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俺は、蕪木さんに幸せになってほしいよ

そう言ってくれた蓮巳くんの優しい顔がどうにも焼き付いている。

「幸せに、」

と、そこまで呟いてから空を仰いだ。
あのあと暫くして解散し、図書館を出た私は近くのコンビニに寄りアイスを買う。余談だが私はパピコは先の部分のも食べちゃう派だ。
ちうちうとパピコを食べながら帰り道の公園を通り過ぎようとして、見たことのある影が視界に入って二度見した。
遠くから見てもわかるほどボッコボコな姿で泣いてるんだろうなと察してしまう背中がそこに蹲っている。もわもわとしたボリューミーな真っ黒い頭と牛柄の服と来れば、言わずともわかってしまうその子だ。
以前の私なら素通りをひょっとしたら決め込むかもな、なんて思いながら、実際小さな泣いている男児を見ぬふりなんてこと今も昔もできるわけないのだ。

「だいじょうぶ?」

とことこと近づき、小さなその子に目線を合わせるべくしゃがみこんでそう問うと、大きなくりくりとした目がこちらを向いた。ちょっとまって、実物、めちゃめちゃかわいいな。

「だ、だいじょうぶだもんね。ランボさん強いからこんなの、へっちゃら、だもん……」
「……」

どうやらへっちゃらではなさそうだ。
傷だらけの泥だらけでそれでも何とか泣きまいと我慢する姿はむしろ愛らしくしか見えない。本当の5歳児相手にここまでやるあのエセ赤ん坊に怒りが沸いてしまうくらいには。
行儀は悪いけれどもパピコを口にくわえて、両手でぱたぱたと服についた泥を払ってあげていると、ちびっこはじっと私のパピコを見ていた。

「アイスすき?」
「すき!」

まあ嫌いな人はなかなかいないだろうけど。元気のいい即答にふっと笑って、コンビニ袋から残りの1本を出す。先をとって渡すと、嬉しそうに口にくわえた。

「パピコ美味しいよね」

くわえたまま、ぶんぶんと勢いよく頭を縦に振るちびっこにまた笑う。
潤んでいた目からはもうその気配はなくなっていて、にこにこと満足げな様子を見るともう大丈夫そうだ。

「あんまり一人でうろうろしてたら危ないから、早く帰りなね」

そういって離れようとした私の服が引っ張られた。
振り返ると愛らしい顔で私を見上げて、服をつかんでいるボーイがいる。
何も言わず前を向き歩き出そうとするけれど、やっぱり離してくれることもなく、くるりと振り返って「どうしたの」と尋ねる。「何かもらったらちゃんとお礼するんだもんね!約束したもんね!」と元気に答えるちびっこに、ああ〜奈々ちゃんママの教育の賜物か〜と拍手したくなった。

「お礼?何かくれるの?」
「でもここにはないからついてくるんだもんね!」
「え……」

そ、それはもしかしたら沢田くんちに向かってしまうということなのでは。
確かにこれは偶然の出来事ではあるけれども、私は沢田君に好意を持っているわけだし、それを前提にすると別に沢田くん本人に招かれたわけではないのに、居候くんに招かれたからといって行ってしまったらなにそれラッキースケベじゃないけどラッキーハプニングみたいな……。
――いや、下手したらストーカーになってしまうのでは?

「ご、ごめん、私今から用事があって」

そう断ろうとした私に、彼の目がまた悲しげに揺れる。

「あっでも別に急ぎじゃないから、後で!後で行くことにするよ!」
「じゃあ行くもんね!」

ぱっと顔を明るくしたちびっこに、もしかしたら確信犯か?なんて思いながらも、ついていくことにした。



***



沢田≠ニ書かれた表札に、やっぱりかと心の中で呟いた。
ぐいぐい中に連れていこうとするランボくん(道中で自己紹介し合った)に首を振るも、イヤイヤと大声で騒ぐ彼。さすがに5歳というまだ判断がしっかりしていない子でしかも家の主ではない居候くんに家に上がっていいよと言われても、はいそうですかとはいかない。
私ここで待ってるよ、と言うもヤダヤダとごねる。うーん、と頭を抱えていると、ガチャ、と玄関のドアが開いた。

「ランボ!外で騒ぐなっていつも言っ、て、んだろ……」
「こ、こんにちは」

勢いよく声を荒らげながら出てきたのは、お決まりのごとく沢田くんだった。
一瞬の間が空いて、「なんで蕪木さんが!?」と驚いてた。なんというか、本当に典型的な人だなあ。

「ツナ!ツナ!嫩にパピコもらったからお礼しろ!」
「なんで俺がするんだよ!?つーか何貰ってんだお前!?そして何呼び捨てしてんだよ!?」
「お、おお」
「なんで蕪木さん拍手してんの!?」

いや、あまりにもツッコミが的確且つ簡潔且ついい勢いだったもので。
そう言うと、「ツッコミ褒められてる〜!?」ってまたツッコん(?)でた。

「蕪木さんごめんね、うちのランボが迷惑かけて……!」
「いや、別に迷惑とかは掛けられてないよ、寧ろ可愛いし」
「可愛い!?あれが!?」
「か、可愛いよ」

相当、苦労させられてるんだろうな。いや、知ってはいるけど、信じられないといったリアクションのあと、明後日を見出した沢田くんにその大変さは計り知れないなと思った。

「立ち話もなんだし、蕪木さん上がってって!」
「え!?」
「お礼もしたいし!」

ね!とにこにこ笑顔を向けてくる沢田くんに断れるはずもなく。
初めて沢田家に足を踏み入れることになったのだった。