桜の精が守ってくれている
村人達は、老若男女関わらずに揃ってそう言って笑った。
鬼が出ている可能性があると鎹鴉の要が伝える。十二鬼月である可能性は定かではないが、別の任務を終えたばかりの煉獄杏寿郎は、どの鬼殺隊士よりも偶然その場所に近かった。
鬼の可能性がある、と確定ではないことは少なくない。人が消える理由は、鬼だけではなく人間の仕業であったり、本人の意思の場合もあるからだ。
それでも、鬼の可能性があるのなら知らぬ振りはできない。
そうして辿り着いた村は、決して大きくはない人口100人ほどの長閑な村だった。
鬼が出ている、と鴉が伝える割には、人々は何かに怯えている様子もない。
道行く人に話し掛け、この村で何かおかしなことは起こっていないかと尋ねると、村人達は口を揃えて「平和なもんだよ」と言った。
「なんたって、桜の精が守ってくれているからね」
「……桜の精?」
「儂は見たことはないがね」
「僕はあるよ!本当にたまたま!とっても綺麗なんだよ!」
老人が連れている恐らく孫である男の子が、瞳をきらきらと輝かせてそう煉獄に話す。
「ふむ。その桜の精が守ってくれている、というのは?」
「少し前に、村の子供がひとり、山で山菜をとっていて親とはぐれてしまったことがある。みんなで探し回ったが冬の終わりで日が暮れるのが早い上に、天気も良くなくてな。暗くなって翌朝また捜索を再開しようとなった」
気が気でない母親をみなで励ましながら、その夜を越えようとしていた夜半。突然、ガラリと扉の開く音がしたと思うと、そのはぐれた子供が立っていた。泣いたあとで目元は赤いが、膝に擦り傷があるだけで他にどこも怪我はないと。ただ服にべったりと子供のものではない血がついていて、子供の無事に安堵しながらも「その血はどうしたの!やっぱりどこか怪我をしているんじゃないの!」と母は取り乱しながら聞いた。
『俺の血じゃないよ。これは、俺を守ろうとしてくれた桜の精の方の血』
母に再び会えた安堵感で泣き出してしまい、しゃくりあげながらだったが子供はしっかりとそう言った。
「その子が言うには、日が暮れた後に何かに襲われたらしい。人間でないのは間違いがない、大きくて、不気味で、目がぎょろぎょろといっぱいついていたと。追われて、逃げて足が縺れ転んで、もうダメだと思ったところに、桜の精が来てくれたと言っていたよ」
「信憑性はあるのか?」
「子供の妄想だと儂らも思ったが、服についた血は本物だった。それに、その方を見たという子供がちらほら出てくるんじゃ。嘘とは思えん」
「嘘じゃないよ!とっても綺麗で、優しい!天女様かと思ったけど、他の奴らも見掛けたのは桜の側だっていってたから、きっと桜の精だよ!」
ひどく楽しそうに笑う子供に、煉獄はにこりと笑う。鬼と遭遇しても尚、その後無事に姿を見られているという桜の精。もし本当にそういう何かがいたとして、それは鬼ではないのか、という可能性が頭に過ぎるが、まだこの何も分かっていない状況で口に出すことではないかと言葉を飲み込む。
桜の精を目撃されている桜の木はどこにある、と尋ねると、快く教えてくれた。
教えられた通りに村から続く道を進み少し山を登る。ぱっと開けた場所に出たと思うと、満開に咲き誇る桜の木々が目に飛び込んできた。
「これは……見事だな」
誰かが一緒にいるわけでもないが、つい音となってこぼれでた。10本ほどある桜の木々はそよそよと風が吹くと、それに応えるように花びらを舞わせている。
桜を見上げながら歩みを進め、1番大きな桜の木の前まで来て、煉獄は目を見開いた。
咲き誇る桜色の中に違う色が混じっていると思うと、それは人だった。
灰桜色の腰までありそうな髪の毛を風に靡かせながら、美しい顔立ちをした女が木の上で眠っているのだ。
目を閉じていてもわかるその整った顔立ちと、透き通るような肌の白さに、女っ気のない煉獄ですら息をのむ。
