#3−2

「へえ〜、そうなんだ。実家が道場を……それであんな殺人マシンみたいに強かったんだなー。平気でバカスカ殴るし、躊躇いなんか一つもないもんなー」

 その日以来、何故か妙に仲良くなった俺達はこうやって三人で一緒にいる事が自ずと増えた。別にどちらから近寄ったわけでもなく、ほとんど自然の成り行きで、こうやって行動を共にする。その日は三人で学校から帰っていた、たまたま帰りの時間が重なってといった具合に。

「殺人マシンって……喧嘩なんて、普通あんなもんだろ? 相手がその気で格闘技齧ってる奴なら尚更手加減なんかしない。やりすぎだとかもクソもねえよ」
「へー、見たかったなあ。上原君がボコボコにされるとこ〜」
「いや、そこはぺーの雄姿だろ普通」

 気付くと上原はあまりにも普通に俺の事を『ぺー』と呼ぶようになっていて、でも俺は何故か上原の事は上原としか呼べなかった。上原は案外気さくな奴で、誰の事も名前やあだ名で抵抗なくあっさり呼ぶ奴らしい。

「んー……」
「何だよ、明歩」
「ぺー君さー、私といつも目合わせないし距離開けて歩くし私の事きらーい? ていうかまさかー……上原君が好き?」

 そういえば、明歩の事は何故か『明歩』と下の名前で呼んでいた。彼女がそう呼ぶことを強制してきたのもあったかもしれないが、上原とは違い、何故かそれはすんなりとそう口に出す事が出来た。

「あー、ぺーはアレなんだよな。女がキライらしいから」
「エッ、うっそ。そうなの?……じゃ、じゃあホントに男が好きっ……て、事……?」
「ば・ばっか違ぇッてんだよ! 女子とチャラチャラお喋りなんかしてられねえんだよ、こちとら自分鍛えるのに精いっぱいだからよぉ!!」

 そう。そうなのだ。男ばかりの家庭で育った俺は、幼少期から母親以外の女性と触れ合う習慣がほとんどなく、保育園でも小学校でも男子とばかりつるむ若しくは一人で武術の稽古に励んでいたせいで女子と仲良く遊べた事がほぼないのである。
 武術なんかしていると言えば大体の女子は怖がって引くか、汗臭いから近寄らないでオーラを出すか、とまあ俺自身あまり彼女達のそんな反応に嫌気がさしていて近づかなかったってのもある。そう、女の方から近づいてこないんだから。しょーがねーだろうが。そこは。

 で、かれこれ中二、中三とそいつらとはそうやってしょっちゅうつるんでいた。上原も上原で絡まれると俺を呼びつけては、相手を牽制したりして。そんな俺達を見て明歩がいつも呆れているのが印象的だったし何だかんだと楽しかった。

 そんな事がずっと続けばいい、と俺は心の底から思った。思えば思う程時間の流れは早くて、だけどどうしようもなくて、頭では認識していた筈なのに初めて仲間という存在なんだろうと実感が沸いた。

「進路希望調査だけどさ、もう提出した?」

 もうそういう季節か、なんて考えながら俺達は流れる景色をぼーっと眺めていた。電車の窓から見えた遠い街灯に、傷心めいた気持ちが沸かないわけでもない。……一体どれほどの時間、こいつらとこの景色を見てきたんだろう。なんていう風な、詩的な気分にもなる。

「上原君は、スポーツ推薦なんでしょ。あんなに問題起こしまくってたくせにさ」
「問題って何だよ、俺は只飛びかかる火の粉を振り払っただけってヤツだし」
「あはは、何それ。かっくいー」

 茶化しながら笑い飛ばす明歩だったが、その横顔を見つめながら俺は複雑な思いに捉われている。この数日、或いは数年を共にして何となく分かった。
 明歩は上原に惚れている。そして上原もそれに薄々感じながらも、それを気付かないふりをしている。上手く壁を作って、寄せ付けないようにしている。上原自身が明歩にどういう感情を抱いているかは知らない。けど、上原はこの微妙な関係を崩すのが嫌なのか何なのか、あえて彼女を受け入れないようにしているのだ。
 残酷だな、とちょっぴり思った。いや、引き出しのない俺が恋愛どうこうを語るなって話だけども。

「ぺーは結局どこにしたんだっけ? 前話してたところにするのか?」
「え、何何? 私それ全然聞いてないよ。ぺー君、私には何も話してくれないんだもーん」
「……清翔。お前らと違って頭足んないしなー」
「勿体ねえなぁ、運動神経いいんだから途中からでも何か部活始めたら良かったのに、ぺーの身体能力なら何させたって即戦力だよ」

