#4-5

 少年はどうも一人で乗車しているらしい、親らしき人物が周囲に見当たらない。それも何だかおかしな話だな――地元の子なのかな? 慣れてるのかも。と思いつつも、何だか目のやり場に困り外の風景へと視線を流した。

(どうしよう。何か変な空気だな〜……次の停車駅で降りる? いやー、こんな郊外に降ろされてもどうしよ、って感じか。タクシーなんか走ってる気配もないし……)

 土地勘のない場所で下手な事をやらかすのも怖い、このまま乗っていれば目的の宿には着くわけだし……変な偏見や先入観はいけないな、とミミは思い直し座席に座り直す。
 次に停車した駅で乗ってきた客は、二重顎の目立つ太った体格の中年男性だった。酒にでも酔ったかのような赤ら顔と鷲鼻、更に両目は白内障でも患っているのか白く濁っているのが一際顔のパーツの中でも目をひいた。

(全部見事な白髪……いくつくらいなんだろ?)

 邪悪なサンタクロース、と例えるのがしっくりとくるその男性だったが、ネルシャツにオーバーオールという着こなしが、これまた年齢の特定を妨げるのだ。年齢どころか、国籍もちんぷんかんぷんで出鱈目さが漂っているのだから、思わずじろじろと失礼なくらいに眺めてしまう。
 すると、『邪悪なサンタ』ことその中年男性が振り返り、その濁った目と視線が合ってしまった。露骨にならないよう視線をそそくさと動かすと――向こうは元々そういう表情なんであろう――笑った口元のままでしばらくミミの方を見つめていたようだった。

(うわ、やば。絶対気付いてたよね――ついつい失礼な真似しちゃったかな……)

 そんな事があり、次に乗車してきたのは腰の曲がったおばあさんだ。やはりおんぼろの、今が西暦何年かを忘れさせるような服というよりは麻っぽい材質の布地を身に纏い、フラフラと杖を突きながら席に座った。あまりにもよろめいていておぼつかない足元だったので、思わず「大丈夫ですか?」とミミが声をかける。
 おばあさんは声を出さずに、只一つだけニィっと笑った。その口元にほとんど歯が残されていないのがまた、こう、何とも言えない気持ちになった。何故かミミの頭の中には『八つ墓村』という単語が頭に浮かび上がる。……いかんいかん、また暴言失言。

 気付くと日も暮れ始めつつあり、当初は隙間だらけだった座席にもちらほらと埋まってきたのが分かった。――まあ、相変わらず何だかおかしな客ばかりなのは変わりがないけれど。
 ふと、何となく顔を上げると手を繋いでお揃いのベロア素材、セーラー襟のついたフリルワンピースを着た双子の女児がトコトコと歩いてきて、同じタイミングで席に座った。まるでバレリーナのような、リボンの巻かれたトウシューズが実に可愛らしかったけれど――この子達も親らしき人物がいないのだから不思議である。

(……でも何だろ、やっぱちょっと異様な客ばっかだわ)

 そしてそれは、すごく失礼な感想なのかもしれないけれど。勿論それは分かっているんだけれども。そもそも、正気と狂気って線引き自体が曖昧なのだから。自分が変だと思っていても、周りが正常だと言えばそれは普通になってしまうのだから。

 全てにおいてちぐはぐなそのバスの中、まるで異次元にでも迷い込んでしまったかのような、そんな気持ちに一人囚われる。自分だけがここにぽっつりと取り残されているような、そんな気分もあった。

(何か外から見た時はレトロで可愛いって思ったけど……よく見たら車内、所々サビサビだしキシキシ音もしてるし……しかもちょっと鉄臭いんだよねえ)

 当初はウキウキとした気持ちで乗ったというのに、今は何だかとても真逆に落ち込んだ気分だった。申し訳ないが、一刻も早く降りたいという気持ちの方が強くなってしまっている自分がいる。毎朝の、都会の電車でよくみられる通勤ラッシュの地獄には慣れっこのミミだが、何故かどんよりとした気持ちになってしまった。本でも読んで、時間を潰そうか。そんな事を考えていると、隣にも更に誰かが座った。
 これまた強烈な――、と、失礼か。
 真っ黒なゴスロリドレスに金髪の巻き髪、黒リップに黒シャドーと黒アイライン。フランス人形のような出で立ちだが、顔は……というか体格がかなり大きい。会社にいた『ぽっちゃりの遊び人』こと成山さんよりも二倍くらい大きなサイズだろう、ふとましい女性が腰かけていた。
 思わず圧倒されたようにぎょっとしてしまい、言葉を失いつつその女性に目を奪われてしまった。女性は構う事なく、ビッグサイズのポテトチップスの袋を広げ、それから周囲の視線等には目もくれうずにバリバリと食べ始めた。

(う……、ちょ、ちょっと話した事はないタイプだけど……年齢的には私と近い、かな? 厚化粧だからよく分からないけど……)

