去年のクリスマスは多分、まだ恋愛感情なんてなかった。小学校でも中学校でもいたようなよく目をかけてくれる先生と同じ枠。生徒から好かれがちな先生で、俺は先生を教師として慕う生徒の内の一人だった。

『そうクリスマス!というわけでいつものお礼を夏海先生に』

恋愛経験などとんとない俺では年上の女性にプレゼントなんて何を渡したらいいのかわかるはずもなく、雑誌やテレビの特集を漁り喜ばれるプレゼントランキングなんてものをアテにして。プレゼントには自信があるなんて嘯いて。今思い返してもなんと不甲斐ないことか。
それでも、彼女の笑顔を見ることができた暖かな記憶は胸の中に残っている。

『先生、俺──』

あの日。突如として彼女が三年B組の寮で数日を過ごすことになったあの夜。俺は想いの丈を伝えようとした。二人でソファーに座りマグカップを片手に動画を見たりと些細なことで笑い合う幸せな時間は、今に至るまでの日々で募らせてきた彼女への気持ちを溢れさせるには十分すぎたから。
けれども、それは越えてはいけない一線だったのだと今ならわかる。
俺が言おうとした時にはもう、彼女は理解していたのだ。これは聞いてはいけないモノなのだと。教師と生徒という関係を壊す、決定的な言葉になりかねないと。

WWill you wait for me when I graduate?W

英文ワークの自由記述欄に書いたこの一文を彼女はどう受け取ったのだろう。『高校で習った文法を盛り込むこと』という課題には沿ってはいるけれど、彼女の迷惑になるかならないかは判断しかねる一文。
生徒だからダメなのか。生徒でなくなりさえすれば違うのか。それとも、俺では彼女の隣に並ぶことなどできはしないのか。今までこんなにも性急に結果を追い求めたことなどないのに、今の俺は──あるいは彼女が関わっている時はいつだって──どうしてもすぐに答えが欲しかった。希望が欲しかったのかもしれない。

「ミリオ?」

パッと顔を上げるとクラスの面々が楽しそうにクリスマスという今日この日を楽しんでいる中、環は具合でも悪いのかと声をかけに来てくれていた。

「ちょっと考え事してたんだよね」
「考え事?」
「エリちゃんのプレゼント今渡しに行ってもいいかなって」
「まだ渡してなかったのか」

正確に言えばあえてこの時間まで渡さなかったのだ。壊理は一年A組のパーティに参加するそうだから少しくらい夜遅くとも起きているだろうし、この時間ならば教師も校舎から寮に戻ってきている可能性が高い。壊理にプレゼントを渡す際、あわよくば彼女に会えないかと画策していた──ということを明け透けに言えるわけもなく、すれ違いが続いてしまってと伝えれば環も納得したような顔をして隣に座った。

「……行かないのか?」
「あー、うん」

ちらりと時計を見る。教員も雄英内の寮に住んでいる今となってはいつになれば彼女が寮にいるのかがわからない。かと言ってあまり遅くなれば疲れたエリは早々に寝てしまうことだろう。それは避けたい。
壊理を口実にしておきながら言えた話ではないが、あの子には直接クリスマスプレゼントを渡したいし、こんなに楽しい一日を過ごせたと幸せに浸りながら眠りについてほしいから。
もし会えなかったら、その時はまた考えてみよう。心を決めて前を向く。

「お?通形じゃねえか」

教員寮をノックした俺を出迎えてくれたのはプレゼントマイクだった。

『え……もしかしてこれ?写真の?これ、マイク先生だよ?』

少し前に、あの英文を提出する前に生じた疑惑の相手。即座に彼女はプレゼントマイクと付き合っているわけではないと否定したし、そもそも彼には婚約者がいるとも聞いてはいるのだが、それでも普段と違う姿の彼女を見ることができた人であることは変わりない。
俺も見たかった。携帯で撮られた写真越しではなく、この目で直に見て、他愛無い会話をして、共に食事をしたかった。子供じみた嫉妬が表情に出てしまわないよう、壊理に渡す紙袋の取っ手を握りしめる。

「どうしたよ?」
「エリちゃんにクリスマスプレゼント渡しに来たんですよね!」
「あーなるほどな。ちょうど今そこで話してるよ。入れ入れ」

ソファーには女性教師陣が壊理を囲むようにして座っていた。漏れ聞こえる話によると一年生とのクリスマスパーティにいたく感動したらしい。その話を聞いている教師の中に彼女の姿はなく、残念な気持ちも少なからずあったけれど、プレゼントを渡した時の壊理の笑顔があまりにも幸せそうでそんな感情はどこぞへと吹き飛んでしまった。
冬休みといえども同じ敷地で生活しているのだからどこかで会うことはできるだろう。

