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『第四話』
 
軍人から追われていた杉元たちは散り散りになって雪山を逃げ回る。ナマエは自分の背後に誰も追っ手が来ないことに安堵したが直ぐにそれ即ちアシリパと杉元が危険に晒されている事だと気がついて慌てて元の道を戻ろうと背に抱えていた真剣を杖代わりに駆けると、突如眼前に白銀の毛並みを持つ大きな獣が現れた。

「っ!!」

ナマエが生まれた頃にはもう狼は絶滅しており、その姿を間近で見たことがなかった為反応が遅れたが目の前の獣は間違いなくエゾオオカミだった。
緊張に引きつった呼吸でナマエは喉を鳴らすと、件の狼は彼女に鼻を近づけでふんふんと臭いを嗅ぐ。そして一通り嗅ぎ終わったかと思えばナマエの襟を咥えて勢いよく己の背に乗せると雪原を猛スピードで駆ける。

「え、え!?」

理解の追いつかないナマエはひたすら振り落とされぬ様狼にしがみ付いて前を何とか目を薄く開いて見据えた。暫くすると、見覚えのない後ろ姿と緊迫した様子のアシリパの姿を捉えるとナマエは躊躇なく真剣を抜刀した。

「!!」
「レタラ!!ナマエ!!」

抜刀した剣は男が構えていた銃を捉えると遠くへ弾いた。レタラと呼ばれた狼はナマエを背に乗せたまま怯んだ男の右足を咥えると力一杯に振り回しす。そのまま雪に叩きつけられた男は気を失った様で、ピクリともしない。レタラが喉笛を食い千切ろうとした瞬間アシリパは慌てた様に彼を止めた。

「やめろレタラ!私はもう大丈夫だ!私のためにウェンカムイになってくれるな」

ナマエは抜刀していた剣を収めると静かにレタラの背から降りる。

「アシリパの所まで連れてきてくれてありがとう」

そう感謝の気持ちを言葉で表すとレタラはふんすと鼻を鳴らしてアシリパにじゃれつく。アシリパは珍しそうにレタラとナマエを交互に見やるとどこか納得した様子で頷いた。

「やっぱりナマエはカムイによって連れて来られたんだな。レタラが初対面の人間を背に乗せるなんて信じられない!ナマエ、お前にはカムイが付いているんだ!凄いぞ!」

レタラをわしゃわしゃと撫でながら興奮した様にまくし立てるアシリパにナマエはそんなことはないと首を振った。きっとレタラはナマエにほのかに残ったアシリパの臭いを感じ取って一緒に連れてきてくれたのだろう。決してナマエに特別な力があるわけではない。

「アシリパが無事でよかった」



小熊を抱えた杉元と合流したアシリパとナマエはアシリパの故郷であるコタンに向かうこととなった。
コタンに到着するとアイヌの子供達がわらわらっと集まってきて杉元とナマエの耳を指差してシンナキサラと声をあげた。

「これは、」
「みんな俺を怖がらないな」

ビヨヨン、ビョンビョン、ビヨヨン。という不思議な音を聞きながら杉元とナマエは拍子抜けしたように肩の力を抜いた。
シリパ曰く、アイヌは好奇心旺盛で新しい物好きなのだとか。

「フチ!!」

アシリパの案内で彼女のチセ(家)に案内された二人はチセの前で佇む老女に駆け寄るアシリパに頬を綻ばせた。どれだけしっかりしているとしてもアシリパはまだ子供なのだ。年相応の仕草が眩しい。

「これが私の母方のフチだ!」
「はじめまして」
「こんにちは」

杉元は軍帽をとって、ナマエは腰を軽く折って会釈とともに挨拶する。杉元は外套の合わせ目に抱き込んだ子熊をフチに見せる様に屈むと控えめに話しかける。

「お婆さん。俺はコイツを預けに来ただけだ。長居はしない。すぐここから出ていくよ」

そう早口に伝えると、杉元は遠くから射抜く様な視線に当然だよなと心の中でひとりごちる。なにせ和人と戦うために軍資金を貯めていた村なのだ歓迎されるはずがない。

「フチはシサムの言葉がわからない。飯を食って泊まって行けと言っている」
「・・・・」
「佐一さんここはご好意に甘えたほうがいいと思う」

言いたかったことが伝わらず、渋い顔をしながらもナマエに背を押される形でアシリパのチセに足を踏み入れた。



アシリパと杉元がコタンの子供達と遊んでいる間、ナマエは大人達と交流を深めていた。先程までは歓迎されないだろうと思っていたが、アイヌの人々はシサムである二人に大変興味を持っていたらしい。しかもアシリパの客だと聞いて、コタンの人々はとても喜んだ。
父を亡くしたアシリパはあまり笑わなくなり山に篭りっぱなしになっていたそうで皆は大層心配していたという。

