「へえ……いきなりの共同生活でどうかと思いましたけど、子供たち楽しんでるみたいで良かったです」
「でも大変みたいですよ?秋から洗濯とか料理の本が人気になっちゃって」
「あはは、まあいい経験──」

ひなたと話しながら辿り着いた教員寮のドアに手を伸ばしたその時、中からドアの開く音がして一歩後ろに下がる。こんな時間に外出だろうか。
「気をつけなさいよー」ミッドナイトの声と共に現れたのは私服姿の通形だった。

「あれ?三年生の通形くん……だよね、どうしたの?」
「エリちゃんにクリスマスプレゼント渡しに来たんですよね!」
「あーそっか、エリちゃんとよく遊んでくれてるもんね」

ひなたが先に声をかけてくれてよかった。通形の気持ちは教師として受け取るわけにはいかないと拒絶しておきながら、私は通形に教師として接することができていない。あの英作文の添削をしてから顔を合わせないようにしていたくらいだ。

「じゃあ通形くん、メリークリスマス」
「はい!南先生も!」

ドアを支える通形にひなたは軽く手を振って中へ入っていく。そう、それが自然な行動だ。私もたった一言メリークリスマスと告げて、ドアを開けてくれていることへのお礼を言って、そして閉めさえすればこのうるさい動悸も止まってくれるはずだ。

「……夏海先生」

ひなたに掛けていた声からワントーン下がったそれは間違いなく私に向けられていた。それでも通形を見ることができない卑怯な私はもういっそ無言のまま入ってしまおうかと思ったけれど、ゆっくりと扉は閉まり、中から漏れていた光が完全に消えた。通形がドアから手を離し、私の前まで来たからだ。

「俺が書いたこと、迷惑だったんなら謝ります。すみませんでした」
「……迷惑なんかじゃないよ」

答えるべきではなかった。あの一文がどんなに私を嬉しくさせてくれたか、好きな人から好かれているのだという事実がどんなに私を元気付けてくれたか。それを思えば当人を目の前にして嘘をつけるわけもなかった。

「……先生が俺のこと生徒としか思ってないなら、生徒として見て欲しいんだよね」
「うん、ごめんね」

一瞬視線を上げると通形の切なげな目が目に入って胸の奥が鷲掴みにでもされたかのような痛みが走った。
教師だからと拒絶しておきながら教師として向き合うこともできない私の弱さが、彼を傷つけた。中途半端に彼に近づいた私のせい。彼のことが好きだから離れ難くて早めに距離を置くことができなかった私が、今、通形にこんな顔をさせている。

「でももし……もし、そうじゃないなら、俺から逃げないで」
「……うん」

通形は真っ直ぐに私と向き合っている。彼は私がどう思っているかなんてろくにわかりもしていないのに。勇気を振り絞って私とわかり合おうとしてくれている。
やっぱり通形の顔を直視することができなくて自分のスカートに目を向けた。教職用にと買った無難な色のよくあるスカート。私はこれを盾にしていた。教員だから仕方ない、通形の気持ちを受け取るわけにはいかないと。『うまくやれよ』プレゼントマイクのあの言葉とは真逆の行動をしていたのだと痛感する。

「私は、教師だから」
「……うん」

『うまく』やるんだ。私個人の気持ちも通形の気持ちも踏まえた上で、教師という立場を壊さないように。

「通形くんが生徒でいる間はこれ以上何も言えない。だから……卒業したら話そう?それでもいい?」
「うん!わかった!楽しみに──」
「通形くん」

通形の言葉を遮った。生徒と付き合うなど言語道断な行為だが、付き合ってはいなくともそれを前提とした約束もまた、教師としての規律を大いに乱していることに変わりはない。不思議そうな表情の通形にそこまで説明するわけにもいかず、教員寮から漏れ出る楽しそうな声を聞きながら言葉を探した。

「ただ卒業後に二人で話をしよう、ってだけで……つまり、これは約束じゃないよ」
「?」
「雄英の生徒じゃなくなってもまだ私に話があるなら、その時は会いに来て」

私の言った意味は通じただろうか。生徒の間はできない話を、生徒でなくなった時にしたいと思ってくれたなら、その時は。私は真正面からあなたの気持ちを聞いて、それに応える準備ができているのだと。

「……うん。じゃあ俺、クラスのパーティ戻らなくちゃなんですよね。先生メリークリスマス!」
「メリークリスマス、通形くん」

今度は通形の顔をきちんと見れた。先程までとは打って変わって明るく晴れやかで、私が好きになった通形ミリオの顔を。




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