ビルボードチャート後の昨夜に突如としてきたホークス事務所からの依頼で今私はここにいる。なんでも明後日、つまり現時点でいう明日に頼みたい仕事が発生したのだとか。
私の個性を必要とした仕事でなくとも事務所のシフトで急な欠員が出たとかで声がかかることは今までにもあったし、別に珍しくもなんともないけれど、依頼が来る流れだけは今までと明確な違いがあった。

「ホークスやん!普通に歩いとうとか珍しか!」

そんなことを考えているのもあって、聞こえてくる彼の名に釣られてその姿を探してしまうのもこれで何度目のことだろう。瞬く間に囲まれてしまったのを見ては、距離の遠さに心が締め付けられる。

「ホークス二位おめでとー!」

今までなら仕事が一緒にできるどころか、依頼が来ただけで嬉しかった。直接依頼の電話がかかってくるだけで──たとえヒーローネットワークを介する手間を省いていただけだとしても──少なからずただの同業者よりは格上げされているような気がして。
けれど、今回はこれまでのように彼から電話が来ることはなかった。昨日私の元に届いたのは事務所によるヒーローネットワークを通した依頼。明確な線引きに、仕事とはいえ彼に会えるのだという高揚感など生まれるはずがなかった。元々ヒーローが仕事に私情を挟むこと自体、間違いではあるのだけれど。

「あの!息子が大ファンで、サインを……」

彼は私と一線を引いたのだ。私が思い上がったりしないようにということに違いない。
あの日から今に至るまで彼と一言だって言葉を交わしたことはないし、恐らく今回の仕事でも、今後も、彼と業務外の会話などもうすることはないのだろう。
告白もしてなかったのに振られたような形になり、行き場のなくなった想いだけが未だに残っている。彼の姿がほんの少しでも見れやしないかと人混みの隙間に視線を走らせるくらいには、私はまだ、彼のことが──。

「……馬鹿みたい」

こんな風に覗き見ようとしなくても否が応でも明日会うのに。彼の事務所に呼ばれているのだから。
今年に入ってから食事に行ったり、見舞ってもらったり、花火を見たりと今まででは考えられないほど多くの時間があった。もうそれで十分でしょうと何度も言い聞かせたのに、彼がいるとわかれば近づきたくなる欲の深さには我ながら呆れ果ててしまう。
仕事に集中しよう。今日は休日とはいえ私はヒーローとしての仕事をするために博多まで来ているのだから。そう思ったの悪かったのか、博多には敵が現れ緊急出動を余儀なくされた。

「──という流れの予定だが、意見はあるかな」
「……いえ、いいと思います」

顔を上げるとテーブルを挟んで向かいに座るベストジーニストが眉を顰めている。

「やはり聞いていなかったな」
「いえ……はい。所々。すみません」
「博多が心配か?あの日いたんだろう、博多に」

ドキリと胸がざわつく。博多にいたのは二週間も前のこと。あれから復旧作業もしたとはいえ完璧に元通りになったわけではないのに次の仕事の関係で街を後にした。気にならないといえば嘘になる。街の様子も、それを守るヒーロー達のことも。

「……そうですね。でもすみません、大丈夫です。もう一度説明いただけますか?」

ベストジーニストこと袴田は昔付き合っていたとはいえ、もう何の関係もないただの仕事仲間だ。今だって私的な用事でなく仕事の話をしていたというのに私ときたら。

「……構わないが一つ頼みがある」
「はい?」
「この仕事が終わったらでいい。時間はあるか?」
「もちろん。ありますよ」

メモ書きのために開いていた手帳のページを戻して今月の予定を確認する。

「えっと……これの後入ってる仕事は東京だから──」

ベストジーニスト事務所からの依頼となれば東京への移動となるだろうが次の仕事も東京だからむしろ都合がいいな。計算を終えて顔を上げると袴田は眉を下げて笑っていた。

「そうじゃない」
「え?」
「仕事じゃない。まあその、友人として食事でもどうかというだけだ」
「あ、ああ、そういう……」

私達って友人と呼べるような仲だったっけ。なんて野暮なことは言うまい。付き合って、別れて、友人になるなんてよくある話。別れてから大分月日が経っているのだから大人として今後はうまくやっていこうという、彼なりの気遣いだろう。そういうことにしておかなければ私は彼と食事に行くことはできない。

「せっかくだ、東京で仕事があるならどこか予約しておこう」
「ありがとうございます」

仕事を抜きにして二人で食事をする。付き合ってもいない男性と、なんなら元彼と。世間一般的に言えばこれは普通のことなのだろうが、こんな仕事をしていると完全なプライベートで異性と二人で食事なんて機会はそんなにない。元彼となれば尚のこと。
断る理由はどこにもない。付き合っている人が他にいるわけでもないし、仕事で東京に行くついでに時間を合わせて袴田と食事をするだけ。許可を取る必要もないし、誰に知られたとて構わない。
──なのにどうして私は躊躇してしまったのだろう。

「頼みなんて言うから仕事の話かなって」

なんとなく気まずくて、袴田から目を逸らしながらグラスに入っているアイスコーヒーで喉を潤した。
これがまた別の人であったなら今の私の感情はどうなっていたことか。仕事の延長線上ということも抜け落ちて食事に誘われたという事実で舞い上がって、当日は何を話そうどんな服を着て行こうなんて浮かれた考えで頭がいっぱいになっていたのだろう。

「確かに誤解させるような言い方だったな」

袴田が優しく笑う。付き合っていた頃によく見たその表情に心が揺れることはなく、むしろ博多の彼を思い出してしまうだけだった。表情どころか見た目も中身も何一つ似てやしないのに、袴田を彼に重ねている。
なんと虚しい女なのだ。今となってはこの想いを本人に伝えることもできなければ、消化することもできないのに。潔く諦めよう、なんて口先だけの戯言でしかない。

「本当ですよ、美味しいご飯期待していいんですよね?あ、でもジーニストさんそろそろ完全復帰ですよね確か。また仕事でも何かあれば声かけてください」
「……ああ、ありがとう」

紅茶を片手に頷いた袴田が何か言いたげに見えたのは気づかないふりをした。私が好意を寄せた相手から線を引かれたのと同様に、私もまた、明確なラインを示したことに対して袴田がどう感じたかは気づきたくなかった。




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