02

「円谷さん、今日飲みに行きませんか!?」

帰宅準備をしていると、ひょっこりとデスクの向こう側から顔を覗かせてきた一つ下の後輩の荻窪くんがそう言った。唐突なお誘いに暫くきょとんとしてしまったが、その意味をそのまま理解して「すみません」と笑う。

「今日ちょっと用事があって」
「ええー!いつも円谷さんそうやって俺と飲みに行ってくれませんよね!」
「お酒も……得意ではなくて……」
「えっそうなんですか!?じゃあ今度ごはんいきましょ!ね!」

約束ですよ!とキラキラとした笑顔でそう言って、私に断らせる暇なく彼はパタパタと去っていった。約束て。私頷いてないよ。
ふう、と一つ息を吐いて鞄のチャックを閉めた。
帰り道、先程の出来事でなんとも言えないモヤモヤを抱えて暗い道を歩く。街灯が少ない道に立つ自販機が目を引いてその前で立ち止まり、千円札を入れる。ポチポチと2回光るボタンを押すと、ゴトゴトと出てきたビール2缶。

「酒が得意じゃないとか、嘘ばっか」

飲まないとやってられない新入社員時代のせいで、とっくに今では普通の人よりは強い。恐らく荻窪くんより強いだろう。
嘘をついたのは申し訳ないけど、そうしてまでも断りたかったのは変な期待を持たせたくないから。同時に、私が持ちたくないから。
この人なら、私をこれだけ愛してくれる人ならと期待をして、結局は揺るがない私の想い。結局は変わらない私の想いに、結局は変わってしまう相手の想い。
好きにさせてみせる!≠ネんて強い思いも、いずれは変わってしまうのだと痛いほど身に染みるくせに、変わってくれないこの自分の想いには全く理解が追いつかない。これは果たして愛ではないのか、なんて考えて、それでも止まらない想いに名付けるとしたら愛≠オか思い浮かばないのだ。

「……おいしい」

帰り道の途中だと言うのについ開けてしまった缶ビールに口をつけた。

愛が欲しい。
愛が欲しい。
誰でもいいわけじゃない。
誰からのでもない。
あの子からの愛が欲しい。
そんな到底叶わない想いと。
会いたい。
見るだけでいい。
話せなくていい。
会いたい。
という到底叶わない願い。

どう足掻いたって叶わないことばかり。あまりにも私の生き方は不器用で、不格好で、無様で、思わず自嘲の笑みが零れた。










「はい!行きましょう!ごはん!」

またもやひょっこりと顔を覗かせた荻窪くんはまたもやキラキラとした笑顔を振り撒きながらそう言った。

「えっと、あの、今日は用事が、」
「無いんですよね!知ってるんですからね、山口さんと今日はもう帰って寝るって話をしてたの!」
「えっあれ、その話は女子トイレでしてたんだけど……」
「あっ、えっ、あの、あー」

しまった、と言わんばかりに目を泳がせる荻窪くんがちらりと私の後ろに目をやる。つられて振り向くと、同期の山口さんが「えへっ」というお茶目な顔をしていた。おのれ、内通者が。

「というわけで、行きましょうよ!」
「う……」
「もしかして体調悪いですか?それか、俺とそういうの嫌ですか?」
「い、いえ、嫌ではない……」
「じゃあ決まりですね!」

おのれ荻窪くん。
しょんぼりと肩を落とした姿に心動かされてしまったのが運の尽きだったらしい。私が仕事道具を鞄に詰めるのをまるで忠犬のように待っていた荻窪くんに、諦めて食事を一緒にすることを了承した。

「円谷さんって、ガード固いですよね」
「直球ですね」
「あ、そうですね。ちょっと俺酔ってきましたかね」

へへへと笑うその顔は普段よりほんのり赤くて、ちょうど気持ちよくほろ酔いになってることが傍から見ても分かる。
私はこの前得意ではないと言った手前ソフトドリンクを頼んでいるけれど、荻窪くんはなかなかにいいペースで飲み進めている。お酒のお供に食事はあまりとる方ではないらしく、私が食べる専門、彼が飲み専門のようになってしまった。割とお腹いっぱい。

「なんていうか、円谷さんってほんとに平等じゃないですか」
「そう?」
「ある意味上司にも平等」
「えっうそ」
「もう機嫌が悪いってか怒ってんのが顔に出てますよよく」
「それは……目をつけられそうだ私」
「いや、そんなことないと思いますよ」

珍しく枝豆に手を伸ばした荻窪くんがもごもごと豆を口に入れていく。

「目を掛けられてる、の方だと思います。仕事できるし、礼儀正しいし、優しいし、表情に出るってのも素直だと思われてると思いますよ」
「そう、かなあ」
「うんうん」

そんな彼の相槌を横目に綺麗にお皿に飾り付けられただし巻き玉子に手を伸ばす。ほかほかと湯気が立っててとても美味しそうで、取り皿に取ったそれを箸で食べやすい大きさに切ろうとしたところで。

「俺、好きなんですよね」

勢いよく箸が入ってしまってピンッと玉子の端がテーブルに転がった。

「……玉子が……」
「あー勿体ない」

拾おうとテーブルの紙ナプキンを触っていると、ぬっと伸びてきた手がそれを拾ってそのまま口に運んでいく。

「えっ」
「あ、これうま」
「えええええ」
「大丈夫ですよ、3秒ルールって言うでしょ」
「い、言うけど」
「あ、でも、間接キス、になりますかね」

へらりと笑ったその顔がなんとも幸せそうで、でも目には熱が篭ってて、その瞬間、あ、やばい、と頭の中の何かが告げる。さっきの、好きは、ダメな方の好きなんだ。

「わ、私ちょっとお手洗いに、」
「待って円谷さん。さっきの聞いてました?」
「な、なにを」
「好きですって」
「え、えー?言われましたっけー?気の所為じゃない?」
「じゃあもう1回言います」

逃げようとした私の腕をがしりと掴んで、荻窪くんはその綺麗な目を私に向けた。

「好きです、円谷さん」