2-1
錆兎くんが消えたのは、私が彼に「君はわたしを捨てておいていく」と、そう失言した日の夜のことだった。
村の端にあった錆兎くんの家は、野盗に入られたらしい。曰く、家の中は血みどろで、荒らされ、錆兎くんの両親と思しき骨が二つ転がっていた。
しかし、野盗とは言うものの、金品の類は取られていなかったそうだ。ただ、錆兎くんの骨は見つからず、死んでしまったのか、生きているのか、拐かされたのかすら分からない。
彼は、生きているのだろうと思う。
あの女の記憶によれば、彼が死ぬのは鬼殺隊とやらの最終選別のことだ。
…あと、数年先の話。
本当に嫌気がさす。
意気地のないわたし。嘆くことしかしないわたし。その癖、自分の保身に走るわたし。
彼が死ぬくらいなら、わたしが、
「弥生子」
「…師範」
「稽古だ。刀を持て」
錆兎くんが消えてすぐ、わたしは村を出た。
存外わたしは、彼に心を傾けてしまっていたらしい。
彼の消えた村に居ることが、どうにも耐えられなかった。
師範と出会ったのは村を出て数年たった頃だった。奉公先を転々としながら食いつないでいたが、身寄りもなく、奉公先すら覚束無い娘はさぞ目立ったことだろう。
わたしは人攫いにあった挙句に花街に売り飛ばされた。
禿になるには少し歳が行き過ぎていたものだから、新造として姉さん女郎の付き人に当てがわれた。
「なんだ、見ない顔だな」
「最近入った子でねえ、少しぼんやりしてるが、器量のいい子だよ」
「へえ、……舐め腐った顔しやがって」
師範は姉さん女郎の常連だった。
いつも酒に酔った赤ら顔で、やけにわたしに対して突っかかってくる客だった。
「くだらねえ顔晒してんじゃあねえぞ」
「ひとの足元見やがって」
「とりあえず笑ってりゃあいいと思ってんだろ、お前」
「てめえ見てると腹が立ってくる」
姉さん女郎は少し困った顔をしていたが、彼は散々わたしをなじる割に、姉さん女郎への指名を外すことはなかった。
ある日、彼は座敷に大量の銭をぶちまけた。
「い、一体どうしたの」
「そいつを買う」
酒に据わった目で、じっとりとこちらを見つめていた。
「この子はまだ水揚げも済んでいなくて…、」
「愛想もねえこいつが立派に女郎なんぞ出来るかよ。むしろ感謝して欲しいもんだな、厄介払いができるんだぜ」
姉さん女郎や、楼主や内儀がどれほど言葉を尽くしても、彼は折れなかった。
何故彼はそこまでわたしに執着するのだろうか。
ふいに彼に胸ぐらを掴んで引き寄せられた。
酒臭い呼気が鼻をくすぐる。
「ああ、全く嫌になる。お前を見てると、昔の俺を思い出して胸糞が悪い」
だから、俺の手でてめえのその面、少しはマシにしてやるさ。
結局、わたしは師範に買われて花街を出ることになった。
姉さん女郎は少し気の毒そうな顔をしたが、わたしがどこか、笑っているのに虚ろ気な様子は気味が悪かったのだろう。内儀も最終的にはまあいいかと、わたしを送り出した。
わたしを連れ帰った男は、一振りの刀を投げ渡すとこう言った。
「お前には鏡の呼吸を習得してもらう」と。
ざわりと心臓があわだった。
この男はなんと言った?刀を持たせた挙句に、「呼吸」を習得?