 俺が行く事になっていたのは、清翔(せいしょう)という男子校である。ガラが悪い事でも有名で、毎年あまりいい噂を聞かない。犯罪行為も平気でやらかすような奴もごまんといるんだとか、何とか。徒歩圏内で通えるし、偏差値がクソでも入れるし卒業もさせてもらえるそうだから、俺は俺のやりたい事に時間を注ぎたかったし、別にそこでも何でも構わなかった。

「……三人バラバラになっちゃうんだね。何か寂しいなあ」

 そう呟く明歩の表情に、妙な陰りを感じた。単なる杞憂なのかもしれないけど。

「ま、別に一生会えなくなるわけじゃなくなるんだから。永遠の別れってんじゃないし――」
「それでもやっぱり――、うん、何かヤダ。こうやって三人で話す事も……きっと減っちゃうんだから……」

 俺も上原も、明歩の思いに気付いている。だからこそ明歩から吐かれるその言葉達に、何か救いようのない閉鎖感のようなものを覚えてしまい、とてつもなく辛かった。
 そんな会話をした数日後、本当にたまたまの偶然というやつで俺はとある現場に立ち入ってしまった。大体想像は出来るだろうけれど、いつも二人との待ち合わせ場所に使っていた古びた焼却炉のある一角。
 生徒が昔ここでふざけて軽い事故があっただとかで、とっくに使用停止になっている焼却炉の前には、適当な三角コーンが乱雑に並べてあるだけであった。二人との距離はあったけど、何となく明歩が上原に何を話そうとしているのかは想像が出来た。

 俺はジャージ姿のままで、ちょうど物陰が背になるように立ちつつ盗み聞きというわけではないがつい内容を聞いてしまった。聞いちゃいけないと思いつつ、駄目だった。妙な緊張感が全身を支配する。

「ごめん。……俺、明歩の事好きだけど――その、付き合うとかはできない。そういう目で見れないんだ」
「――うん」
「ホントごめん、何かちっちゃい時からずっと一緒にすぎたってのもあって、その……」
「んも〜、いいよその必死のフォロー。……分かってる。分かってるから、そうなるんだろうなぁって事はさ」

 聞こえたのはそんな顛末だけだった。俺もそうだし、きっと明歩にも分かり切っていた返事だった。立ち竦むしか出来なくなり、俺はボンヤリと、行き先もよく分からない途方のない会話に耳を傾けていた。

「ねえ、馬鹿みたいな事だけど、一つ聞いてもいい?」
「……何?」
「もし、私とぺー君の性別が逆だったらどうなってた? 答えは――同じだった?」

 一つ緊張が解けたと思ったのと同時に、また新たな緊張が生まれたのが分かった。何だそりゃ、と出て行きたくもなったがそれは堪える事にして。俺は上原の回答を待った。

「何だそりゃ。……分かんねえよ、そんな事急に言われたって。ぺーが女になって可愛くなった顔とかも想像できんし」
「馬鹿。そういう意味じゃないってば」

 どこかズレた上原の答えに、明歩は吹き出しつつも悲しそうにして、それから大きくため息を吐いた。また明るく笑って見せ、それから上原と二、三ばかりの会話をして二人はその場で解散してしまった。

「――ぺー君、さっきからそこにいるんでしょ〜? もう出てきたら?」
「……い、いつから分かってたんだよ」
「結構最初っからー。……だからさ、ちょっとイジワルしちゃって変な質問しちゃったぁ」
「…………」

 強いたように笑う明歩の顔が痛々しくて、俺は殊更に言葉やらに詰まる。どういう表情と態度をするのが正解なのかも、分からない。

「結果はさー正直分かってたんだよねー。でもさ、うーん何だろ? 言わなきゃ損? どうせ振られるって分かってんならまあ言った方が楽かなー楽だよねーって。あるよね、そういう天邪鬼なカンジ?」

 無駄に饒舌になる明歩とは対照的に、俺は黙り切っていた。後ろめたい事があったんだと思う、それが一体何なのかと聞かれると分からないけど。

「いつから気付いてたの?」
「は?」
「……私が上原君の事好きだ、って。ぺー君、気付いてたでしょ?」
「――わかんねえ。何か、そうなのかな、ってその程度くらにしか思ってなかったし」
「ふふ、そっかぁ。もー、何かすごい恥ずかしいなー。盛大に爆死しちゃったじゃん、あーもう」

