3-1




「紛い物には、紛い物であるという役割がある」




よく師範がこぼした言葉だ。

死を覆すことができるのか。
物語に存在しないわたしが、存在してもいいものか。
死ぬはずの人間を救ってもいいものか。

何を悩むことがあるだろう。
彼の人の死を断ずるのは私ではない。
そんな傲慢は許されない。
わたしは、神ではないのだから。








「よく任務が一緒になるな、鏡少女」

「煉獄さま」


わたしは呼吸の性質上、共同任務という形が一番都合がいい。
そして、何故か炎柱との共同任務を言い渡されることが多かった。


「これだけ任務を共にするのも何かの縁!鏡少女、俺の継子になるといい!」

「…お誘いは嬉しいのですが、鏡の呼吸を修める者は他の呼吸を習得できない半端者でして、」

「ふむ、確かに先日の任務で見た俺の技とそっくりの型は、炎の呼吸のそれとは言い難いが、素晴らしいものだったぞ!それに、なに!俺が教えるのだから鏡少女は大船に乗ったつもりでいればいい!」


ああ、この人は中々もって強引な人だけれど、同時に面倒みのいい、炎のような苛烈さと、篝火のような温かさのある人だ。


「なにか、心配事か?」

「え?」

「それほど多くはないが、下級隊士の中では一番と言っていいほど君とは共に任務に赴いている。今日は表情がかたい。」


ぎくりとした。


「君が何を憂いているかは分からないが、心配するな!この煉獄杏寿郎がついているからな!」


わたしは固い笑いを返すのが精一杯だった。
今日貴方は死ぬ予定で、だからわたしはそれを覆すことが出来るのか不安なのです。
そんなこと言えるはずがない。


「腹が減ったな!弁当を買おう!鏡少女の分も奢ってやろう!遠慮することはないぞ!」

「…では、ありがたく」


次の任務は、無限列車に現れる鬼の討伐。









「えっ、弥生子!」


炎柱のうまい乱舞を聞きながら、緊張ゆえに味のしない弁当を貪っていると聞き覚えのある声に呼びかけられた。


「こんにちは、炭治郎くん」

「え!?この子が弥生子!?」

「ああ、善逸も最終選別で見かけただろう?」

「ま、まあ…。女の子二人いたからなあ」


炭治郎くんの後ろには金髪の少年と猪頭の少年がうろうろと視線をさ迷わせながら突っ立っている。


「わたしは弥生子。おふたりのお名前は?」

「!俺は我妻善逸で、こっちの猪頭は嘴平伊之助。こいつのことはあんまり気にしないでいいよ」


実際嘴平くんは汽車の方に気を取られ、私のことなど眼中に無いようだった。
隣に座った我妻くん、否善逸くんは、わたしに名前を呼ぶように言いつつ、弥生子ちゃんは髪がきれいだねなどと、にこにこしながら可愛らしい言葉をかけてくる。
わたしにもそんな呼びかけをしてくれる彼は、女の子にはいつもこんな調子なのだろうか。
師範には散々顔やら何やらにケチをつけられたので少し新鮮な気持ちになる。


「鏡少女の鏡の呼吸は、水の派生だったな?」


炭治郎くんに呼吸について教授していた炎柱に声をかけられる。


「ええ、全ての呼吸の成れの果てとも言えますが、師範はもとは水の呼吸を学んでいましたから」


そもそも、鏡の呼吸は模倣の技である。

水、炎、雷、風、岩の呼吸全ての修行を試みたが、どれとも適応出来なかった師範が苦渋の末に生み出した。
鏡は写し、反射するもの。
鏡の呼吸は、共に戦う人間の扱う呼吸をその場で模倣し、鬼の首を斬る。
当然、模倣する人間が強ければ強いほどこちらの技の精度も上がる。
故に、それぞれの呼吸の基礎動作は叩き込まれているが、全ての型を修めるには至っていない。
半端ものの呼吸、それが鏡の呼吸だ。


「弥生子は、ヒノカミ神楽って知ってるか?」

「いいえ。師範からもそんな言葉は聞いたことがないよ」

「そうか…」


しょんぼりと項垂れる炭治郎くんに申し訳ない気持ちになるが、わたしはヒノカミ神楽とやらは分からない。
申し訳ないというわたしの声に、炭治郎くんはいやいやと首を横に振った。


「そういえば弥生子、俺の兄弟子が次に君に会ったら引きずって来いと言っていたんだが…」

「ええ…?」


なにやら顔を合わせたことも無い炭治郎くんの兄弟子を、わたしは随分と怒らせてしまったらしい。


「知り合いかと思ったんだけど…」

「炭治郎くんの兄弟子って…、」

「うおおおおお!!すげぇすげぇ速えええ!!」


水柱さまだよねと口を開きかけた時、動き始めた汽車に大層興奮した様子の嘴平くんの声が響く。


「危ない馬鹿この!!」

「俺外に出て走るから!!どっちが速いか競争する!!」

「馬鹿にも程があるだろ!!」


ふんふんと鼻息荒く叫ぶ嘴平くんを、さらに上回る声で善逸くんが馬鹿馬鹿と声を張って遮る。
その二人を宥めるようにかけられた炎柱の台詞に、善逸くんは盛大に固まった。


「危険だぞ!いつ鬼が出てくるか分からないんだ!」

「え?嘘でしょ鬼出るんですかこの汽車」

「出る!」


この汽車ではすでに短期間のうちに四十人以上が行方不明、かつ送り込まれた鬼殺隊士も消息を絶っている。
鬼殺隊もかなりこの状況を危険視しているのだろう。下級隊士ではあるが剣士を四人、加えて柱を現場に向かわせている。


