03
『第三話』
○ 杉元佐一の妹は天真爛漫なじゃじゃ馬娘であった。女子でありながら男子に混じって野を駆け、木の枝でチャンバラをして遊び、毎日衣服を泥だらけにしては母に怒られていた。
「にいちゃん、にいちゃん!今日ね、こんなでっかい蛙がいたんだよ!それを捕まえて寅次に放り投げたらなんて言ったと思う??」
「さあ、なんて言ったんだ?」
○が妹のナマエにそう尋ねると彼女はくふくふと抑えた笑い声をこぼすと寅次という佐一の幼馴染のマネなのか大きな身振り手振りで体を揺らして言った。
「うわあ!とってくれぇって!!」
○とうとう我慢が効かなくなったのかナマエは腹を抱えて笑って、ね、面白いでしょ?と言った。悪戯もその意地の悪そうな顔も佐一にとってはとても可愛いらしいものだったが、蛙を投げられた寅次はたまったものではなかっただろう。
○佐一はそれとなく、本当に少しだけナマエが拗ねない様に窘めた。
「ナマエ、あんまり寅次をいじめてやるな。それにお前は体を壊しやすいんだ。あんまり体を冷やすなよ」
○杉元佐一という男は妹に偉く甘かった。ナマエとは歳が七つ離れており、彼女が生まれた日には佐一はそれはもう世話を焼いた。忙しい母に変わって幼い妹を背中に括ってあやし、おしめを替えて母の代わりに出もしない乳を吸わせたこともあった。
○ナマエが熱を出した時にはまるで自分のことの様に辛がって、鼻をかめない妹に変わって鼻水を吸ってやる位に佐一はナマエを溺愛していたのだ。そんな最愛の妹が結核にかかった時、佐一はどん底に突き落とされた心地だった。決して助かることのない不治の病とされた結核はナマエの環境を180度変える。今まで遊んでいた子供達も、ナマエに惚れていたであろう生意気な餓鬼も可愛がってくれていた八百屋のおやっさんも村の人間の殆どがナマエをいないものとして扱った。
「にいちゃん、くるしいよ、つらいよ」
○けほけほと小さな咳はやがて肺をひっくり返す様なものに変わり傷ついた喉からは血が出て口を抑えるナマエの小さな手を赤く濡らした。
○やがて、結核を発病したナマエは山奥の隔離小屋へと移されることとなり、佐一は全力で大人たちに食ってかかり妹を奪われないよう抵抗した。
「奪うな!俺から奪うなよ!妹を連れて行かないでくれ!!頼むよ!!」
「佐一、恨んでくれるなよ。これは村の、お前の為でもあるんだ」
「やめろ!連れて行くな!!おい!」
○大人の力には抗えず奥の部屋から担架に乗せられて運ばれるナマエを佐一は見届けることしか出来なかった。
「にいちゃん、こわい、たすけてぇ、にいちゃぁん」
○掠れて音になっているかもわからない様なか細い声だったが佐一には耳元で囁かれた様に大きく聞こえた。自分は助けてやれない。大切な妹を守ってやれない。
「俺は、兄貴失格だ・・・!!」
*
「どうした杉元?ぼーっとしていたぞ」
「えっあっ、何でもない」
○シリパに習って兎を捌いていたナマエを見つめたまま物思いに耽っていた杉元は突然目の前に現れたアシリパに体をビクつかせた。
「そら、杉元。ウサギの目玉食べていいぞ」
○眼前に差し出されたテラテラと光る目玉に杉元はイーーーッと奇声をあげた。その光景を間近で目撃したナマエは思わず口元を片手で覆う。
杉元が目玉を噛み潰したブチュンという音が生々しい。
「どうだ杉元、ヒンナか?」
「うっ、あう、オェっ」
「オエ?」
○不機嫌な顔で聞き返したアシリパに杉元は元気のない声でヒンナと呟いた。
「よし、もう一個あるぞ!ナマエ!特別にわけてやろう!」
「え、」
「杉元ぉ〜残念だなぁ〜。本当は全部お前の分なんだがナマエがどーしても食べたそうな顔で見ていたからなぁ〜」
「えぇ〜、そうなのぉ〜?仕方がないなぁ〜」
○全く仕方がなさそうな顔をしていない杉元を初めてナマエは恨んだ。
○有無を言わさぬアシリパと杉元に挟まれたナマエは恐る恐る目玉を口にして糸切り歯を突き立てる。
プチュン
「おぅふっ」
「ヒンナか?ええ?ナマエヒンナはぁ?」
「ひ、ひんな?」
「そうだ。ヒンナは獲物や食事に対する感謝の言葉だ」
○そんな事を言われてしまえば言わないわけには行かずナマエは口の中にまとわりつくドロリとした目玉だったものを飲み込んで戦慄く顎を叱咤すると感謝の言葉を口にするのだった。
○その後、ウサギの肉や耳をチタタプという調理法で美味しく頂いたナマエは偉くご満悦の様子でヒンナと呟く。
「これさ、このままでも十分に美味しいけど味噌を入れたらもっと美味しくなるんじゃないか!?」
○杉元が取り出した器の蓋を開けるとそこには味噌がすりきりいっぱいに入っている。なぜ味噌を携帯していたのかは置いておいて、ナマエは杉元の言葉に頷いた。
「味噌!!確かに!合わないはずがない!!」
○二人して器の中身を見ながらはしゃぐ様子に仲間はずれにされたアシリパが拗ねた様に何だそれはと尋ねるので杉元は得意げにその味噌をみせた。
「オソマ!!」
「おそま?なんだいそれ」
○味噌を見たアシリパはとても衝撃を受けた様でかなり不細工な表情を見せて叫んだ。アシリパの叫んだ言葉に聞き覚えのない杉元が聞き返すとアシリパは味噌から目を逸らさないままうんこの事だと言う。
「うんこじゃねーよ!味噌だよ!ほらうまいから入れてみろって!」
「やめろ!!うんこを近づけるな!」
「アシリパ。味噌は蒸した大豆を塩漬けして発酵させたもので決してうんこではないんだよ?」
「私は騙されないぞ!!」
○頑なにうんこだと言い張るアシリパに杉元は説得を諦めて美味いのにと呟くと箸で少し掬って飯盒の蓋に盛ったオハゥの中に溶かして啜る。
「ん!やっぱ美味い!!やっぱ日本人は味噌だよな。ナマエ、ほら!」
「ふぉぉ!ウサギの肉と骨から出た旨味が味噌やキノコの香りと共に鼻腔を刺激するぅ!!味の革命だ!!これは絶品ですよぉ!!」
○杉元から渡された飯盒の蓋の中身を啜ったナマエは暴力的とも言える旨味に思わず唸り声を上げる。
旨味に悶えるそんな二人をアシリパは冷めた目で見つめるとうわあと身を引く。
「うんこ食って喜んでるよ」
「「ヒンナ、ヒンナ」」
「黙れ」
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