#3-3

――三週間前……









「緒川くん、緒川くーーっん! ちょっと付き合ってくれないかい!?」

 またか。また始まった。こいつの『ちょっと』は大体ちょっとでは済まない――、緒川は良くも悪くも『出来た』相棒を迎えつつ苦笑を浮かべていた……。

 ガラの悪いとされる清翔高校に入学してから、およそ三か月弱。二人の行方を捜して手当たり次第にヤバそうな奴らの入り浸ってる場所へ赴いては、拳でねじ伏せ暴力行使であれこれ情報を得ようとしていた。
 変な話の転がっている場所には、ほとんどといっていいくらいに足を運んだ。不法滞在中の外国人が入り浸るような雀荘、怪しいビルの一角に佇む事務所、まだ二十歳にも届いていないような若い女が働いていると噂の風俗。正義心でも道徳心でもなかった。行動原理はただ一つ、上原と明歩の情報を少しでも得る事。何よりも、二人の行方を探す事。自分にとってはそれだけであり、世の為人の為になんてカッコイイ理由ではなかった。

 そんな緒川はある日、怪しい薬の取引が盛んだというクラブに殴り込みをかけた。勿論、一応隠密的に行動はしていたつもりだ。流石に『今から殴り込みにいきますよ〜!』なんて派手に宣言したりはしない慎重さはあるつもりだった。

 で、だ。仕入れた噂によれば、薬のプッシャーをやっている男が夜の街でしょっちゅう色んな少年少女に声をかけていたらしい。……目的や真意なんぞ知らないし、ましてや知りたくもないが、まあ何かおかしな道に走らせるつもりで年端もいかぬ何も知らない奴らを片っ端から集めていたんだろう。

 足を踏み入れた途端、轟音に包まれた。人々の顔はけばけばしいライトにかき消されてよく判断ができなかったが、クラブの中では若い男女が大勢、身体を密着させ合い出鱈目な動きでダンスしていた。驚くべき事に、女の半分くらいが制服姿であり、しかも己の若さを誇示するかのように堂々としているのが驚きを誘った。

(いやいや、いいのかよ。バレたら退学じゃねえの?)

――って、俺も人の事言えねえか。こんな堂々と制服で、今から誰かを場合によっちゃボコボコにするんだからな

 もはや戒めや慈悲の心、罪悪の情なんぞこれっぽっちも感じちゃいなかった。傍目から見れば完全に犯罪者だろう。殺意やら憎悪やらを剥き出しに歩いていると、強い調子で肩を叩かれた。敵意丸出しで振り返ると、フードを深々と被った見知らぬ男がいた。酒にでも酔っているだろうのか、フードからやや見えるしまりのない口元とうっすら漂うアルコールの匂いを放ちつつ男はへろへろと言った。

「まだ若いねー。えぇと……俺より下? それとも上?」
「……」
「ここに来たって事はさ……まさかやるの? アレ」
「あれ、って?」

 緒川が答えあぐねていると、男はすいと酒を差し出してきた。

「まっ、とりあえず早く飲みなよ。こんなとこにいて頭がマトモのままだとメンタルやられてしまうよ、狂った奴らとやり合うには自分もイカれちまうべきだ……ってね」
「……酒は飲まねえんだよな、生憎だけど」
「一杯だけ、一杯だけ! 俺のオゴリだよ、ほら」

 好き勝手くっちゃべりながらフードの青年はグレープフルーツの爽やかな香りが漂うグラスを差し出してきた。友好的な態度ではあるけれど、こんな素性のしれない怪しい奴からの施しなんか受けてたまるか。そう思っていた矢先に、フードの青年の方からまるで訝るこちらの態度を見抜いたかのようにその素顔を晒した。

「話は聞いてるよ、チンピラをメタルスライムの如く狩りまくっているというキミの噂は!」
「……は、はぁ?」
「おっと失礼、これはまた別漫画のネタからの引用。――こほん、ちょっと声のボリューム下げようかい? とりあえず、この場だけでも仲のいいフリをしてほしいんだけど……」

 こそこそと近づいてくる青年の顔だちはどう見ても日本人のそれではない。白人の、金髪碧眼の王子様といったところか。何だか上原と被る部分もあるけど、こっちは正真正銘本物の王子様といった具合だった。おまけに日本語は何の違和感もないくらいに流暢で、変なイントネーションなどもなくすらすらのペラペラであった。
 ちなみにサラサラな上原の髪の毛とは違い、こちらは若干の癖毛というかところどころ跳ねた感じが柔らかそうな印象を与える。

