17

その日、初めて私は授業をサボった。

屋上に続く階段を、ただぼんやりと登り、今にも雨が降り出しそうなどんよりとした曇り空の下に出た。眼下に広がる並盛の町を見下ろしていると、じわじわと視界が曇っていく。

「っ……」

その場に座り込んで、唇を噛み締めた。
こっちに来ても、私は人の好意に慣れない。応えられないことが、こんなにも私の心を蝕んでいく。私のことなんて、誰も好きになる筈ないと思いながら、いつの間にか誰かから好意を寄せられてしまう。それは、有難いことで、嬉しいことであるべきなのに、私を苦しめる。
好きになんてならないで、私のことなんて放っておいて。返せない、返せないんだよ。
堪えていた涙がぼろぼろと落ちてきて、スカートを濡らしていく。涙が出たと分かると、それはどんどん押し寄せてきて、声が漏れる。

「ぅ、え……っ」

私の涙に同調したように、ぽつりぽつりと雨が降り出した。やがてそれは本降りになり、バケツをひっくり返したような雨になる。そういえば、天気予報は梅雨明けはまだ先と言っていた。身体がびしょ濡れになるのなんて気にならず、ただただそこにしゃがみこんで泣く。大人気ない。それでもいい。私は今中学生なのだと、都合よく子供に戻る。

ひたすら泣き続けて少し落ち着いた頃、ぶるりと身体が震える。気温はそこまで低くはないけれど、雨に打たれ続けた身体は体温が下がっていた。同時に頭も少し冷えてきて、ここで風邪を引いてしまうのはおばさん達に迷惑をかけてしまう、と理性を取り戻す。かといって、びしょ濡れで帰るわけもいかないし、そもそも今は授業中。鞄をとりに教室に行くわけにもいかない。どうしようかと思いながら、とりあえず雨を凌ごうと屋上へ出てきた扉を開けると、黒いあの人が腕を組んで立っていた。

「ひば、りさん……」

なんで?と思いながら、何も言葉が出てこない。泣いたせいで掠れて鼻声の混じった声で名前を呼ぶと、彼は顔を少し歪めた。

「君がサボりとはね」
「ごめん、なさい」

目を伏せるとまた一つ涙が零れる。一度緩んだ涙腺はなかなか締まってくれない。咬み殺されるんだろうかと俯いていると、「おいで」と一言言って雲雀さんは踵を返した。聞き間違いかと立ち尽くした私に、早く、ともう一声かかり、慌てて彼の後をついていく。

「草壁、制服か体操服か、なんでもいいから着替えを持ってきて。あとタオル」
「分かりました」

着いて行った先は応接室で、そこにいた草壁さんに雲雀さんがそう告げた。

「濡れるから、拭くまでそこで待機」

1歩応接室に入ったところでストップをかけられて、しっかりした雲雀さんに少しだけ笑ってしまった。
程なくして草壁さんがタオルと着替えを持ってきてくれて、有難くお借りする。草壁さんはそのまま「仕事に戻ります」と言って出ていった。さっさと拭こうと手を動かすけれど、冷えた身体の震えとうまく力が入らないのとで、手間取ってしまう。とろとろとしている私に見兼ねて、雲雀さんが1つ息を吐き寄ってきた。

「遅い」
「すみません……」
「貸して」

ばっと手から奪われたタオルが乱雑に私の頭を吹いていく。ひ、雲雀さんが私を拭いている……!?起こっていることにびっくりして目を丸々とさせていると、「間抜け面」と言われた。確かに、目と鼻は泣きまくったせいで真っ赤だろうし、それはもうひどい面をしているんだろう。

「ごめんなさい」

と、謝る。
わしゃわしゃと私の頭を撫で付けていたタオルが、ぴたりと止まった。

「君、前にも泣いてたよね」

その一言に、首を傾げる。桜の下で、と付け加えられた言葉に、カッと身体に熱が走った。見られていた、恥ずかしい。確かにあの日校内散策をしていたのは雲雀さんに目撃されていたようだったけど、まさかそこまで見られていたとは思っていなかった。

「意外と泣き虫だね」
「……すみ、ません」

ご迷惑おかけして、授業をサボって、すみません。そう紡いだ言葉に、「仕事を手伝うなら今回は見逃してあげる」と言われた。雲雀さんが、なんだか優しい。
粗方拭いてしまって、草壁さんが持ってきてくれたジャージに袖を通していると、テーブルに小さな箱が置かれる。ピンクと黄色の可愛らしい小箱を置いたのは雲雀さんで、ちょっとミスマッチだなと思った。

「あげる」
「え?」
「甘い物」

よくよく見ると、それはチョコレートの箱だった。いつかの、ご褒美の品だと分かった。

「ありがとう、ございます……っ」

不器用な優しさだと思う。ただのご褒美にしては、しっかりとしたものだ。そのへんのスーパーで売ってるものではないかもしれない。選んで、くれたのかもしれない。それが雲雀さんじゃないかもしれない、もしかしたら草壁さんに買ってこさせたのかも?でもそんなことは今どうでもいい。ぐちゃぐちゃになっていた私の心にはその優しさが痛いほど染みる。ぽろぽろとまた、涙がこぼれる。

「なんで泣くの」
「これは、嬉し涙、です」
「……」
「ありがとうございます、雲雀さん」

優しい人。その優しさが分かりにくくて、曲がったことが嫌いで、すぐに手が出てしまうから誤解されてしまうけれど。雲雀さんもまた、優しい人だった。