『誕生日おめでとう。雄英は今色々と大変かもしれないけど、これからの一年も沙耶らしく頑張ってね。素敵な年になりますように』

メッセージを打ち込み、送信ボタンを押した。怪我が治るまで、仕事の増える夏が終わるまでと決まっていた博多での事務仕事も区切りがつき、静岡の自宅で従姉妹の誕生日を心の中で祝った。雄英では敵の襲撃が続いていることから寮制度に切り替えたそうだが、クラスの仲は良いと聞いていたしそういう面での沙耶の心配はせずとも良いだろう。

「はあ……」

気分が晴れない。仕事に復帰するとヒーローネットワークで表明してから依頼は来ているし、怪我も完治した。しかし博多での最後の夜があんな形に終わってからというものの、ため息ばかりが口をついて出る。
ホークスのことが好き。この気持ちは変わらない。けれど、『私に何か一つでも本当の事言ったことある?!』考えるまいと思ってはいるのに、ユリの悲痛な声とそれに対する彼の返事が耳から離れてくれることも、ない。

「?」

ソファーが微かに振動を伝えてくる。携帯が鳴っているのか。仕事の依頼か、従姉妹からの電話かと携帯を手に取ると画面に表示された名前は『あやめ』。ヒーロー事務所とエンタメ関係で提携するマネジメント会社で働く彼女は常に忙しくしていて、メッセージのやりとりを除けば年に三回会えるかどうかという仲だけれども、私にとっては大切な友人の一人だ。

「もしもし?」
『久しぶり!静岡帰ってるって聞いたけど本当?』
「うん、よく知ってるね」
『さっきヒーローと仕事してて聞いたんだ。私も今からそっち戻るからご飯しない?』

あやめの誘いを二つ返事で受けた。仕事の開始までもう少しあるし、今は誰かといることで余計なことを考えないようにしたくて。
気持ちを切り替えるべく、ソファーから立ち上がって自室のクローゼットを開きに行く。気分の上がる洋服を着て、美味しいご飯を食べて、そしてまた仕事を頑張ろう。せっかくホークスが仕事に穴をあけないようにと手を回してくれたのだから。ヒーローという仕事のお陰でまだホークスとの繋がりはある。もうそれだけでいい。

「博多に一ヶ月もいたの?今までで一番長くない?」
「ヒーロー業はお休みしてたから事務としてね。よくお世話になってるところが声掛けてくれて」

そういう事もあるんだ、とあやめが相槌を打ちながらグラスを傾けた。ヒーローそのものでないにしてもエンタメというヒーロー業の一端を担っている彼女には仕事の話もしやすくて助かる。その仕事に携わるために言えない事もしばしばあるけれど。

「最近物騒だもんね……隣に住んでる雄英の子も先々週くらいかな、寮入るって言ってた」
「雄英の──ああ、天喰くんって言うんだっけ?」

あやめの住むマンションに二年と半年前に越してきた隣人が雄英の生徒だったと聞いた。私達のそんな頻繁にはしないメッセージのやり取りをあやめが始める時は大体がその天喰という男の子に関する話で、私自身は顔も見たことないのに線が細く整った顔立ちであるとか、頼りなさそうに見えてしっかりしているだとか情報だけはたくさんある。

「そう!天喰環。くん。本当かっこいいからさ、まどかにも早く見せてあげたい……目の保養になるよ?」
「うーん……」

目を輝かせて話すあやめの言う通りの美形ならば確かに言葉通り目の保養ではあるのだろうが、この一ヶ月ホークスと会うことが多かったおかげで私の目はむしろいつになく潤っているというか。

「……」

結局あやめと話していてもなんだかんだとホークスのことを考えてしまう自分に気付き、恥ずかしくなる。どんな顔をかっこいいと思うかは人それぞれにしても、今の私は誰であってもホークス以上にかっこいいとは思えそうにない。その程度には彼のことを好きなのに、この気持ちを心の奥底に沈めることはできるのだろうか。