 何だか不安になってきたし、ちょっと話しかけてみようか――と思い立った。ミミが恐る恐る、「あのう」と声掛けすると、女性はポテチを齧る手を一度止めた。ゆっくりとこちらに視線を動かしてから、女性は油分と塩気の付いたその指先を(痛々しいくらいに深爪をしている)舐め回しちゅぱちゅぱと音を立てた。

「あっ……え、ええと……そのー、私、あんまりこの辺の土地勘がなくて」

 えへへ、と愛想笑いを浮かべても向こうはそれに応じる事はなく、指しゃぶりをした状態のまま瞬きもせずにミミをじっと見つめていた。よそ者を見るような目つき。唇の周りが、チップスの油でぬらぬらと輝きを放っているのが分かった。

「その〜……あ、あなたはこの辺の方……なんでしょうか」

 答えはない。女性は、指を咥えて黙ったまま。

「詳しいんですか? 周辺の事には」

 次の質問にも、答えはない。瞬きもせずに女はジっとミミの方を見つめるばかりだった。

「……、このバスって、『彩炉里』に向かってるので合ってますよね?」

 それは彩炉里、と書いて『いろり』と読む、今晩停まる予定の温泉宿の名だ。ネットで見る限りでは女性客に人気がって、料理も美味しくて、値段もリーズナブルで、今なら予約でおまけにエステティシャンによるフェイスリフトアップケアがついてくる! なんて謳い文句が踊っていたのだけれど。

 その時のミミの顔は、きっと半分引きつっていたように思う。女がようやくおしゃぶりしていた指を口から離し、ミミの顔を相変わらずまばたきもせずにじぃっと見つめた。しかし――今までとは少し様子が違うように見えた。ミミは何故か(まずい)と感じ、反射的に身を竦めていた。

「悪夢よ」
「え?」

 初めて、女の声を聞いた。想像していたよりも甲高くて、きんきんとしていた。

「行き先は悪夢。ただ、それだけよ」
「……な……、なに? どういう事、それって――」

 鼓動が早まる。血の気が引くのを感じた。脳に火薬を詰め込まれて、じりじりと燃やされているような感じがした。ミミは愕然とし、まるで座席に身体を縫い付けられたかのように動けないでいた。

「逃げる事は許されないわ」
「っ……!」

 疑いない、やっぱり何かおかしい! はっとしたように顔を上げると、自分の周囲にあの異様な客達が集結している。皆、死人のような顔つきだった。表情が見当たらなかった。笑っているでもない。怒っているでもない。蔑みも憎しみも何もない、どんな感情も存在していない能面のような顔だった。

「ひっ……」

 息を飲み、後ずさった。一番後ろの座席に座った事を心の底から後悔した。馬鹿。馬鹿。何でなのよ。不気味なその団体は、徐々に徐々に包囲を狭めてくる。逃げられないのよ、逃げられないのよ、悪夢からは誰も。そう囁く隣のゴスロリ女の声が、ぐわんぐわんと脳を揺さぶった。
 耐えきれず、思わず両耳を塞いだ。それでも嫌な轟音は鳴りやまなかった。脳内を侵食し、好き勝手に蠢き回っては意識を掻きまわした。

「やめてっ!!!!」

 自分の悲鳴に――まずは目を覚ました。
 あ、夢だったんだ! と思っていつものベッドの上で、トキオが傍にいて目を覚ます――のかと思いきや……残念。まだ、あのバスの中だった。けど、周りには自分以外誰もいないようだった。バスの中には電気が点いていて、外はもう日が暮れて真っ暗だった。

「お客さん。着きましたよ」
「……、え……?」

 それからようやく、状況を飲み込んだ。あ、と起き上がり、辺りを見渡しそれから自分のみを案じてみた。何かされたような外傷や痛みもなく、そして持ち物が盗まれたような感じでもない――ほっと一安心し、ミミは胸を撫で下ろした。多分、大丈夫。多分……。

(ていうか途中で寝ちゃったのか、うわ。あっぶな……)

 無事で何よりだったけど、見知らぬ土地で見知らぬ人間ばかりの中であまりにも危機感がなさすぎる。と、反省会もそこそこに、運転手からの無言の「早く降りろ」のプレッシャーに慌てて立ち上がる。
 そそくさと荷物をまとめて椅子から降りると、まだ一人だけ乗客がいる事にふと気付いた。それも、声を掛けられて知った。

「お姉さん」
「……え?」

 随分とあどけない声で呼び止められ、振り返れば先程の狐面の少年――が、背後に立っていた。少し驚いて咄嗟に反応できずにいると、少年は後ろ手に持っていた何かをこちらにすっと差し出してきた。

「……え……っと。なあに?」
「これ」

 少年が両手で持っているのは、どうもぼろぼろのスケッチブックのようだった。これをどうしろ、というのだろう――? ミミは疑問符を浮かべた表情のまま、尋ね返すのであった。

