#4-1

鳴神ミミ、三十歳。もっと細かく言うと、今年で三十一。現在独身、それどころか、彼氏ももう長い事おりません。……。…………。

「……。それって普通にヤバくない?」

 が、それを『ヤバイ』とも思わないくらいには、今のわたしはとことん麻痺しているみたいです――ミミは運ばれてきた酒(ライムサワー。まだハーフタイムなので軽めなのを、ちょいっと)をぐいっと流し込みながら、正面にいる「遊んでる友人」こと萌絵を見つめた。
 萌絵はその肩書通りに派手なOL、といった感じで、雑誌で言えばCanCamとかviviとかその辺りになるんだろうか。

「男とっかえひっかえして、未だに落ち着いてない萌絵ちゃんには言われたくないでーす」
「あのねー? 私はしようと思ったら、いつでもできんの。できないんじゃなくて、しないんでーす。ミミの場合相手から既にいないんでしょうが」

 え、そうなの? 結婚ってそういうものなの? 一生一緒にいなくちゃいけないんだよ? 相手が痴呆になったり病気で倒れたら下の世話まで見てくっていう事だよ。逆に自分も全部そうされちゃうのかもしれないんだよ。覚悟だよ、覚悟?……とか何とか言ったら、どうせまた「そんな事言ってるから独りなんでしょ」って説教されるんだろうなあ。
 と、ミミは軽く飲み干したグラスを追いやり、店員を呼び止めた五杯目のハイボールを注文する。

「仕事にさぁ、いい男いないわけ? 医者でしょあんた、医者。出会いがないとか、そんなん言い訳になんないわよ。街コンとかお見合いパーティーとかさー、積極的に通いまくれば見つかるっしょ。ミミ、別にブスってわけでもないし性格が何か変なわけでもないしさ……もしかして若い男と結婚したいとか思ってんじゃないでしょうね。二十歳くらいのさー、一回り違う男。ひょっとしたら十代だったりして〜」

 んなわけないでしょ、とミミはハイボールをジュース感覚でくいっときこしめながら鼻先で嘲笑った。
 そもそも医者って、ちょっと語弊がある。
 正確に言えば、動物医療センターのいわゆる獣医というやつで、自分は診療と簡単な手術の執刀を任されている動物看護士だ。

 萌絵は一杯目のカクテルをテーブルに置き、面白そうにニヤニヤとグロスの引いた口元を微笑ませる。綺麗にネイルの塗られた指先をくるくると回して、ミミのちょっとやさぐれた顔を指した。――あ、萌絵ちゃんのネイル、今日も可愛いな。ほんといつも手入れとか頑張ってて、私なんかとは全然違うよ……とついつい卑屈になってしまう。

「あ、でもさー。ミミならいけそう。アンタ、童顔だし背もちっちゃいし、服装も大学時代からほとんどセンス変わってないでしょ。下手したら大学のサークルの飲み会混ざれんじゃないの? 化粧で盛りまくれば女子高生でも通用しそう〜。ねえ、もう少しギャルっぽく雰囲気変えてみたら? 髪も明るい色にしてその眼鏡も取って黒カラコンにしてデカ目にして、んで涙袋作りまくんの」
「さ……流石にそれは無理があるってば、只の痛々しい年齢不詳の妖怪オバサンになっちゃう。それに職場が厳しいからさ、髪はあんまり明るくはできないなー」
「若い男狙うのもアリだけどお金ねえぞぉ。あいつら。アタシはあんまオススメしないわね〜、セックスするだけの対象にしときな。ていうかミミ、アタシが知る限りずっと彼氏いなくない? もう五年近くアンタから男との話を聞いてないんだけど。セックスとかしなくて大丈夫なわけ!?」
「……。逆に萌絵ちゃんこそそんなんでいいの?」

 萌絵は大学時代からずっとこんな感じの女性で、とにかく恋愛に関しては派手な生活を送っていた。見た目も女子力が高い、というのか、自分を磨く事に余念がない。肌や身体の曲線を維持するのに、修行僧のような努力も辞さない女の鑑みたいなコだった。いや、現在進行形か。

「結婚願望がないわけじゃないんだけどね」

 はあ、とため息を吐きながらミミは枝豆を肴に今度はビールを煽った。この店はジョッキよりも瓶ビールの方が上手いな、と何となく思いながら手酌で注いで、また枝豆をひょいっと口に運んだ。

