#3-1


 上原千秋と真島明歩とは中学で初めて知り合って、それからあっという間に仲良くなった。ちなみに上原は剣道部で、もうずっと幼少期から続けていたのもあり剣道の腕前は先輩達をも軽々と超えていた。誰が見ても明らかにレベルが違う。頭一つ分飛びぬけていた彼は、入学早々話題を集めていたようである。

「見ろよ。上原の奴、まぁた顧問打ち負かしてしもたわぁ〜」
「先輩相手にも立てるとかしねーものな、あいつ。まッ、実際強ェんだから俺はいいと思うよ。嫌いじゃないぜ、そういうの?」

 実力もあり、彼自身はある意味正直すぎるというか――まあちょっと態度が悪い時があった。目上の人に対しても、自分と同等なものと考えているところがあって……あ、そりゃあまあ自分より強い相手にはそれなりに敬意を払うみたいではあったものの、気に入らない相手には強く当たる事が多かった。

 加えて……、というか、それから更にその容姿。どこか中性的で王子様のような顔立ち、ゴツすぎずスマートな体格、汗臭いイメージの付きまとう武術という世界からはかけ離れて見える佇まい。女子はみんな当然の事ながら夢中になった。で、キャーキャー騒がれて、そりゃあまあ男子からは相当嫌われていただろう。自分はまあどうでもいいか、と遠目で捉えていたわけだが――そんな彼と知り合ったのは中学校一年の頃合い。入学して一か月また二か月と過ぎ、夏の気配も近づくかそうでないか。
 微妙な暖かさが季節の、ある日の放課後だった。

「上原ぁあっ! てめぇはよ〜〜〜、気に入んねーんだよッオラ!!」
「いつも舐め腐った態度とりやがって、それが先輩に対する対応かっつーんだ。世間の厳しさをここで正しといてやるよ、喜べ」
「……?」

 トレーニングの走り込み中だった俺、こと緒川。フルネームは、緒川駿平。
 みんなからは駿平の『ぺー』の部分を取ってそう呼ばれる事が多いんだが、何かそれダサくね?――ま、別にいいけどよ――ともかく俺は足を止め、焼却炉の前に呼び出しを食らっている上原のまばゆい金髪を目に留めた。
 こりゃまた改めてみると随分とサラサラな髪質だ。俺のように、やっすいシャンプーでガシガシ適当に洗い流すだけのような雑な事はしていないんだろう。本来の美しさなのか、ケアがなせる賜物なのか、まあともかく。下手をするとその辺の女子よりも綺麗な髪の毛がふわっと揺れたかと思うと、上原は先輩のモップの一振りを当然のことのようにサッとかわした。

 だわな。そらそうだわな。あの反射神経、並大抵じゃない。

 野郎、と手アカのついた台詞と共に隣のガタイのいい先輩も飛び出した。……こっちはちょっと分が悪そうだ。何せ図体がでかい。それも単なるおデブじゃなくて、がっしり系の筋肉太り。
 細身で剣道出身の上原とは雲泥の差だ、体格も戦い方もまるで違うだろう。俺は自分自身が古武術を習っていたのもあり(実家が道場で、その師匠が親父だ)、ついそんな風に先行きを観察してしまう。興味もあったんだろう、この上原という存在自体にも。すぐにでも止めに入るべきだというのに、上原はどういう出方をするのかこの時俺は肩を竦め、それから目を細めた。

 柔道の重量級のようなその先輩は上原にタックルをかまし、戦法なんぞは無視したのしかかりであっという間に上原を沈めた。そして、容赦なく顔をぶん殴った。

「女みてぇなツラしやがって、女子が見たらがっかりするくらいにボコったれや」
「転んだらもっと『きゃっ』とか女みてぇな声出すかと思ったのになぁ」

 で、流石に俺もこれには黙っていられなくなった。――ああ。うん、ちょっとな。最初は思ったのさ。上原、お前にも落ち度があったんじゃねえのかって。あーゆー態度ばっか取ってっからさ、自業自得なんじゃねえのか? って、ちと思っちまったんだ。けど、これは少し俺も解せない。多勢に無勢で、それも規格外の奴まで連れてくるなんざ卑怯だ。フェアじゃない。まあ、俺の師匠に言わせたら『喧嘩に卑怯もくそもあるか。喧嘩つってんなら、眼球を抉れ、金的も蹴れ、耳も狙え、心臓も殴れ!』――、らしいんだけどね。

「オルァア、てめー上原よぅ、ちったぁカワイイ事言って尻尾フリフリしながら泣いて謝ってみな? お前に惚れてる女どもみな幻滅しちゃうぜ!」
「ホレホレ苦しいかぁ、んあぁあ〜〜ん!? このままお前の剣を操る腕をボギィッ!!と折りぃ、それからそれからお前のそのすかした顔の鼻っ柱をビシィイ! っと殴ってへし折って――」
「……、の、クソデブが……」

 もみくちゃにされながら上原が呻くように言ったのが分かった。強がりか? 負け惜しみか? 最後までプライドを捨てないその誇り高い精神に俺は感動したさ、ああ、したよ。もう分かった。けど、お前もう辛そうじゃん。大人しくしとけって。
 俺が羽織っていた学ランを脱ぎ捨て、颯爽とそのおデブの前に現れようとした時に、組み敷かれていた上原の気合いの入った声が一つ聞こえてきた。

