05

鏡の前に立ち、くるりと回り身なりを確認する。
真新しい制服に身を包んだユズリは、期待で胸を膨らませていた。

この世界にきて1年以上が経った。その間、ひたすらにこの世界のしくみを知るために、あちこち探検してみたり便利なテレビなどで情報を集め、時折オールマイトの仕事について回っていた。
この世界は、吸血鬼や悪魔といった人間ならざるものは存在しないものの、ただその人間が人間らしからぬ特異体質を持って生まれることが多いらしい。その特異体質を《個性》と呼ぶのだが、異形系から能力系とそれは本当に人それぞれ異なる。この世界は今や人口の8割が個性を持つという超人社会で、どうりで見かけのおかしな奴が歩いていようと不思議がられ筈だ。ユズリから見ればそれは恵まれているようにも思えた。
話が逸れたけれども、そういった超人たちによって脚光を浴びている職業がヒーローだ。ヒーローという言葉自体はもちろん聞いたことはあるけれど、それが職業であり、しかも公的なものになっているというのはかなり驚きだった。ヒーローなんて言葉や存在は空想のものでしかなかったものだ。
個性の使用は本来公共の場では禁止されている。だがそんな能力を持ち合わせて仕舞えばやはりよからぬことを考えるやつも現れる。それに対抗するヒーローは、きちんとプロヒーローとしてデビューしていれば要請の有無に関わらず個性を使用しての救助、犯人確保等の行動が許されるということだった。
オールマイトはそのプロヒーローの中でもトップの座に君臨するほどの人物らしく、その名の通り、何か事件や困った人がいれば飛んでいくような人物だった。まさに、困っている人がいたら見捨てられない性格。最初にユズリに声をかけ根津のところに連れて行ったのも、そういう性格故だったのだろう。
そんなオールマイトとの出会いを経て、根津との出会いを経て、その根津が校長を務めているという雄英高校へユズリは通うことになった。

正直な話、最初にその話が持ち上がったときはかなり気が進まなかった。
自身が吸血鬼であることはもちろん、それに伴って人間を全く襲ったことがないかと言われればそれは否定できない自分が、果たして雄英高校という世のため人のための将来を進む子供たちの中に加わっていいのか。今となっては人間相手に自ら望んで危害を加えようとは思わないが、それでも生き物としての根本が違う。そう、柳眉を寄せて言うユズリに対して、根津はあっけらかんとした風に口を開いた。

「人間か人間じゃないかなんて関係ないのさ。人間でも人間を襲うこともある。そんなものは私としては別に気にならないよ、実際私も人間じゃない訳だしね」

立派なデスクに腰をかけて真っ直ぐユズリをみて言い切った根津に、暫く考えた後、その話に頷いたのだ。





***





「広すぎる……」

雄英高校ヒーロー科に合格して初めての登校日。
1年A組の配席が伝えられた緑谷出久は、これからの学校生活に胸を踊らせつつ、しかしながら怖い人とは同じクラスになりませんように、と祈りながら教室を探していた。

「きみ」

廊下を進む緑谷の背にひとつの声がかかる。
鈴のような凛とした綺麗な声だった。

「は、はい!」

緑谷の他に人間は辺りにおらず、それが自分に掛けられた声だと気付いて慌てて振り返った。
そこに立っていたのは、自分よりも少し背の高い女性。あまりにも整った顔立ちに思わず息が止まった。長い桃色がかった金髪が彼女が少し動くだけで気持ち良さそうに揺れる。
意思の強そうな瞳が緑谷を写し、女性は少しだけ目を細めると流れるような動作で緑谷の首元に顔を寄せ、スン、と鼻を鳴らした。

「え、ええええ!?な、あの、え!?」

匂いを嗅がれたのだとわかった瞬間、顔が爆発するのではと思うくらい熱くなった。おそらく、今顔は真っ赤だ。
ガチガチに固まってしまった体で、あ、とか、う、とか言葉にならない音を吐き出していると、その女性は離れてくすくすと楽しそうに笑った。

「ふふ、別にそんなに怯えなくてもとって食いやしないわよ」
「いや!あの!すみませんそういうつもりじゃ……!」
「大丈夫、気にしないで。あなた1年生?何組?」
「あ、はい!1年A組です!」
「私もA組なの。でも場所が分からなくて、ご一緒してもいいかしら」
「えっ?あ、はい、もちろん!」