「やっぱずっと一緒にいる相手なわけでしょ。なら、やっぱ心から好きな相手がいいんだよね。顔がどうのこうのとか、金だの年齢だの背の高さだのじゃなくて、とにかく好きな人がいいの。……そういう萌絵ちゃんこそさ、そんなに周りに選びたい放題なら何でしないの? 私はそれが不思議だなー」
「そりゃあアンタ、もっといっぱいの人とエッチしたいし、お金持ちのオジサマからもっとい〜っぱいプレゼントしてもらう生活を楽しみたいからよぉ」

 あ、ほらね。次元が違う、とミミは心の底から思った。住む世界と感覚が正反対なのだ、昔から。真逆すぎて仲良くなったんだろうな、私達。お互い入り混じる事がない生活だからこそうまくいって成り立つものもある。考え方も見た目も金銭感覚も、趣味嗜好もファッションセンスも、何もかもが逆を行く同志だった。……が、そんな二人に共通して言えるのは。

「恋愛の仕方、忘れちゃったんだよねぇ」

 純粋に、掛け値なしに相手を好きになれるというそんな気持ち。何だかそういう感覚をお互いどちらも失くしてしまっているというか。二人でこうやって飲む時はいつもお互いがお互いに「違う」「それはない」「絶対あり得ないから」の応酬なのに、この部分に関してだけは激しく同意しあってしまう。二人の意見がまたもや合致したところで、乾杯。

「そうなんだよね〜、何だろうね? 前はもっとさぁ、『この人しかいない! 運命の人!』って熱くなれたのに。唯一ミミの恋愛観で頷けるのはそこよ、そこ」
「年々これが悪化する前に何とかしなくちゃって思うんだけどさ。んー……何だろうなあ、出会ってないだけなのかなあ、私の場合」
「ミミは絶対に積極性が足りないのよ。昔からそうじゃん、コンパも断ってばっかだったし。そういえば前言ってた、母親が持って来たっていう見合い話はどうなったの?」
「電話来るたびその話題で嫌になったからはぐらかし続けてたらさ、相手の人に彼女出来たらしいよ。しかも今同棲してて、二人で風呂入りに来るってさ」
「え、何それ勿体ない! 会うだけならさあ、別に会えば良かったじゃん。イケメンだったらどうすんの!? お母さまは何て言ってた? ルックス、ルックス! あと年齢、カモン!」
「うちのお母さん、多少若けりゃ大体かっこいいって言うから真相は分かんないわよ。……確か二十九歳だったような……」
「ちょっとやだー! その話、今度来たら私に回しなさいよー! 一番遊ぶのに適した年代だってばぁそれ〜!!」

 あんたの場合、もうほとんど何でもいいんでしょ、とか心無い事を言いそうになったが苦笑を浮かべてミミはビールを飲み干した。――うーん、萌絵ちゃんだったらきっとそんな話が来たら即受けて、で、好みだったらその日中に一発やっちゃって、また飽きて次の人。とかになるのかな? 彼女が慎重になる事はあるんだろうか。あったとしたらその時こそが、萌絵ちゃんにとって『運命の人』に出会ったという瞬間なのだろうけれど。

 こうやって週末になると二人で居酒屋で飲んで、ああでもない、こうでもない、なんてくっちゃべって深夜に帰宅。それがミミのささやかな楽しみでもあった。マンションの部屋に戻り、電気を点けると愛猫の『トキオ』が背を向けて専用のベッドの上で丸くなっていた。

「トキオ、ごめんね。帰ったよ〜」

 いつの間にやら、猫に向かって話しかけるのが癖になってしまっていた。いや話しかけるくらいはペットとのコミュニケーションとして普通なのだろうけど、自分の場合はもはや返事もないのに会話している。トキオを抱き上げて、ミミはまるで我が子に語り掛けるかのように今日あった事を一方的に話し続けるのだ。

「エヘヘ、今日は萌絵ちゃんと飲んできたよー。そこの『茜屋』でぇ〜」

 で、もって当然のことながら、何の反応もしてくれない猫を抱きつつ、しかしアルコールの勢いも手伝ってかミミはぺらぺらとある事ない事もはや混ぜ込みで饒舌に語るのであった。と、そんな彼女の熱に水を浴びせるようにスマホのコール。誰じゃ、と画面を見ると母親の名が表示されていた。なーんか出たくないなー、なんて気怠い心持のまま電話に応じる。

「もしもしー? なにー」
『いや、何てこともないんだけど。あんた最近全然帰ってこないし、連絡もないからさ。生存確認よ』
「生きてるわよ、ちゃんと」
『そう、なら良かったけど。たまには顔くらい見せたらどうなのよ、何なら彼氏連れてきてもいいのよ』
「いないって知ってて言ってるんでしょ、ちょー性格悪い」
『なに捻くれた事ゆってるの。何、その呂律のまわってなさ。ひょっとして酔ってるのね、そうなのね。あ〜んたまーーーーた飲んだくれて! そんなんだから男も寄ってこないんだよ。分かる!?』
 