「今から君は、えーと……シンプルにまとめてここのヤクの売人にカチコミをかける予定。で、オッケー?」
「……何でお前それを知って――」
「しぃっ!」

 つい声を上げそうになるのを、青年は軽やかな調子でたしなめる。人差し指を口元にやりつつ青年はこちらにも冷静になるのを強いてきた。何となく話の主導権をうまい具合にもっていく雰囲気のある奴だ。これは油断ならないな、と即座に感じた。

「えぇっと――緒川駿平、くん。またの名を『チンピラ狩りのぺー』、『暴力団潰しの緒川』……等々など〜……んー他になんかあったっけ……」
「だ、だから何でそんな事をテメェ……」
「おっと失礼、こちらも名乗らなきゃ、だね。……僕の名はロジャー。ロジャー=マクラクラン。君が探している真島明歩ちゃんと同じ高校に留学する者さ」
「!!!!」

 聞き捨てならない名前が出るのとほぼ同時に、我を忘れて掴みかかると奴が手にしていたグラスがいくつか手元から落ち足元に割れてしまった。何だ何だと周囲が振り返ったが、爆音にかき消されて粗相程度にしか思われなかった。

「あっ、こら。弁償だぞ! 酒は手間暇かけて作るもの。もっと大事に飲まなきゃ〜」
「ふざけてんじゃねぇ、テメェおらっ! 何者だよ、一体……ッ」
「緒川くん、良ければここは一発僕と組まないか? その方が君の為にもいい。というかそうしないときっと後悔するよ。いや、ていうかもう、組もう」
「は……、ハァ?」
「いいかい、よぉく聞いてくれよ。結論から言って君がここを襲撃する事はもうとっくにバレてる」
「……ンだとぉ?」

 眉根を持ち上げつつロジャーを見つめ、緒川はそんな彼を二度見、三度見する。言葉の意味を深く考えるよりも、まず頭の中の何かが自分に行動を取らせようとしている。

「君は少し――いや、かなり目立ちすぎたんだ。もう少し慎重になるべきだった、ハッキリ言って君がここのクラブに足を踏み入れる事自体向こうも気付いて――」
「っ……お前もまさかそいつらの仲間だって話か!?」
「違うって、その逆! 味方だよ味方……、ってうーわー……。早速来たよ」
「!?」

 はっ、と振り返るとクラブで踊り狂う連中の合間を拭うように明らかにこちらに向かって足を進めてくる奴らがチラホラと見えた。――雑多な音楽に合わせて適当にリズムに乗っている連中達とは、確実に雰囲気が違っていた。

「いいかい、緒川くん。僕の言うとおりにして……って、ちょっとキミってやつは話を最後まで……!」
「うるせぇ、やられる前にこっちからやってやるってんだよ!!!」

 相手は数にしてみれば五人――六人――ざっと目視できるのはそのくらいだが、もう少し潜んでいる可能性も考えられる。が、そのくらいならさして苦労しない。こちらが勢いづいたのを察したのか、向こうも形相を切り替えた。

「よくもうちの連中やってくれたなあ、コラァ!!」
「ヤクザに怪我させて無事で済むと思ってんのかてめぇ?」

 ダブステップの重低音の中、所々悲鳴が間を裂くように響いたもののすぐに紛れて意味をなさなかった。ドスの利いた声が一歩また一歩と近づいてくる中、緒川は舌打ちと共に構わず連中の顔を睨み据えた。

「やめた方がいいよ、きっと」
「うるせぇ、てめえも仲間だっつーんなら後でボッコボコに……っ」
「奥の二人、きっと拳銃を持ってるぞ」
「!?」

 思わず力んだようにそちらを見ると、その二人はこの季節にしては珍しくコートを着込んでいる。注意深く見なくとも不自然さ丸出しじゃないか、どれだけ頭に血がのぼってたのか。と、己の散漫さを反省する。

「言っただろー、君は目立ちすぎたって。素人、ましてや高校生相手に銃を持ち出すなんて中々ないぞ」
「……っ、ンなもんに屈してらんねーんだよ俺は!!」
「あーもう、だからさぁ話をちょっと聞いてほし――」

 たしなめるようにロジャーが切り出そうとするのを遮り、緒川が一歩踏み込み手前のサングラスに金髪オールバック、そしてスカジャンを羽織った男の腹部めがけて前蹴りを一発打ち込んだ。背後でロジャーの「あちゃ〜」というリアクションの声が聞こえたが、知ったことか、だった。

