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「おはよ、蕪木さん」
「おはよう、蓮巳くん」

いつも通りの朝を迎える。
昨日はあの後、応接室で頼まれた仕事をこなしているうちに放課後になり、いつの間にか応接室に持ってきてもらっていた鞄を持って返った。朝から少し目は腫れぼったかったけれど、心は少し晴れやかだった。

「はい」

と、蓮巳くんがノートを差し出してくる。首を傾げながら受け取り開くと、それは昨日私がサボった授業の内容の書かれたノートだった。思わず、息がつまる。いつも、ノートとらないのに、私の為に。締まった筈の涙腺が少しだけ緩む。

「蓮巳くん!」

感激で抱き着いてしまいたい衝動を抑えて、蓮巳くんに向き直る。何、といつも通りの様子の彼に、「ありがとう!」と精一杯の笑顔を贈った。満足気に少し口元を緩めた蓮巳くんが、別に、と言った。もう、かっこつけマンだなあ。緩んで仕方ない口元をノートで隠す。

「涎はつけないでね」
「つけないよ!」

いつもの軽口を叩いてくれる彼の存在がとても、ありがたい。









「ねえ、昨日嫩ちゃん何かあった?」

一緒にお昼ご飯を食べようと京子ちゃんと花ちゃんに誘われ、空き教室へと入る。お弁当を広げて食べ始めて少しして、京子ちゃんがそう言った。何かあったと言われればありすぎるほどあったけれど、どうしてそんなことを聞くのかが先に気になって「どうして?」と聞き返してしまった。

「放課後にね、蓮巳くんがうちのクラスに来たの」
「蓮巳くんが……?」
「うん。いつもの顔だったけどちょっとイラついてる感じで」
「まあ多分、私と京子くらいしか気付いてないだろうけどね」
「佐渡くんって男の子がクラスにいるんだけど、その子を訪ねてきてたみたいなの」
「大きな声で話してた訳じゃないけど、私席が今ドアに近いから会話が聞こえてさ。蕪木さんに、伝えること以外何かした?≠チて蓮巳が聞いてたのよね」
「え……」
「それに対して、佐渡はそれ以外はしてないって答えて、それで終わってたけど」

パックのジュースを飲みながら花ちゃんがそう言った。動揺を隠せない私に、まずいと思ったのか「花がたまたま聞こえただけで、教室騒がしかったし、他の人は聞こえてないと思うから安心してね」と京子ちゃんがフォローを入れてくれる。うん、それも、大事だし、聞こえてなくて良かった。けど。蓮巳くん、そんなに心配してくれてたのかと、申し訳なさと嬉しさが積もる。

「あんた、佐渡に告られたの?」

ド直球な花ちゃんに、無言でこくりと頷いた。

「お断り、した」
「まあ、なんとなくそうかなと思ってたけど」
「断るのって辛いけど、でもどうしようもないもんね」
「……気持ちって、鏡みたいにそのまま返せたらいいのにね」

ぽつりとそんな言葉が転がり落ちる。卵焼きをつついていた箸をとめて、言葉を紡いだ。2人ともモテるだろうし、告白だって経験しているだろう。その度に、きっと、断ることも経験している。

「有難いのに、嬉しいのに、私はその人を喜ばせることはできなくて、気持ちを、返すことできなくて」
「うん」
「いつも、好きになんてならないでって思ってしまう」
「……うん」
「そんな自分がまた、ひどくて、嫌で、自己嫌悪して、ぐるぐるしちゃう」

正直、前の、昔の私ならこんなことを人に言うこともなかったし、言う相手もいなかった。嫌味だと思われてしまうのではないか、贅沢者だと思われてしまうのではないか。そんな、ただただ不安の中で生きていて、嫌われたくない思いだけで生きていて、大好きな人達にすら心の奥底の感情を吐露することなんてできなかった。それを今吐き出すことが出来るのは、彼女達だからなのか、私が変わったのか、わからない。

「何が、正解なんだろう」
「正解なんて、ないのよ」

俯いた私の疑問に、花ちゃんが即座に答えてくれる。

「正解があるとしたら、自分の気持ちだけだと思うね、私は。人と人だもの、同じ気持ちになれないことがあるのも当たり前、傷付けることがあっても当たり前。仕方ないことだもの。だったらせめて、私は私に嘘はつきたくない。相手には真摯に向き合って答えを出すくらいしかできないけど、それだけはできるから、」

そうしてる。
花ちゃんの言葉が、私の中にするすると入り込んでくる。嫌な感覚ではなくて、救われるような感覚。京子ちゃんも同じなのか、うんうんと頷いていた。
この頃の子達の言葉は、とても素直だ。裏なんてない。綺麗な言葉だ。心のままを正直に伝えてくれる言葉は、とても暖かい。私よりも大人だと思える彼女の言葉に、心が軽くなった。

「私も、そうする」
「うん、私も。花はやっぱりすごいね」
「花ちゃんだからね」
「なによ、それ」

ふふ、と笑い合う。みんな少しだけ目尻が光ってるような気がする。みんな、同じ思いを抱えてる。私だけじゃなくて。それでもみんな前を向いてる。素敵だと思った。この子達のこと、大好きだと思った。