 始まってしまった……この説教。長くていつも嫌になるんだ。はいはい、うんうん、と返事しているとそれはそれで怒られちゃうし。そんな母は電話を切ろうとすると必ず最後に「仕事を辞めて実家に戻らない? こっちで旦那さん探しして、銭湯を継ぐのはどう」って話をするようになってしまった。

 冗談ではない。
 ミミは別に今の仕事が――まあ、好きか嫌いかでは決められないが、動物を救いたくて勉強してきた事だし、個人経営の病院とはやや違い、大変な割に給料もそんなにいいわけではないんだけども。

(はー……)

 ため息交じりに電話を切った。
 うちに男が生まれてたら、それで解決だったんだろうけどなあ。……ミミにあの実家の温泉を継ぐ気はあまりない。今の職が続けられなくなったら、気まぐれで戻るのもありかもしれないけど、しかし今のところはほとんどない。

(やっぱりこっちでいい人見つけて結婚するっきゃないのかなぁ……)

 何だか救いようのない閉塞感を覚えて、気が重くなった。

 もやっとしたので山ほど酒を煽り、そして翌日の出社。
 ところで――副主任の成山さんは、三十七歳のアラフォー未婚だ。少し……いや、結構ポチャッとした体格だけど、字がとても上手だし声も可愛いくて喋り方が優しくて、料理も上手いのか毎日手作りのお弁当を持参してきていて、女にはとことん厳しいが男には、特に若くて顔のいい男にはとても優しい。独身だけど私生活は中々浮名を響かせていてすごいのだと、他の女性スタッフが話しているのを聞いた。

「あんなにデブでブッスなのにねー、凄くない?」
「だよねえ、エルメスのバーキンもあれ貢がせたものだよ。しかも使ってる財布見た? 前はクロエだったけど今はプラダに変わってたし。あんなデブスがどういうテクニック使うんだろ」
「噂だけど、アソコの締まりとか形が超イイらしいよ。やっぱ男ってそっちがイイんだねー、最高の入れ具合とかでもうヤるとヤバい気持ちよさとか何とか」
「生まれ持った名器なんだ、すっごー……デブならおっぱいもでかいし尚更よね」

 それまで声を潜めていた二人だったが、キャハハ! と笑い声だけは大きく響いたのが分かった。

(ゲスい会話だ……)

 なんて思いつつ、もし彼女達の話が全て真実で、尚且つ男に気に入られる為にそんな態度を取っていて落ちない相手はほとんどいないんじゃないのかな、とか考えてしまう。よっぽどあの顔が嫌いだとか受け付けないとかじゃない限り、デブだのブスだのは関係ないんじゃないのかと、ミミは改めて人の心とは何なのか考え込んでしまう。

(……そうなんだよなあ。そりゃあ見た目の清潔感とかも大事だけど、やっぱり内面って重要なのよね。そもそも私が好きにならなきゃ、相手だって自分の事なんか好きになってくれるわけもないよ)

 本当に、本当に。本当に好きって何なんだろう。何が決め手? お母さんは何が決め手でお父さんと結婚したの?……あー、私って一応ここまで彼氏がいなかったわけじゃないけど、そういうのに気付けなかったからこうやってここまでダラダラ来ちゃったんだろうな。過去に付き合った人達とは何で一緒にいたんだろう。告白されて顔が許容範囲だったから、喋り方がとかが何となく居心地よかったから、話が面白かったから、周りが付き合っていくからその流れに乗りたかったから。とりえずクリスマス前だったから。……駄目だなあ。私、何一つとして、胸を張って『好きだったから』って言える恋愛をしてないよ。

(私って一体何なんだろうなぁ。……やっぱ女として終わってるのかな? こういう、恋愛に対して冷めちゃってて、熱くなれないの)

 いつだって自分に自信があってキラキラしている萌絵ちゃんや、それから陰口であんなに言われてはいるけども確かに女としては充実している成山さんの事を思い浮かべた。何が幸せかなんて、結局は当人が決める事なんだから。

 何ていうか、不感症だ。性欲がある、ない、の話じゃなくて、精神的に不感症なんだよ。ときめきがないの。だけど私は、誰かを愛したい。好きになりたいのだ。自分を狂わせたり、悶えさせたりするだけではなく、癒してくれたり和ませてくれるような人に出会いたいだけだ。