 この行為は完っ全に『試合開始』と見なされただろう。許して下さい、どうか命だけは勘弁して下さい、は通用しなくなったわけだ――うぐ、っと断片的な悲鳴と共に呼吸を漏らし、男がドサっと倒れ込む。今度こそはクラブ全体から、大きく悲鳴が沸き上がった。
 気付くとBGMが変わっていた、今度は心臓の鼓動を思わせるかのような低いヒップホップのリズム。重なるような英語のライムが、まるで何やらおぞましい呪文の詠唱のようだ。

「ガキの癖に強ぇってのはマジだったんだな」

 倒れたオールバックの隣で、また別の男が呟いた。

「一切の躊躇もなしに向かってくるから気をつけろ、ってな。堅気を相手してるとは思うなと釘を刺されたよ、最初は何で高校生なんかに俺達が出向かなきゃいけねーんだッて言ったんだがな……」
「おい、横分けくんっ!!」

 ロジャーが叫び出したかと思うと続けざまに言った。横わけ、というのは今緒川に向かって話しているこの男の事を指すのだろうがともかく――ロジャーは間髪入れずに『横わけ』に続けた。

「きみ、何か長々話をして注意を引き付けようって魂胆だろう。そっちの奥にいる人が今必死にコートの中に手突っ込んでるけど、まさかだけどピ・ス・ト・ル、撃ったことないのぉ?……随分と手際が悪いなー」
「!!」

 目がいいのか注意力が優れているのかともかくまあ、ロジャーの読み通りにそれでその場にいた男のほとんどがギョっとしたようだった。緒川自身も驚いて、注意力が欠けていた事にぞっとするのと同時に、身が引き締まる思いがした。今日だけで二度も冷静さの欠如を思い知ったわけである。

 またもや起きた悲鳴と共に、人々の群れが厚着姿の男から逃げようとするあまり混乱になるのが分かった。パニックに陥り、散り散りになった客のせいで辺りは一気に乱戦のような状態になってしまった。

「いやー、いやー。……相手が間抜けで助かったねぇー、緒川くん?」
「……」

 いやはや、図らずもこいつに助けられてしまった、という事になるのか――、
 少し負けたような気になりムッとしたような顔つきになったが、ここは素直に従うべきだろう。まさかここまで来て急に裏切られるような事にはならないと思いたいが。

 ちきしょうっ! と怒号が上がったかと思えばたちまち、あちらこちらからガラスの割れる音。重なり合うような、けたたましい悲鳴。乱戦宜しくそれは唐突に始まった。

「緒川くん、右だっ!」
「!?」

 雑音に紛れて酒瓶を振りかぶってきたその男に、緒川はその姿勢からの前蹴りを咄嗟に決めた。距離を開く事が目的だった為に、さしてダメージは期待していない。重さの乗っていない蹴りではあるが、押しのける事には成功した。

 しかし、こんな時に気にするのもなんだがまたもやこのロジャーという男――とんでもない動体視力でも持っているのか、それとも恐ろしく視力か聴力か、いや、勘がいいのか――いやいや、まさか運? ともかく、その距離からよく分かったものだと感心する。

 男は姿勢を若干崩したものの、すぐさま機敏な動作と立ち回りで倒れたと思う間もなく跳ね起きる。緒川はすかさず腰を下ろし構えを取り、男の動きを観察する。――酒の散らばった床の上を軽く跳ねるようにして横に回り込んでくる、その動きから言ってボクシング……、それも初心者というわけではなさそうだ。
 雑音に紛れているせいで、男の足音は見事に殺されていて己の視力に頼るより他ない。あとはまあ、よくある――考えるな、感じろ――という、アレか。少しだけ手合わせして分かった、こいつは単なる力任せにぶつかってくるだけの奴じゃない。それなりに実戦経験のありそうな相手。
 緒川は気を引き締める意味合いで、自分の互いの拳を勢いよく叩き合わせた。蹴られた事はもう何なかったかのようにそこに立つ男は、クラブには似つかわしくないスポーツマンのような軽装、坊主頭、龍の模様が入ったジャージと使い込まれたボロボロのスニーカー。金で雇われたどこかの組員でも何でもない、単なる用心棒だろうか。