「アシリパの父親は何故彼女に山で生きる術を教えたんでしょうか。村の女性たちの仕事ではいけなかったんですか?」
「・・・さあな。ウイルク、アシリパの父親の考えは私達にも判らん。ただ、ウイルクはアシリパを深く愛していた。それだけは確かだ」

大人達のアシリパを思う表情を見て、ナマエもつられるようにして安堵の息と共に微笑した。アシリパは孤独な少女などではない。彼女自身どう思っているか判らないが、彼女には優しい祖母と暖かな村人達が付いている。子供達も彼女を慕い尊敬している。彼女は呪われた金塊に関わらせないべきなのだろうか。
真実を知ることが必ずしも良い事であるとは限らないのだ。様々な思惑や企みによって捏造された情報の真偽は見極めが難しい。もし、間違った情報を聞いてアシリパが悲しむことになったらと思うだけでナマエの胸は張り裂けそうなほど痛んだ。

「金塊が見つかったとして、アシリパはどうするんだろう。佐一さんは・・・私は、帰れるんだろうか」

悶々と考えていたナマエだが、遊び疲れたアシリパとその従姉妹のオソマが寝こけている姿を見ていると眠気が襲ってきて、座り込んだまま眠ってしまった。

「ーーーーーーー」
「うん?」

寝てしまってからどれくらい経ったか判らないが、肩を揺さぶられる感覚でナマエは目覚めた。周りは真っ暗で視界の端にフチが眠っている姿が写り込んで、じゃあ誰が自分を起こしたのかと考えて背後を振り返った。

「あ、佐一さん。どうしたの?」
「起きぬけで悪いが、ここを出るぞ。準備してくれ」
「えぇ?アシリパは?みんなにあいさつ、」
「荷物は剣だけだな?行くぞ」

寝ぼけて状況が掴めないナマエを杉元は困った子だと言わんばかりに彼女の唯一の持ち物を担ぎ、肩からずり落ちた羽織(フチに寒いだろうからと貰った)を整えると子供にする様に脇に手を差し込んで立ち上がらせた。そのままナマエの手を握って引きずる様にアシリパのチセを後にする。

「ねえ!佐一さんてば!!待ってったら!」
「なんだよ」
「なんだよじゃなくて!!アシリパは!?なんで何も言わずに出て行くの??」

聞き分けのない子供の様にしてナマエが杉元を問いただすと、彼は淀んで暗い瞳をギョロリとナマエに向けた。

「アシリパさんは村のみんなに愛されてる。やはり呪われた金塊に関わらせるべきじゃない。彼女には家族がいるんだ」
「確かにアシリパは村にいた方が幸せだと思う。けどアシリパを置いていって自分を置いてかない理由が分からない。自分だけじゃ佐一さんの役には立てないよ。アシリパがいなきゃ私、足手まといだよ」

アシリパの所へ戻ろうと杉元の袖を引っ張るが鍛え抜かれた体はうんともすんとも言わない。

「俺にはなにもない」
「・・・」
「何もないんだ。でもお前は帰ってきただろ?だから無理だった。手放せなかった。お前だけは・・・やっぱり、俺は兄貴失格だ」

ナマエは杉元の顔をみて酷く驚いた。何故なら彼は切れ長の瞳から涙をはらはらと零していたからだ。焦点の定まらない瞳はナマエを見ているが見ていない。彼女に瓜二つの妹の影を見ているのだ。

「ナマエ。もうどこにも行くな。俺を独りにしないで」

そう言われて強く抱きしめられたナマエは何も言えなかった。ここで人違いだと言って仕舞えば杉元が壊れてしまう気がしたのだ。彼自身もうすでに自分の妹がこの世にいないことは理解している。理解はしているが受け入れている訳ではないのだ。だから瓜二つのナマエに妹の影を重ねてしまう。
ナマエは何も言わず無言で杉元の背に手を這わせると複雑な表情を見せないよう、胸元に頬を寄せた。その二人の姿は彼らを知らない他人が見れば別れを惜しむ兄妹に見えた事だろう。

「おにいちゃん」

吐息と共にナマエがそう呟くと背に回された腕がきつくなった。ナマエは罪悪感を抱く。何故なら、ナマエの兄と杉元は何一つ似ていないのだから。

「ごめんね、おにいちゃん」



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