「わ、私のじゃないわよ、それは。坊やの……じゃないの?」

 少し身を屈めて尋ね返しても、少年は無言でそれを突きつけるばかりだ。……とりあえず受け取れ、という事――なんだろうかなあ。早く降りたいのもあり、ミミが不審に思いつつそれを受け取ると、表紙には子どもの字で書かれた拙い『らくがきちょう』の文字や、何とも呼べない動物かキャラクターなのか、雑な線で描かれたイラスト。ぼろぼろのシール。飛び散った絵の具の固まり。

 不思議そうにそれを開くと、クレヨンで描かれたのであろう落書きの羅列に、意味の分からないへたくそな文章がぎっしりと詰め込まれていた。――こんなものを見せて何がしたいんだろう? 心底気になりつつパラパラとページをめくり進める。

 中には観覧車のようなイラストと、メリーゴーラウンドの回転木馬、色とりどりの風船、ピエロとプリンセス。ウサギの着ぐるみ。遊園地をイメージしたのであろうそれらの絵が何を意味するのか、ミミには想像力が至らなかったのだが――と、そのまま次のページをめくり、思わず戦慄した。

 真っ赤なクレヨンで塗り潰された真ん中には、頭の潰れた棒人間が(とは言っても所詮子どもの画力なので、目を背けるようなグロテスクなものではないのだけど……)描かれていた。

「これは……」

 ほとんど無意識のうちに次のページへと移ると、次はドレスのようなものを纏った笑顔の少女のイラストが現れた。真っ赤なクレヨンで塗り潰された中央で、たおやかな笑みを浮かべる幼い少女。髪の長い、お姫様のような少女は後光が差しており、まるで天使か女神のように美しく描写されているのが分かった。――だけど、同時に『異質』であった。

 描いた本人はこの少年なのかは分からないが、彼女を何か天使のようでもあり、悪魔のような存在として捉えているのだろうと……そんな風に直感的に思った。蠱惑的で美しい顔と、同時に空虚な闇を抱えた『何か』。只の好意的な存在として、この少女を描いたとは思えなかった。

「――一体……」

 そして、最後のページに挟まれていたのは――くちゃくちゃに畳まれた一枚のA4サイズくらいのコピー用紙だ。開くと、どこかの遊園地の地図が印刷されているようだ。コピーされた年数を見ると、もう十何年も前のようで、自分が大学生くらいの時じゃない? と、何だかちょっぴり胸が痛くなってしまうのだった。
 まあ、冗談はさておきに、一体これをどうしたらいいのだろうかとスケッチブックを閉じ、少年に問いただそうとした。が、少年はもう既にバスを降り、闇の中へと走っていく姿が見えた。
 まずい、見失ってしまう。
 ここが果たしてどこなのか、目的地にちゃんとついているのか、思考がそこまで働かず、ミミはがむしゃらに走り出していた。
 きっと、この時にはもうおかしな世界に迷い込んでしまっていたのかもしれない。いや、或いはバスに乗車したあの瞬間から?

「あ、ちょ、ちょっと待って!」

 わけもわからず彼の後を追いかけ、バスを勢いよく飛び出した。見れば足場の悪い視界最悪の山道で、おまけに霧も出ている。……にも関わらず、ミミは少年の後ろ姿を追いかけた。そうせねばなるまい、と思ったからだ。身体が勝手に動いていたのだ。ヒールなんか履いてこなくて、あとリュック一つの身軽さで来て本当に良かったと思う。一週間の旅行で歩きにくい靴なんか履かないけど、それでも自分を褒めてやりたい気分だ。

 日頃は立ち仕事と体力勝負なのもあり、同年代の子よりはほんのちょっとだけ体力はある方……の、ハズ。多分。が、いかんせん自分ももう三十過ぎた身分である。一晩起きていても遊んでいられたような二十代の時とは違うのだ……と、ぜえぜえ肩で息を吐きつつ、近くの木に手を突いて小休憩を取る。

「うー、横っ腹が痛い……っと」

 立ち止まり、きょろきょろと少年の姿を探してみるが周囲に人影は愚か生き物の気配すらなく、虫の鳴き声すら聞こえてこない。代わりに、何か人工的な機械音が少し耳朶を通り抜け、ミミはまとわりつく夜気と汗を払いながら正面を見た。

「……ここ、って」

 草木の間から覗く、ぐるりと園内を囲む柵はまるで城壁だ――、おとぎ話に出てくるお城のような外観と、何故か未だライトアップされたままの、観覧車。囲まれた壁の中にはまだ誰かがいるのだろうか?

 それから――思わず息を飲んでしまった。先程の落書きにあった場所なのではないだろうかと。胸元に抱え込むようにしていたノートが、なぜかジワリと熱を含んだような気がした。