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私の放課後は大体、雲雀さんのお手伝いをするか、図書委員の仕事をするか、何も無ければ蓮巳くんと帰るかのどれかだ。
その日は雲雀さんの手伝いもなく、図書委員も当番ではなく、「雨めんどくせえ」と嘆いている蓮巳くんを連れて帰るべく靴箱に向かっていた。私も蓮巳くんも人混みが苦手で、特に雨の日なんかは湿気でべたつくし靴箱は泥だらけになるしというのもあって、帰宅ラッシュをすぎたくらいにぼちぼち帰るかーと動き出す。今日明日で梅雨明けとなるだろうという予報に、やっと洗濯物が乾くようになるねなんて話しながら靴箱へ行くと、あの子がいた。ぴしっと背筋が伸びた私に蓮巳くんが少し噴き出してた。笑うことないじゃない。外への出入口の屋根の下で外を見つめるその手には傘はなくて、なんとも悔しそうな悲しそうなその顔に何となく「あ、傘とられちゃったのかな」なんて思った。さすがに梅雨で傘を忘れてくることもないだろう。

「どうするの?」

そんなことを蓮巳くんが聞く。どうするって、決まっている。大好きな子が困っていたら、私は助けたい。

「蓮巳くん、私のこと傘に入れてね」
「はいはい」

別に折りたたみ傘があるわけでも、余分な傘があるわけでもないので、蓮巳くんに入れてもらって帰らければならない。たった一言で察してくれた蓮巳くんに感謝だ。傘立てに立てたオレンジ色の傘を手に取る。少し男子中学生には可愛すぎるかもと思ったけれど仕方ない。取った傘を手に少し離れたところに立って待ってくれてる蓮巳くんのところに行くと、彼は首を傾げた。

「宜しくお願いします」
「えっ俺が持ってくの?」
「うん!そう!」
「なんでそんな当たり前な顔してんの」

え、私が直接持っていくわけないじゃない。困ってる彼を助けたいとは言ったけど、直接繋がり関わりを作りたいわけではない。寧ろそういうものは避けて通りたい。お願い、と手を合わせると、面倒くさそうな顔をしながらも傘を受け取ってくれた。蓮巳くん優しい。歩き出した彼に、余計なことは言わなくていいからねと釘をさすと、無言でニヤリと笑った。えっちょっと待って。影に隠れて、2人の様子を見守るけれど、全く何喋ってるか分かんない。雨の音うるさい。ぺこぺこと頭を下げるあの子が笑って傘を受け取っていて、どうやら上手くいったようだった。彼が傘をさして外に出ていくのと反対にゆっくりと戻ってきた蓮巳くんに、「ありがとう!で、何話してたの!」と詰め寄る。

「俺はお使い頼まれただけで、俺の傘ではないからその傘に名前書いてある人に返してねって言った」
「わー!なんでそんなこというの!」
「男から借りた傘に女の名前書いてあんのおかしいでしょ」
「そらそうだ」

でも。でも。そう呟いて、言葉が続かない。そんな私の頭に、ぽんと蓮巳くんの手が置かれる。首をかしげながら顔を上げると、いつもと変わらない顔で蓮巳くんは立っていた。

「蕪木さんがなんでそんなに沢田とか、自分の気持ちから逃げてんのか知らないけど」
「……」
「後悔しないならいいと思うよ」

その言葉に少し目を見開いて、静かに伏せた。そうだね、と頷いて、でもそれは難しいよと心の中で続ける。
後悔しないなんてこと、私には難しい。全部、全部後悔ばかり。彼を知ったこと、彼と出会ったこと、そのために全てを捨てたこと。きっとこれからも私は、何かを選べず後悔して、何かを選んで、後悔する。

「蓮巳くん、私は」

私は。

「沢田くんが好きだよ」
「……うん」
「でも、私では彼の力になれない。私では、役不足なの」

彼の内に秘めたる想いの強さを、私ではきっと引き出すことはできない。彼は、私の友達を好きなのだ。

「私の好きな人が、私の好きな友達と幸せになってくれるなら、それが私の幸せ。それが苦しくて、辛くて、泣くことがあっても、彼が生きていてくれるなら、それだけで私は生きていける」

胸の前で手を握り合わせて、祈るようにその言葉を紡ぐ。大袈裟だと、蓮巳くんは思うだろう。笑うかもしれない。それでも、この先の事を知る私にとって、沢田くんがマフィアのボスになることを望まれてるという状況を知る者にとって、それが大袈裟ではないことは確かなのだ。
私には彼の心は守れない、触れない。その代わりに、彼の身体を、命を、守れるなら、この身体なぞ捨ててしまえる。命懸けの恋だということは、とうの昔に決めていた。逃げられない恋だということは、とうの昔に感じていた。愛しい鎖で縛られて、絞められて、それでも私は逃げようとはしない。

「なんでそんなに好きなの?」

中学生の彼にとって、いや、彼でなくても、私の言葉を聞いたならそう思うのも仕方ない。でもそれに答えることはできない、私も知らないから。俯いていた顔を上げて、にっこりと笑って私は言った。

「秘密」