――背の高さよりも身体の幅……厚さがかなりあるな。もしこいつがボクサーだとしたら警戒すべきなのはやはり拳の攻撃、か? ボクシングは下半身への攻撃は基本慣れていない筈……しかし……

 自分の全身は、微かに震えていた。全身から湧き上がる感情によって全身に鳥肌が立った。初めてまともな経験者と渡り合えるという、恐怖からくるものではなく、すなわち『感動』に近かった。ビビってんじゃねーよ、俺の師匠は素手で熊を殴り殺したんだぞ。……よし。よし。じゃあ俺は、俺は俺の古武術で――コイツを倒す。この獣みたいな筋肉の形状をした相手を、まずは潰す。

「言っとくけど、俺の勝負は『何でもあり』だから」

 先に宣言しておき、緒川は構えを崩さずふっと笑った。向こうはそれに同調してニコリともせずに、挨拶代わりのようなジャブを放ってきた。上段で受けると、受けた腕がじんじんと痛んだ。恐らく本気のジャブではない、小手調べのような攻撃だったには違いないが。
 
――どうする? ボクサー相手に目潰しがそう簡単に通用するわけがない……手っ取り早く沈めるにはやはり蹴りしか方法はないか? 

 よもやボクサーと殴り合うつもりはない、下半身への蹴りを重点的に攻めるより他ないだろう。いや――、緒川がふっと顔を上げて踏み込んだ。蹴りの姿勢に入った。

「前蹴りで顔面を狙っているぞ、そいつ!」
「!?」

 ロジャーの声に、ボクサー男が「ん!?」と慌てて身を引いた。結果、それで下半身の守りががら空きになってくれた事でこちらから狙いやすくはなったものの――考えてる間も勿体ないとばかりに緒川はボクサーの金的目掛けてカポエイラのような動きからなる、踊るように掬い上げるように、そのいわゆる弁慶の泣き所を蹴り飛ばした。うぐゥ、っと短い悲鳴を残してボクサーはあっけなく倒れ込んだ。

「あっ。今のは裏切ったわけじゃないよ、分かってもらえる!? 作戦だからね、伝わってくれたものだと思ってたけどっ」
「……ああ、分かってるよ。けどよく分かったな? 俺の狙いというか、こうしたらうまくいくんじゃないかっていうフェイント作戦っつーか。攪乱させてくれ助かったけど」

 足元で倒れるボクサーを一瞥し、緒川がロジャーへと視線を動かした。曖昧に微笑みながらロジャーはこめかみ辺りをトントンと指で叩いた。

「勘がいいのさ、勘が」
「……へえ〜」

 生返事のような具合だったが、やはり彼の真意の程は見えない。今のところ味方してくれそうではあるが、背後から突然襲われるような事にはなりたくないけど。普段から取り立てて喧嘩なんかしてそうにも見えないし、益々こいつの正体が何なのか知りたくなってきたところで――、続けざまに向かってきた短いドスのような刃物を携えた男。これは余裕だった、いつも相手にしているような連中と同じだ。

(捌いて下段、で楽勝だな)

 師匠(というか実父だが)の教えが受け継がれているという事が嬉しくもあったし、しかしつい頭に血が上りそうにもなったが、ともかく。簡単に倒せたそいつを見やり、緒川は再び逃げ惑う団体を見据えた。宮本武蔵の五輪書には乱戦に持ち込む戦法について書かれていたような気がしたけど、そうなってしまっては却って戦いづらいような気もした――が、まあともかく。

 次に向かってきた相手も、てんでなっていなかった。先に出てきたボクサー野郎が一番手ごわかったというか、自分にとっては戦った事のない未知な相手だった為か歯ごたえがあったと言える。……ロジャーの助言が無かったら、今頃はボコボコの二目と見られぬツラにされていたかもしれない。

「ブッ殺す、てめぇオラぁ!」

 割れたビール瓶を片手に特攻してきた相手をかわし、顎に掌底を叩き込んだ。これだけでもう十分すぎるくらいだ、トドメとして鼓膜への攻撃を決めてもいいかもしれないが、まあこの愛てにそこまでの追撃はしなくていいだろう。我も我もと向かってくる相手をほぼ苦戦せずに捌く。