「あれ?三年生の通形くん……だよね、どうしたの?」

そんな風に潔く気持ちを切り替えたのが却って良かったのかもしれない。教師寮を出ようとしたその瞬間、ちょうど帰ってきたらしい司書と彼女とに会うことができたのだから。

「エリちゃんにクリスマスプレゼント渡しに来たんですよね!」
「あーそっか、エリちゃんとよく遊んでくれてるもんね」
「いやいや、俺が遊んでもらってるんですよ」
「あはは、そうなの?ドアありがとうね、じゃあ通形くん、メリークリスマス」

司書は俺と会話を続けながら寮の方へと歩みを進め、ドアを抑えている俺に感謝の一言と共に寮の中へと入っていく。そう、これが普通のやり取りだ。

「はい!南先生も!」

そして俺はドアから手を離した。目の前に寮へ入っていないもう一人がいるのはわかった上で。
待ちに待っていたはずなのに、いざ目の前にするといつも無意識に行なっているはずの呼吸でさえ苦しくなった。寒さ故に口から出る白い息がそう思わせているだけなのだろうか。

「……夏海先生」

彼女は俺が片想いをしているまさにその人であり、彼女も俺に対して生徒以上の感情を抱いているのでは、と推測してもいる。
とはいえ彼女が俺の教師であることに変わりはなく、この気持ちを伝えてはいけないことは理解している。では生徒でなくなればいいのかと確認したくてメッセージを送ったけれど、そういうわけでもないのか。教師と生徒という枠を超えているなんてこと、自分にとって都合の良いように現実を捻じ曲げているだけなのか。

「うん、どうしたの?」

もしそうならば、どうして彼女は一介の生徒に取るような接し方以上のことを俺にしてくれるのだ。
俺が舞い上がってしまっているだけなのだとしたら、まるで彼女も俺のことを生徒以上に見てくれているのかもしれないなんて勘違いも甚だしい考えなのだとしたら、もう終わらせてほしい。

「俺が書いたこと、迷惑だったんなら謝ります。すみませんでした」

彼女には教師になるという道が開かれている。そんな中、教え子が勝手に思い上がったからとしてもそんな態度を教員が取ったのか、なんて知れ渡るなど決して彼女のためになる行為ではない。
好きな人の将来に泥を塗るようなこと、誰が好んでするだろうか。

「……迷惑なんかじゃないよ」
「……先生が俺のこと生徒としか思ってないなら、生徒として見て欲しいんだよね」
「うん、ごめんね」

その謝罪は、一体何に対する謝罪なのだろう。俺の気持ちには応えられないことへの謝罪なのか、それとも。
暗がりの中で彼女を見ると彼女もまた、俺を見ていた。「でももし──」自然と口が開く。俺は人の心の機微を読み取れる方ではないと思っている。けれども、たとえ自分にとって都合の良い受け取り方だとしても、彼女の瞳は揺れているように見えたのだ。

「もし、そうじゃないなら、俺から逃げないで」
「……うん」

どれだけ勇気を振り絞っても震えそうになる声を隠すように少しずつ言葉を発した。まるで星に願うような口ぶりだ。

「通形くんが生徒でいる間はこれ以上何も言えない」

寮からは相変わらず楽しそうな声が聞こえてくる。ほんの数分前までは自分もあの空間に居てクリスマスを楽しんでいたというのに、彼女が告げたこの一言で心の中は氷点下にまで落ち込んだ。
教師と生徒では、良いとも悪いとも言ってもらえない。これが現実。彼女のことを想うならもうこれ以上は何も言わずに卒業までの三ヶ月を無難な距離を保つのだ。

「だから……」

ぐ、と握りしめた拳に込めた力を恐る恐る抜いてみた。もしかしたら、もしかするんじゃないかと期待を持ってしまったから。

「卒業したら話そう?それでもいい?」

春の風が吹くとまでは言えないものの、凍っていたように思えた心が少しずつ溶けていく。卒業まで彼女は俺を待ってくれる。これがあの英文に対する彼女からの答え。その約束だけで十分過ぎるほどだ。

「うん!わかった!楽しみに──」
「通形くん」
「?」
「ただ卒業後に二人で話をしよう、ってだけで……つまり、これは約束じゃないよ」
「……?」
「雄英の生徒じゃなくなってもまだ私に話があるなら、その時は会いに来て」




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