「デブは足が弱ェんだろっ!!!」

 王子様とはややかけ離れた少しオラった声と共に、上原は自身を拘束する肉の塊――いや失礼、重量級なその相手の案外立て付けの悪そうな足元めがけて鋭い蹴りをかましていた。無論、上原にとっては規格外なものであろうし決して強い蹴りとは言い難いのだろうけれども確かにヒットはしていたようだ。

「おうぐゅっ!!」
「ンだおらあああああっ!!!!」

 が、いかんせん……いやはやもう人数が悪い。一人デブをやったところでまた別の奴に結局は押さえ込まれるのが落ち。ともかくまあ、この上原という奴の負けず嫌いっぷりは最後まで見せつけられたわけだ。俺はいよいよその場に加わりまずはその蹲る肉塊野郎の腹を蹴っ飛ばした。遠慮なんかしねえ、デブは脂肪による壁で多少のダメージはものともしないだろうし。

 んひゅっ、と空気の固まりめいた声を漏らしながらデブの身体が横転する。即座に周囲の視線に取り囲まれる。

「……一人相手に複数ってちょっとナシなんじゃねえのか?」
「ンだおめぇ急に飛び出してきやがって、あっぶねーな兄ちゃん!」
「出てくる場所間違えたんならあっち行きな、見逃してやっから」

 チラリとこちらを見やった男子生徒の、既に勝ち誇ったかのような視線が『イラッと』きた。よく見たらそいつは前歯が一つ欠けていた。

「『見逃す』?……はあ? それ、逆じゃねえか? 今からおめーがぶっ飛ばされんだよ」

 砂利を踏みしめつつ距離を詰めると、上原は『王子様』と称されるその端正な顔に鼻血を流しながらこちらを見つめていた。ポカーンとした顔も相まってややおかしかったが、ともかく。

「何だか知らんがカッコつけてんならやめとけ、兄ちゃん。俺はキックボクシングと柔道もやってんだからな?」
「それがどうした」

 もう一歩進めると、歯に隙間の野郎は可笑しそうに立ち上がり構えを取った。やっちまうぞ、と言わんばかりにその口元が歪むのが分かった。ぶっ飛ばされたデブの事は放置で、隙間野郎がノーガードの俺に目掛けて回し蹴りを放ってきた。腹筋に軽く力を入れて耐えた。いや、耐える程のものでもなかった。

「はっはぁ! やるぜぇさっすが先輩ッ」
「アバラいったかよオラァ!」

 そこまで叫びながら次の蹴りを出せる辺り、普通の奴ではないようだ。そこは評価した。が、所詮、俺にとってはその程度でしかなかった。次に隙間が出したのは今しがた放った脚と同じ足から更に上段めがけての二段蹴りだ。

「まだまだ行くぜコラ、泣くなよ」

 泣くかよ、クソすぎて逆にイライラしたぜ俺は。
 痛みなんぞよりも、そのムカつきが頂点に達していた。無理だ。俺は次にそいつが出した蹴りを両腕で掴みにかかった。

「柔道云々いうからよ。……いつ掴みにかかってくるかと待ってたけど全然来ねえからこっちから捕まえてやったぜ」
「……うっ!?」

 その拘束姿勢から、俺は隙間の額に頭突きを決めた。ゴツッ、と骨と骨のぶつかる生々しい音が一つばかりして隙間はぶっ倒れた。楽勝極まりなかった、こんなものは喧嘩でもない。隙間が倒れると、残された連中もまとめてかかってきたが、却って一人一人相手する手間が省けただけだ。

「先生! あっち、あっちです! ホラ!!」

 全員片付けた頃合いを見計らうように現れた教師数名と、それから女子生徒が一人。……あ、こいつは確か上原の彼女? だったか?……何か結構一緒にいるのよく見る奴。で、このすぐ後に彼女ではなくて単なる小学校の時からの馴染みだという、真島明歩という野球部のマネージャーだと知る。

「……明歩」
「もー、上原くんってばまたやらかしたわけ!?」
「遅ぇんだっつの。……この人が全部助けてくれたよ、ホラ」

 事態を把握しようとしているのかきょとんとしたまんまの教師達と、それを差し置いて俺は面倒な事にならないようさっさとどこか消えようとした。

「え、そ、そうなの……? あなたは――」
「あー、何かちょっとイラっとしてついな。そっちの鼻血出してる生徒が一方的に殴られてたんで……」

 目を逸らしがちに説明する俺に、真島明歩は上原の顔を改まったように見つめた。そこでようやく、その綺麗な顔に鼻血がドバドバと流れているのに気付いたのかもしれない。突然ぶっと吹き出したかと思うと、ツボに入ったのかしばしケタケタと上原の殴られ放題の顔を見て爆笑していた。

「ちょっとぉ、上原くんヒッドイ! 何その顔、あはははっ、あはははははは!!」
「……ちぇっ、お前らが遅すぎんだよ」

 そう言って不貞腐れたように唇を尖らせる上原の表情からいって、この真島明歩に対しては気を許しているんだろうなというのが何となく察せられた。只、それが恋愛の情だとかそういうものかと聞かれたら少し違うようにも見えた。……まあ、これまで恋愛経験ゼロの俺にとってはそれも何となくでしかないんだけど。