《もし私が、ヒトに害を成す何かになったら、その時は私を海の底に沈めてね》
そう、ユズリから掛けられた言葉の意味が全く分からず、緑谷は動揺して言葉が何も出なかった。目を見開いて青ざめた様な顔で見つめるだけだ。
その様子を目に映して、薄く笑ったユズリが何事もなかったかのように教室へと入っていき、つられるようにして緑谷も教室に入った。その意味を考えこんでしまい、「おはよう」と挨拶をしてきた麗日にも元気に返せず、麗日に心配されてしまうのだった。
「昨日の戦闘訓練お疲れ。Vと成績見させてもらった」
始業のチャイムとほぼ同時に教室に入ってきた相澤がHRの中でそう話題を切り出すと、爆豪を諫め、緑谷に叱咤を送った。
その言葉が、個性把握テストのときの厳しいものだけでなく、上を目指すことを促すような内容も含まれていて、緑谷は嬉しさを少し孕みながら気持ちがきゅっと引き締まる。
気合を入れて返事をした後に、相澤がちらりと視線を蘇芳へ寄越す。それに気付いた彼女がわざとらしくにこりと笑うのを、緑谷は見逃さなかった。
***
今朝のHRで唐突に決めることになった学級委員長。
ほとんどの者がやりたがり、自己投票もありということで自分に入れるものが多かった中、飯田・轟・蘇芳が0票だった。
4票を獲得した緑谷が委員長、2票を獲得した八百万が副委員長に決まったのだが、言わずもがなユズリは緑谷に投票していた。
別に自分がやりたいと思うわけでもなく、そこまで他者とのつながりが現時点であるわけでもない。ただ緑谷に関しては、いい子だというのは身をもって知っているので彼に投票しようと思った。
お昼休みになり、昨日爆豪から教えてもらった麻婆豆腐の甘口定食・杏仁豆腐付きを頼み、受け取る。食堂内を見渡すと爆豪が座っていた。隣の席は案の定空いているため、そこに向かう。
爆豪から嫌がられている自覚はあるが、正直反応が面白いのでちょっと気に入っていた。
「隣いい?」
「他のとこ行けや」
「空いてないもの」
「空いてんだろうが!テメェの目は節穴か!」
予想通りの反応に少し笑ってしまいながら、まあまあと宥めてトレイを置く。
座ることを決めたのが分かると大きな舌打ちをするものの何も言わなくなる爆豪は、なんだかんだそこまでユズリのことを煩わしくは思っていなかった。
クラスメイトの女子達に比べればうるさくない、というのが一番の理由だ。
これが芦戸や葉隠だったりしたら、恐らく「ウルセェ」の一言と、彼女らが動かなければ爆豪の方が動いていただろう。
「見て見て、麻婆豆腐甘口にしたのよ」
「ハッ、ガキ舌」
「まあ、どちらかというと甘党みたいね。昨日知ったわ」
「……そうかよ」
一瞬「は?昨日?」という顔をしたが、すぐに興味無しの表情になった爆豪はそれだけ返した。
麻婆豆腐の甘口は全然辛くなく、寧ろ少し辛みがあってもいいくらいかもしれないと思った。中辛くらいがいいのかもしれない。爆豪に美味しいわねと伝えると、またも「そうかよ」とだけ返された。言葉のキャッチボールとは。
杏仁豆腐目当てで定食にしたのだが、結構ボリュームがあり、ちまちまと食べ進めていると、ユズリの向かいの席にひとつ影が落ちる。
「ここいいか」
食堂のトレイを持って立っていたのは、白と赤の髪の毛の少年・同じクラスの轟焦凍だった。
食べていたのを飲み込み、どうぞ、と言うと、「サンキュ」と小さく頭を下げてから腰を下ろした。
轟は顔が整っている美少年なのだが、その顔には痛々しい火傷の痕がある。そしてそれを差し置いても、冷たく感情の伴わないような目と声。
昨日、戦闘訓練で手合わせをしたときには表情が歪んだが、それでもその目はユズリを見ていたというよりは、何か別の遠くのものを見ているようだった。
そういう人物の雰囲気は、別に不得手でもないが得手でもない。ずかずかと踏み込むことは別に必要であれば気にしないが、あからさまに他者との間に壁を作るものには好んで関わらない。というのがユズリのモットーであったが、轟の方がそうではなかった。
「昨日の氷、どうやって溶かしたか気になって夜しか眠れないんだが」
「え、それ普通じゃないの?」
真面目なのか冗談なのか分からないトーンでそう切り出した轟に、驚きつつも返すと、「まあな。でも気になってるのは本当だ」と言われた。
冗談だったらしい。わかりにくい。
「内緒って言ったでしょう。それにどうせそのうちわかるわよ」
「そう、なのか?」
「そうそう。ところで轟くん、あなたの食べているそれはなに?」