「天喰くんならデビューして即顔ファンつくと思うんだよね。それはそれで嫌だけど……人気出てビルボードチャートにも載るんだろうなあ」
「最近は若手でも結構上位入ってるもんね」
「ね。今年の若手だと……シンリンカムイとかマウントレディとか今すごい人気あるから下半期来るかも?」

グラスを置いたその手で携帯を操作したあやめが新進気鋭の若手ヒーローの名を読み上げていく。どれもニュースでよく聞く名前だ。来月か再来月に発表されるチャートでは初登場で何位にランクインと話題になるのだろうな、なんて他人事のように考えながらフォークで目の前にあるお皿のエビをつまんだ時。

「若手若手……あ、ホークスもか。ずっとチャートで見てるからあんまり若手とも思えないけど」

歯で小さく噛んだはずのエビが気管に転がり込んだ。むせている間に「大丈夫?」と目を向けてくれたあやめに頷いて返事をする。私を見たその目は心配そうなものであったのに、携帯の画面に戻った時には既に怪訝そうなそれへと変化を遂げていた。

「あやめ仕事入った?」
「あ、ううん。ホークスも若手かーって思って写真見てたけど……なんか……」
「なんか?」
「笑顔が胡散臭いっていうか……」

流石に学習した私はエビを口に運ぶ手を止めた。きっとこのまま口に入れていたら再びむせていたことだろう。

「う、胡散臭い?」
「すごいヒーローとは思ってるよ。ただ個人的にはそもそもこういう人好きになれないっていうか……うん……まどかってホークスと仕事したことあるんでしょ?カメラなくてもこんな感じなの?」
「こんな感じって、それは……」

出会った当初は私もあやめと似たような印象だった。貼り付けたような笑顔で、こちらの懐には侵入するのに自身のそれは固く閉ざされているような、そんな雰囲気の人。
しかし、仕事で会う回数が増えれば増えるほど、それに比例して彼の心に少し近づけた気がしていた。笑顔一つ取ったって何種類見せてくれたことだろう。ヒーローらしい皆を安心させる表情、面倒事を笑ってやり過ごそうという狡さが垣間見えるそんな顔、私の好意を知ってか知らずか試すように笑いかけてくる、あの。

「……私は好きだけど」

たくさんの人に見られている時も、二人きりの時の事も覚えている。どれを思い出したとて私の感情は彼を好きだと指し示すものだから端的にそのままを口にした。もう少し考えてから口を開けば良かったと、言い終えてから気づいたけれど。

「え?」
「ごめん、違う、この好きはそういうのじゃなくて……なんでもない」

ポカン、と呆気に取られたあやめの右手はゆっくりと携帯を机に置いていた。仕事道具を落とさない所が仕事人間である彼女らしいなと思いつつ、火照りかけている頬の言い訳を作るためにグラスに入ったハイボールを一口、また一口と飲み下す。

「……えっ、まどかって──」
「違うってば。本当に。違います。今のはどういう感じかって聞くから、あくまで私はっていうだけ」
「あー博多、よく行ってるもんね……」
「話聞いてる?」

テーブルを挟んで向かいに座るあやめは携帯に映っているらしいホークスの写真と私とを見比べて、首を傾げつつ理解できないと言わんばかりに唇を尖らせていた。

「えー、そっか、好きな人できたんだ。ホークスねえ……私はあんまりいいと思えないけど……二人でご飯とかした?」
「だからそういうんじゃ──」
「したんだ」
「……だって仕事相手だし」

今年に入ってホークスとは何度となく食事をしたし、それ以外にも思い返せば色んなことがあったけれど、それらは全て私がヒーローでありホークスと仕事をしているからこそ起き得たことなのだ。私個人ではなく、ヒーローとしての私だから、彼と一緒にいられただけで。

「ふーん……あの人って彼女いるの?」
「そういうわけじゃないみたいだけど」
「何?何か言われた?」

ほんの少し興味が出てきたらしいあやめの目には光が灯っていたけれど、博多で出会ったホークスのことを一途に想っていたユリのこと、そして二人が事務所で揉めていたことを掻い摘んで説明すると徐々に曇っていった。