 泣き笑いのような声になりながら明歩はくるっと踵を返した。彼女がいつも使っているんであろうシャンプーの清潔そうな香りが少しだけふっと漂った。

「――俺なら、」
「?」

 明歩が少しだけこちらを振り返る。

「……俺なら……俺なら明歩に寂しい思いとか、させないんだけど」

 うっわ、はっず。恥ずかしい俺。何、臆面もなくそんな気障な台詞吐いてんだ。相手の顔もまともに見れてない癖しやがって。はっず、とオマケのように内心で吐き捨てて何とか無表情を崩さないでいると、明歩はそれを馬鹿にしたりせずやんわりと微笑んだ。

「ありがと。優しいんだね、ぺー君は」

 とてつもない疎外感にも似た虚無を覚えた。それはとても優しいけれど、限りなく拒絶に近い言葉だろう事は偏差値の足りない俺にも理解できた。それ以上、それ以下でもない、明歩にとって俺は『優しい』存在でしかない。

「そんな事言ってくれるの、明歩くらいだよ」
「えー、嘘ー?」

 呆然と立ち尽くしているだけの自分が、本当に意味のないような存在に思えた。
 そんな出来事があり、中学を卒業し、何食わぬ顔で今までのような関係を築き続けようとした矢先に上原が忽然と姿を『消した』。
 まるで神隠しにでもあったかのように、彼は部活から帰宅する途中の道で姿を消したのだという。当然俺は奴に恨みを持っていた奴らを片っ端から締め上げた。皆泣きながら「知らない、知らない」と涙と鼻血まみれの顔でみっともなく訴えた。――本当に知らない。何も知らないんだよ!……途方に暮れたように俺はそいつらの胸倉から手を離した。

 立て続けに、明歩までもが姿を消してしまったのはその僅か数日も経たないうちだった。人の手が入ったとは思えないような状況で明歩はいなくなった。――俺に出来る事は、怪しい連中と繋がってそうな気配のある奴を少しでも虱潰しに当たっていくくらいだった。

 気付くと俺は高校で危ない奴だと妙な噂を立てられるようにもなってしまったが、それ程までに必死だったのだろうと思う。少しでも、ちょっとでもいいから二人の可能性に辿り着きたかった。半ば神にでも縋るような気持ちに苛まれる中、登校中の時だった。すれ違った女子高生二人組に、俺は思わず足を止めた。

――明歩?

 気付くと俺はその後ろ姿に惹かれるよう、制服のその肩を叩いていた。とんでもない行為だ、警察に突き出されても仕方のない所業かもしれない。

「あ……、明歩っ!?」
「――え?」

 振り返った少女はよく見たら制服も全然違うし、背丈や体型こそ近いものはあれど顔立ちも髪型も似ていなかった。しかしこれまた随分と綺麗な――いやはや、女慣れしていない自分でも見入ってしまう程、ここいらじゃちょっとお目にかかれないくらいの美人だった。……何と言えば良いやら、絵画に描かれた美女でも鑑賞する気持ちに近かった為なのか、まるで吸い寄せられたようにジロジロと眺めてしまった。

 それから、慌てて距離を開いた。

「……あの。何か?」

 その制服は確か、白曜(はくよう)高校のものか。お嬢様私立として有名な女子校だ、男子高校生の憧れの的だとか、何とか。しょっちゅう『彼女にしたい高校』として名前の挙がるその高校の制服を纏った彼女はまさしく高嶺の花に見えた。

 こちらを非難するでもなく、少女はうっすらと口元に気品ある微笑みを浮かべつつ問いただしてきた。それは、彼女の育ちの良さが随分と分かる佇まいだった。綺麗すぎて怖い、みたいな表現をよく聞くけどそれはこういう時に使う言葉なのかもしれない。

「す、すまん――いや、あの……ちょっと、知人と間違えて」

 只でさえ苦手な女という存在に加えてこの上ない美人と来たものだ、いつも以上の仏頂面に口ごもってしまうのは致し方のない事だろうと許して欲しい。

「そうでしたか。……もう行っても大丈夫ですか?」
「あ、ああ……うん……」

 物怖じせずすらすらと述べる彼女が、何となく人形っぽさを醸し出しているように見えた。その、ちょっと浮世離れした美しさがそう感じさせるのかもしれない。

「……誰ぇ、あれー? あれってせーしょーの男子だよね、こわー。関わりたくないわぁ」
「全然知らない人。私の事、誰かと間違えたみたいね」
「そう言って、ひょっとしたらラインでも聞こーとして怖気づいて玉砕とかじゃないのー。だって櫻子、綺麗だもん。きっとあわよくば連絡先とか入手しようとしたんだって〜」
「まさか。こんな朝から?」

 彼女達のそんな会話などは聞こえるわけもなく、緒川駿平は――かつての友人達である上原千秋と真島明歩の事を……ずっとずっと探し続けている。