「緒川くんっ、そいつ、そいつ! そっちのアロハシャツのパンチパーマ、スタンガン持ってるよ!」
「……まじ?」

 指摘されたアロハシャツのチンピラは驚きの表情を浮かべつつ、懐に手を忍ばせたポージングのまま硬直していた。どうしてわかった、といった具合か。緒川もそれは同じだったが驚いている暇はない、こいつの強運にまたもや助けられた。それだけだ。緒川は続けざま下段腹部への突きをぶっ放すと、あっけなくそいつも沈んだ。
 気付くと、どうやら襲い掛かってきた総勢十人――いやそれ以上の刺客に対し、連続切りをかましていたようである。

「――、最〜〜……ッ高じゃねえか……」

 おい、と緒川は付け加えるように呟いて残心を決めた。うーうーと痛みで呻き悶絶する連中を見渡しつつ、緒川はぶるぶると勝利の余韻に打ち震えていた。今までにないような経験だった。古武術の道場でも、連続で組手はあっても流石にドスやら拳銃やらスタンガンを持ち込まれた事はない。……生きるか死ぬかの状況を生き延びた。いや、これってけっこー凄いのでは。スリリングな余韻に浸りつつ、緒川は尻餅を突いたままこちらに小ぶりなナイフを向けているチンピラを見つめた。

「く、く、く、来ンじゃねぇ、刺す、ぶっ刺すぞ、っらぁ!!」

 威勢よく……? 啖呵を切るもののその語尾といい構えた腕と言いプルップル震えているのが何とも言えず可笑しく、もはや責めるのも馬鹿馬鹿しい。ハァ、とため息交じりに近づいて行ったところで「ひぃっ」と今度はハッキリ声を上げられた。……そんなに怯えなくても、と思いつつ一つため息を吐いたところでチンピラを見下ろした。

「それで背後からグサッとされたんじゃたまったもんじゃねーから」

 吐き捨てるように言い、緒川は怯えるチンピラの手から器用にナイフだけを蹴っ飛ばした。おまけのように「ヒエッ」と叫ぶと、チンピラは怯え竦んで更に身を屈めた。目の前にしゃがみこんでやると、緒川は威圧するように言った。

「なあ、二、三聞きたい事あんだけど。時間ねえから手っ取り早く言うぞ、オイ。……怪しい薬の売人ってーのがいるって聞いたんだが。このクラブで、手当たり次第に若い奴、男女問わずに薬売りさばいてるっての。お前か?」

 チンピラはその顔を横に振って否定したが、自分の意思で動いているというよりはぷるぷると震えているのがそのまま顔に出たといった状態に近かった。あー、と後頭部を掻いておき、半ば苦笑交じりに緒川は言った。

「じゃ、そいつ知らない? いつもはここで売りさばいてるって話だけど」
「お……お前の言ってる奴と一緒かどうかは分からんが……うぐぐ……」

 声を詰まらせつつ後ずさるそいつに迫ったのは緒川ではなくロジャーだった。ロジャーは先程のナイフを拾い上げており、器用にそれを投げた後柄の部分をうまくキャッチした。ちゃきん、と金具の触れ合う音を立てつつ、そのナイフの切っ先は自分の頬をぺシぺシと叩いていた。

「うっう〜ん……? どうやらここにはいないといった風かなー。なぁーんか答えづらそうにしてるけど」
「――ど、どうだろうなあ……?」
「あ、の、さっ」

 途端、ロジャーも緒川の隣にしゃがみこんだかと思えばナイフの先を言い淀むチンピラの目前に突きつけた。その表情と声色はどこか静かな怒りを含んでいるようで、傍目から見ると末恐ろしかった。

「君、ちょっとまだ勘違いしてない? あれこれモノ言える立場じゃないのね、今のキミはさぁ」
「……」

 目に見えた豹変とも違うが、明らかに纏わせている雰囲気は穏やかではない。口調や表情は飄々とはしちゃいたけれど――、隣で緒川はその様子に静かに唾を飲み下し、それから咳払いと共にチンピラを見た。

「っ……き、喫茶にいるよ……」
「喫茶ぁ??」

 何故かその妙な言い方に緒川は顔をしかめずにはいられなかった。

「ンだそりゃ、じゃああれか。何たら珈琲店だかで、お茶タイム中って事か?」
「あー、そういう事か……ふむ」

 つうか今時、喫茶店って。
 普通はそういう言い方しないんじゃないのか、と緒川はちょっとばかりジェネレーションギャップ的なものを覚える。にも関わらず、横のロジャーは妙に納得してる。ヤクの売人がカフェでコーヒーを啜っている姿なんか、そう納得できるもんじゃねーだろーが。緒川は眉根を潜めて、答えを求めるようにロジャーを見据えた。