甘露寺ほどの露出はないが膝丈ほどの黒いワンピースを着ており、まだ洋服の普及がそこまで進んでいない村人たちからみると、相まって見慣れない高潔なものに見えたのかもしれない。
夕暮れに近づいてはいるものの、まだ陽が沈み切っているわけではない。陽の下にいるということは、可能性として考えていた桜の精自体が鬼という線はなさそうだ。
「すまない、そこの方!少し話を聞きたいのだが!」
そう、煉獄が声をかけるが、女の瞳は閉じられたまま。
少し時間を置きながら何度か声をかけても目を覚ます様子はない。
もしか、寝ているのではなく……?とその身を案じた煉獄が、地を蹴り木の上に移動する。
近くで見る女は、やはり美しい。人間離れした美しさに、少しの緊張を感じごくりと唾を飲みながら、息があるのかどうかを確認しようと手を伸ばす。もう少しで口元に触れる、というところで、女がゆるゆると目を開けた。
髪と同じく灰桜色の瞳は透き通り、目の前にいた煉獄を映す。意思の強そうな、少しだけきりりとした目に、煉獄はその手を止めた。
「君は、」
そこまで言いかけて言葉を切る。
いつの間にか陽が落ちきっており、あたりに漂う物騒な雰囲気に肌がぴりっとそれを伝えた。
──鬼がいる。
長年の感覚に狂いはない。まだ姿は見えないが、恐らく人間の匂いにつられてこちらへ向かってきている。
いつでも刀を抜けるようにその柄に手を伸ばし、一点を見つめる。
「あれは鬼だ。君はここにいてくれ」
女に視線を向けずにそう声を掛けるが、返事はない。
聞こえていないのか、とちらりと横目で見遣ると、いつの間にか立ち上がっていた。
静かに煉獄の見ていたのと同じ方向を見ており、ガサガサと木々の中から鬼が現れたと同時に、ふっとその姿を消した。
「な……」
鬼が現れたと同時に頸が落とされる。
女の爪は長く鋭く伸びて、血に濡れていた。恐らく鬼も何が起こったかは分かっていない。その一瞬の出来事に目を見開いていると、さらに女はその鬼の背後に回り首に嚙みついた。
「ギィヤアアア!!なんだ!!何者だお前!!!」
決して強くはない鬼だというのは分かるが、頸を失ってなお動き回り、女を振りほどこうと暴れていた鬼は、転がった頭から断末魔を上げている。
頸を落としても、それは日輪刀でなければ鬼を倒せない。呆気にとられていたが、刀を抜き向かおうとした矢先、暴れまわっていた鬼がぴたりと動きを止めた。
「な、なんだ、動かない……何をした、何をした!」
鬼の意思ではないらしい。
動かなくなったことを確認した女が首から口を離し、口回りについた血をぐいと手で拭った。
そのまま首根っこを掴み、鬼の巨躯をズルズルと引きずり、絶対に木陰になることのない開けた場所で手を離した。そのままギャアギャアと喚く頭も拾い、身体と触れる距離ではないが、同じ陽の光の当たるところに放る。恐らく、陽の光で焼き殺す気なのだろうことはわかった。
「なんだ、お前……なんだお前……!お前も鬼じゃないのか、鬼だろう……!」
「うるさい」
ここにきて初めて女が発した言葉。落ち着いた透き通る声だというのに、その言葉に含まれた不機嫌さは明らかだった。
爪についた血をぺろりと舐めるが、すぐに顔をしかめてぺっと吐き出す。
「お前たちは何なの?私とお前たちが同じだと思わないでほしいわね」
爪についた血を払い、その長さを短く元に戻すと、鬼のそういい放って踵を返す。
振り返った視線の先に、煉獄がいて、女はこてんと首を傾げた。
「どちらさま?」
「いや、それは、こちらの科白なのだが……」
煉獄は刀を構えているものの、目の前の女を人間ではないと判断はできても、鬼だという判断がつかずにいる。もしや本当に桜の精なのか?
見開いた目がぐるぐると円を描いているのを見た女が、口を開いた。
「とりあえず、水浴びしていい?」top