遥かなるスケープゴート



会話の生まれないデスクワークに気を揉み、なんとなしに、昨日クラウディア准将とお話しました、と上司にとって馴染みのある名前を切り出してみた。
比較的懇意な間柄である彼女のこととなるとさすがの彼でも気が向くのか、その仏頂面をデスクから上げた。

スモーカーさんとクラウディア准将は昔馴染みらしい。しかしヒナ大佐とは違って同期ではなく、クラウディア准将のほうがスモーカーさんよりも後に海軍に入隊したそうだ。
そんな上司が小さく溜息を吐いたきり何も言わずに再び書類に向かったのをいいことに、調子に乗った私は言葉を続けた。

「お風呂をご一緒したんですが、やっぱりいくつもの戦場を潜り抜けてきたからか傷跡もたくさんあって……特にお腹の傷とか。」

その時、それまで黙々と書類にペンを走らせていた上司の手がぴたりと止まった。その異様さに、またなにか地雷を踏み抜いてしまったのかとぎくりと肩を強ばらせる。慌てて取り繕うようにして、意味もなく眼鏡をかけ直してみたり、忙しなく手を振ってみたり。
やっぱり無駄話なんてするんじゃなかった。

「あっ、ひ、人様の身体の事情をべらべら話すだなんてよくないですよね。私ったら…」
「違ェ。いや、まぁそれもあるが……お前、あいつの傷見たのか。」
「え?はい…昔にやんちゃした時の傷だって…」
「……何か余計なこと言ったんじゃねェだろうな、あいつに。」
「えぇっ!?そんな、余計なことなんて私何も…!」

だったらいい、と吐き捨てたスモーカーさんの眉間には、さっきよりも三割増で皺の数が増えていた。
突然急降下した上司の機嫌。それは流れから考えて私がクラウディア准将の傷について触れてしまったからだと思う。特に、腹の傷についてだろうか。
あの傷がただのそれではないとすれば、そう言われてみるとクラウディア准将のあの腹の傷には、どこか違和感を感じていた。


真正面から、何度も何度も繰り返し刺されたような、そんなもの。

果たして上司の言う“余計なこと”とは、この事だったのだろうか。
まだまだ未熟な私には、雲の上の存在に近い上司の意図など到底汲めるはずもなかった。