「これは蕎麦だ」
「蕎麦。美味しい?」
「美味い」
蕎麦、蕎麦か。見た目は灰色っぽい、食欲をそそる色かと言われれば首を傾げるが美味しいらしい。まあ、日本は納豆とかいう豆を発酵させたものもあるし、しかもかなりの人気だし、あまり見た目ばかりではないのか。
明日は蕎麦にしてみよう、と思いながら、漸く麻婆豆腐とご飯たちを食べ終えて、デザートの杏仁豆腐に手を付ける。
昨日知った美味しさにしっかりハマってしまい、このために定食にしたと言っても過言ではない。舌鼓を打ち、その甘さに頬を緩めているのを、轟がじいと見ている。
「そういえば、蘇芳は誰に入れたんだ」
いきなり振られたそれが、学級委員長を決めた投票のことだと理解するのに一瞬を要して、間をおいて「緑谷くん」と答えた。
それに対して、一瞬の間を置かず隣の爆豪が「ッハァ!?」と大声を上げた。
「え、なに、びっくりするじゃない」
「テッメェ、何でデクに入れとんだ!」
「人が好さそうだなと思ったから」
「俺の方がいいわ!」
「ええ?それはちょっと、頷けないわよねえ、轟くん」
「まあ、そうだな」
「ぶっ殺すぞテメェら!!」
「まあまあそうカッカしないで、杏仁豆腐いる?ひと口だったらいいわよ」
「そんな物足りなそうな顔していらねえわ!」
「轟くんも自分には入れてなかったわよね。誰に入れたの?」
「ああ、俺は、」
ウウウーーーー!!!
轟の言葉の途中、突如響き渡った警報に食堂内の生徒達が一斉に立ち上がる。
『セキュリティが突破されました。生徒の皆さんはすみやかに屋外へ避難してください』
流れてきた放送に、校舎に誰かが侵入してきたんだ!という声を皮切りに、一斉に出口へと向かい始める。人の波となったそれはうまく避難もできず、パニック状態へとなっていく。
「侵入者……」
「おい、何呑気に座っとんだ」
爆豪が、スプーンを片手に座ったままでいたユズリの腕をぐいと引き上げ立たせる。
そこに人の波が寄せて、ぶつかられたユズリは爆豪の胸に顔をぶつけた。
「痛い……」
「雄英に侵入者?命知らずな奴もいるもんだなァ」
「その前に、このパニックなんとかしねェと怪我人が出るぞ」
爆豪と轟が余裕そうに会話しているが、身長が女子にしては高いが男子ほどではないユズリはぐいぐい押しやられる圧で身動きが取れず、先程爆豪の胸にぶつかったままそこから離れられずにいる。
このままだと圧死する、なんてぼんやり思っていると、突然轟音が響き「大丈ー夫!!!」と聞き馴染みのある声が聞こえてきた。そちらにどうにか目を遣ると、クラスメイトの飯田が非常口灯の上で声を張り上げていた。
「ただのマスコミです!なにもパニックになることはありません!大丈夫!ここは雄英!最高峰の人間に相応しい行動をとりましょう!」
飯田の言動によって、生徒達は冷静さを取り戻し食堂のパニックは沈静化したのだった。
人の波が緩まり、ぱらぱらと散らばっていく中、ユズリはというと若干目を回していた。そのぐったりとした様子に、轟が首を傾げる。
「大丈夫か?」
「ちょっと……人酔いしたかもしれない」
「ハッ、雑魚」
「うるさいわよ」
ここまで密集した人間に囲まれもみくちゃにされることはなかったため、その熱気にくらりと来てしまった。ふう、と一息つきながら顔に手を当てていると、こちらをちらちら見ている轟と目が合った。
「? なにかしら?」
「いや……それ……」
そう言って床を指さすその先には、転がった杏仁豆腐の容器。無惨にも中身もこぼれてしまっていた。
人の波が寄せてきた時に恐らくテーブルにも当たって、落ちてしまったのだろう。
それを目にしたユズリの纏う空気が、穏やかでないものに変わる。
「私の、杏仁豆腐」
「お、おい……」
「ざまァ」
「爆豪、そういう言い方はねェだろ」
「もう1個頼んでくる」
そう言って注文口へ歩き出した背に、昼休み終了のチャイムが鳴り響いた。
そのタイミングの悪さに、ユズリが立ち止まってぷるぷると震え、さらにそこに爆豪が「ざまァ」と言葉を投げる。ぐるりと振り返ったユズリの目の端に少しだけ光るものが見えたような気がして一瞬ぎょっとしたが、声を出す暇なく胸倉を掴まれぐらぐらと前後に揺すられた。
「私が一体何したって言うのよおおお」
「てめ、やめろ、離せ、ぐえっ」
「蘇芳、爆豪が死ぬぞ」
「死にゃしねェわ!」
「許すまじマスコミ!!」
フーッフーッと威嚇する猫のようになっているユズリに、爆豪と轟は「食べ物の恨みってやっぱこええんだな」と顔を見合わせた。