「は、少しましな顔になったか。下手くそに笑うよりか青白い顔を晒した方がまだ見れる」
わたしを買った男は鬼殺隊士の「育手」であった。
そこからはひたすら修行の日々である。
殴られ、蹴られ、転がされ、罵倒される。
そんな日々を繰り返すこと数年。
私の齢が十五になったころで、師範の頬に刀傷をつけたとき。
「修行は終わりだ。鏡の呼吸は、全て教えた」
「俺は育手をやってはいるが、実際修行をつけたのはお前がはじめてだ」
「当然だ。鏡の呼吸なんてものは、所詮他の呼吸の紛い物にすぎん。俺は水の呼吸に始まって、全ての呼吸を試してみたが、どれも俺には納められなかった。」
「だがまあ、ただ後悔に溺れながら鬼を切ろうとした男の末路なんざこんなもんだろう。いいか、鏡の役割は、写し、反射することだ。紛い物には紛い物であるという役割がある。」
「お前に教えることはもうない。鬼殺隊に入るも、入らないもお前のすきにしたらいいさ」
「人間生きていれば後悔を残して死ぬこともあるだろう。だが、自分の後悔を引きずって嘆くのはやめろ、みっともないからな」
よもや修行を終えて放り出されるとは思わなかった。
しかし、伊達に数年のときを一緒に過ごしていない。流されるように修行をし、このまま師範の言われるがまま最終選別を受けに行くような娘に見えていたのだろう。全くもってその通りだ。
村を出てからあの女の半生に、あの女が持つ鬼と人間達の物語の記憶に思考をはせることは確実に減っていた。
ぼんやりとただうつろうだけの時間がなくなったとも言えるし、死に行く錆兎くんに何も出来ない自分に、直面したくないが為とも言える。
…いや、私が十五になったということは、彼は既に死んでいるのだろう。
頬をぬるいなにかが伝っていく。
わたしが泣くのは、いつも彼のことを考えてしまう時だ。
はじめに彼女を認識したのは、最終選別七日目の朝のことだ。
修行をつけてくれた鱗滝さんと、任務の合間を縫って厳しいながらも水の呼吸を確かなものにしてくれた錆兎、言葉をもって教えてくれた真菰のおかげで、どうにか手鬼の首を斬り、最終選別を生き延びた。
最終選別を生き残ったのは、俺を含めた五人だけ。
その中で、重やかな後悔の匂いと、それでいてすぐに忘れてしまうような微かな生の匂いがする女の子がいた。
疲労で頭は回っていなかったが、生きているのに生の匂いよりも後悔の匂いが強いこと。それから、俺と目が合った瞬間に顔をあおざめさせて、酷く悲しそうに笑ってみせたことはよく覚えている。
その女の子になんとなく既視感があった気がしたが、疲れ切った頭でその既視感の正体を思い出すことは出来なかった。
その場で言葉を交わすことは無く、次に会ったのは、俺とその子の合同任務の時だった。
「君が、竈門炭治郎くん?」
「あ、ああ。君は、」
「弥生子といいます。よろしくね」
微笑んでみせた弥生子からは、やはり強い後悔の匂いがした。
「弥生子は、なんの呼吸を学んだんだ?」
「わたし?…竈門くんは、水の呼吸なんだっけ」
「炭治郎でいいぞ弥生子!ああ!育手の鱗滝さんや、兄弟子姉弟子が教えてくれたよ」
「そ、そう。…そっか。そうすると、少し、ええと、炭治郎くんとは縁があるかもね」
「縁?」
「わたしが学んだのは”鏡の呼吸”。わたしの師範がつくった呼吸だけど、水の呼吸から派生したそうだよ」
やんわりと笑みをたたえて教えてくれる弥生子を見て、修行をつけてくれた錆兎もこんな匂いをしていたことをふいに思い出した。
最終選別の時に弥生子に感じた既視感の正体は、錆兎だった。
錆兎からは、ふとした時に後悔と、行き場のない怒りの匂いがする。
「炭治郎は、十五だったか」
「? ああ、今年で十五になる」
「十五、な」
静かに、だけれども轟々と濁流のように滲む怒りの匂い。
不甲斐ない俺に向けられた怒りとは、また違う類のそれ。
でも、同時に錆兎は寂しそうな表情をしていた。
わたしがどうしようもない人間であることはとっくに理解している。
錆兎くんが死ぬことを知っていながら、「君はわたしを捨てておいていく」という言葉を吐くことしか出来なかった自分。
本当に彼を死なせたくなかったなら、実際に行動に移すことだってできたのに、自分可愛さにわたしは何もしなかった。
錆兎くんだけの話ではない。
あの女の持つ鬼と人間の物語の記憶通りなら、主人公である竈門炭治郎が入隊する前に死んだ、あの人やあの人だって、そもそも、竈門炭治郎その人も、わたしが、なにか行動していれば。
「ふむ、鏡 弥生子は君で間違いないか?」
「…貴方は、」
「炎柱の煉獄杏寿郎という。優秀な剣士だと聞いている。共同任務、よろしく頼むぞ!鏡少女!」
もう遅いことは分かっている。
それならせめて、錆兎くんが斬れなかった鬼を、私が殺す。
錆兎くんの分まで。
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