正直驚いた。てっきり先輩だとばかり思っていた。
貫禄というのか、堂々としていて落ち着いていて大人びていて。まさか自分と同じ歳には見えなくて、でも果たしてそれは人にとっては褒め言葉として取りにくいものかもしれないと思い、口から出かけた言葉を飲み込む。
こっちです、と言いながら踵を返し、歩みを進める。後ろからついてくる気配はとても希薄で、でも印象的で、楽しそうだなと思うくらいには足取りが軽かった。

「あ、名前」
「え?」
「あなた名前なんていうの?」
「あ、緑谷出久です!」
「緑谷……そう、やっぱりあなたが」

目を少しだけ細めて、楽しさと寂しさの入り交じったような複雑な声でそう言う。
やっぱり、と言われるほどの身に覚えが一切なく、そのまま疑問にすれば「なんでもないわ」と笑って流されてしまい、彼女の名前を尋ねるタイミングを逃してしまった。
そうして、少し歩くと目的の教室へとたどり着いた。

「ここ?」
「ですね」
「随分と大きな扉ね」
「多分、色んな個性に対応した結果なんでしょうね」

そう会話を交わしながら、緑谷の心中は穏やかじゃない。入試の時に出会った、まあ、騒がしかった自分が悪いのではあるが、初対面で手厳しく注意をしてきた眼鏡の男子と、よく知る粗暴な幼馴染みと同じクラスになりませんように、その一心だ。
ガラリと恐る恐るドアを開ける緑谷の目に映ったのは、全くもって望んでいない、同じクラスを避けたかったツートップのいる光景だった。しかもその2人が入学初日早々どうにも揉めているようだった。

「賑やかなクラスになりそうね」

その様子を見た後ろの女子は、口元に手を当ててくすくすとまた楽しそうに笑っている。
よく笑う人だな、と思った。
同時に、その雰囲気が今まで会ったことのある誰とも似ていないなとも。
そんなことを思っていると、口論になっていた片方、眼鏡の男子が緑谷に気付きつかつかと歩いてくる。先程、口論相手にしていた自己紹介を繰り返そうとする男子に、緑谷はそれを制した。

「僕緑谷。よろしく飯田くん!」
「よろしく、緑谷くん。ところで、君の後ろにいる女子は……ここのクラスか?」

その微妙な間は、飯田も恐らく彼女の雰囲気に同級生なのか先輩なのかを判断しかねたからだろう。背もそこそこに高いのと、かわいいより断然綺麗よりの顔立ちに、瞬時に判断できなくても仕方ないと思った。

「同じクラスだよ。えっと、」
「蘇芳ユズリよ、飯田くん。よろしくね」
「あ、ああ、こちらこそよろしく、」
「あ!そのモサモサ頭は!」

ふたりの挨拶が終わろうとしたところに、新しい声がかかる。
どこか聞き覚えのある声に振り向くと、入試受験日当日に助けてくれて、そして自分が雄英高校に合格できるよう高校へ掛け合ってくれた、恩人とも呼べる女子が立っていた。
「地味めの!」と評されたがまあそれは自覚があるのでよい。

「ところで、す、すごい別嬪さんがおるね……!」

いくつか他愛ない言葉を交わしてから、その女子が緑谷にすっと近付き、少しだけ声を潜めてそう言った。
恐らく小声になったのは、先程の飯田と同じく同学年かどうかの確認ができず、どう接したらいいのか分からないからだろう。そして何より、彼女はどうにも自分から話そうとしない。興味なさげにしているわけではなく、寧ろしっかりとこちらにアンテナを張り聞いているようだけれど、不必要には口を開かないのだ。
自分に声をかけたのは教室がわからずによっぽど困っていたのだろうな、と緑谷は思った。

「彼女は蘇芳ユズリさん。僕もさっき知り合ったばかりなんだけど同じクラスだよ」
「蘇芳さん!よろしく!私麗日お茶子です!」
「麗日さん……」
「は、はい?」

名前を聞いて、じぃ、と麗日を見つめる蘇芳。その面持ちが真面目で、しかも顔のいい女子に見つめられて、麗日は顔を赤らめながら思わず緊張する。

「名は体を表すとは言うけれど、なるほど、とても暖かい感じがするわね」

「まさに麗らか」と小さく笑んだ蘇芳を間近に見た麗日は、赤く染まった頬を手で抑えながらはくはくと口を動かすばかりだった。