「ええ……やめなよそんな人。まどかだってその子みたいに遊ばれてるのかもよ?」
「遊びって。そんな事する人じゃないよ。その子の事だって……何か訳ありみたいだったし」
「……やっぱり好きになってるでしょ、それ」

呆れの色が浮かぶあやめの顔から目を逸らす。確かにあやめの言う通り私は彼のことを好きだし、あの夜の揉め事を聞いてもなお気持ちは変わっていない。ただ、万に一つもこの想いが叶うことはないのだなと痛感しただけで。

「あ、ごめん本当に仕事の電話来ちゃった。ちょっと出てくるね」
「うん」

携帯を片手に席を立つあやめを見送ってハイボールのおかわりを頼んだ。考えたくないと思っていればいるほど意識してしまう気がする。三杯目のグラスを何度も傾けてため息を吐いた。
ホークスは普通のヒーローとは違う。彼とユリとの会話を聞いて私が感じた事の一つはそれだ。何がどう、と聞かれても困るからあやめには言えないけれど──ユリとは単なる男女の仲だけでないことは明らかだった。

『……組織を潰すためにね』
『ヒーローなら……仕事のためなら何しても許されるの?』

昔付き合ってただけ、と言われた方がどれほどマシだっただろう。何なら今付き合ってると言われたって、まだよかったかもしれない。
ホークスは多分、誰とも付き合ったりはしない。そういう関係になったりはしないのだと、何となくそう感じた。彼の中で仕事よりも優先されるものはないのだと。もしあったのならユリをあそこまで傷つけなかったはずだ。あんなにも普段から市民を大事にしているホークスがユリを利用してまで何らかの組織を潰すことを優先した。それが彼の全てだ。
だから私ももう、潔く諦めないと。

「……」

何度目かわからないため息と共に机が揺れる。今度は私の携帯が鳴る番か。グラスの結露で濡れた手をおしぼりで拭い、携帯の表示を見ると今朝誕生日を祝った従姉妹からの連絡だった。

『祝ってくれてありがとう!イヤリングも皆によく褒めてもらえるよ、すっごくお気に入り。あとね、博多の写真送るの忘れちゃってたからアルバム作っておくね。あの後携帯壊れてホークスの連絡先消えちゃってるから、まどかちゃんから送っておいてもらえると助かります。よろしくお伝えください!』

色とりどりの絵文字と共にメッセージ、そして写真が送られてきた。何十枚とある写真をスライドしていると思い出に頬が緩む一方で見れば見るほど今との対比で胸が苦しくなっていく。
沙耶と楽しげに話している写真をはじめ、轟の外見からは想像できない抜けた発言に皆で笑っていたり、皆で見ていたホークスの仕事姿だったり、屋台街で私とホークスとが喋っている所だったり。二日しか時間はなかったのにそうとは思えないほどの瞬間がおさめられている。この時はまだユリとも出会っておらず、何も知らないままホークスとの時間を楽しんでいた。もしかして彼も少しは気があるんじゃないか、なんて浮かれてさえいた。多分、一番幸せな時間だった。

「お待たせー」
「おかえり」
「まどかも仕事?」
「ううん。博多に一緒に行ってた従姉妹が写真送ってくれてそれ見てた」
「写真?見ていい?」

アルバムを開いたまま携帯を渡すとあやめはどこか考えるような小さな唸り声を上げながらも一枚一枚へ興味深そうに視線を送っていた。半分以上が屋台で食事していた時であり物珍しいものなど、そんなに首を傾げながら見るものなど一つもなかったはずなのだが。

「へー……こういう感じなんだ」
「……少しは好きになった?」
「全然?」
「もう少し悩んでくれてもいいんじゃない?」
「悩むだけ時間の無駄。せっかくまどかと会えてるんだから」

この話は終わりだとでも言わんばかりにあやめはドリンクメニューを広げ、新しくお酒を注文していた。




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