「切符、拝見致します」


切符を確認しに来た車掌は、やけに顔色の悪い男だった。
一抹の不安が過ぎったが、切符を見せない訳にもいかない。
わたしの持つ切符が車掌の手にさらわれる。



パチン。




















「弥生子!」





「え、あ…」

「もう、大丈夫?」

「弥生子ホームルームのときからずっと寝てたもんね!」

「歩きながら寝るなんて器用だなあ弥生子ったら」


気づけばいつもの学校からの帰り道を、いつもの三人と歩いていた。


「あ、ごめん、なんでだろそんなに夜更かししてないんだけど…」

「逆に寝過ぎちゃったんじゃない?」


そうなのかなあとぼんやりと呟やきながら、顔の横に垂れた髪をいじる。
いつも通りの高校の制服の筈なのに、なんだか身体に馴染まないような、その装いが軽すぎるような不思議な気分に満たされていた。


「それにしてもさあ、どうなの?弥生子」


にんまりと笑いながら言ってくる彼女の表情に、これはからかわれる流れだぞと身構えた。


「どうなの…って」

「噂の年上の幼なじみだよお〜」

「いい加減に告白した?」


右腕左腕にぴったりと友人が引っ付いてくる。
友人三人揃って、わたしと年上の幼なじみについてからかうのは定番とも言える話題であった。


「こ、告白って、錆兎くんはお兄ちゃんみたいな感じで…。それに、錆兎くんわたしのことそういう目で見てないよ」

「またまたあ〜、六歳も下の高校生と未だにお家で映画デートしたり?お買い物付き合ってくれる幼なじみが何にも思ってないわけないじゃんか!」

「ちゃっちゃと付き合っちゃいなって、ね!」


付き合う?あの錆兎くんと?
錆兎くんはわたしの六歳上、二十一歳の幼なじみである。それだけ歳が離れていれば幼なじみといえど疎遠になるものだが、両親共働きで家に一人になりがちなわたしを、優しい彼はいまだに構ってくれている。


「わ、わたしここだから!また明日!」

「あ、逃げた!」


じゃあね、なんて声を後ろに聞きながら、小走りで家への道を辿る。
頭がぐらぐらする。
きっと、急にするわけもない「錆兎くんへの告白」なぞ考えてしまったからだ。




「いた、弥生子」




どきりと心臓が跳ね上がる。


「さ、錆兎くん…」


振り返った先にいるのは、つい先程まで話題に上がっていた彼だ。
少し変わった、ピンクがかった髪を持つ端正な顔立ちの青年。

…なんだか、猛烈に悲しい気分になった。馴染んだ彼が、とても空虚で、全く知らない人のように感じた。
生まれてこの方、ずっと付き合いのある彼を全く知らない人のように感じるだなんておかしな話しだ。
なんだか、今日は調子がおかしい。


「なんだ、幽霊でも見るような顔をして」

「あ、ううん、なんでも…」

「そうか?…お前の見たがってた映画、借りてきたぞ」


錆兎くんは不思議そうな顔を一瞬見せたものの、すぐにわたしに向けて笑顔を見せる。
よく見えるように上げられた右腕には、馴染みのレンタルショップの小さな黒い鞄が下げられていた。


「ほんと?…嬉しいな」

「今日も家に一人だろう?夕飯を食べたら邪魔する」

「わかった。…ありがとう、錆兎くん」

「礼を言われるようなことはことはしていない」


それじゃあ、またあとで。

















これは一体なんだ。

弥生子の夢に入り込んだ少年は、ただ呆然と立ち尽くした。

なんだか虚ろとした、存在の薄い女の剣士。いささか気味の悪さを拭いきれないが、特に問題もなく”精神の核”を壊せるだろうと少年はたかを括っていた。

しかし、これはなんだと言うのだろう。
少年が立っているのは、全くの未知の世界であった。
踏み固められたのとも、石畳のそれとも違う灰色の地面。木造には見えない、背の高い建物。そして、遠目に見えた”本体”は、やけに丈の短い袴を履いて随分とトンチキな格好をしていた。
しかし、そのトンチキな格好をしているのは”本体”だけではなくて、夢の世界にある全ての人間がそんな格好をしていた。
あれは洋服なのだろうと思う。
富裕層しか着ないような小綺麗な服。
それを見かける人間全てが着ている。

いや、そもそも大正の世とは思えぬここはなんだ。

目に映る全てが未知のもので、動くことすらままならない。

少年はあまりのことに痛む頭を抱えた。
”夢の端”に行くという使命が頭から抜け落ちるほど、この時の少年は慌てていた。














「おい、弥生子」


ふいに視界に現れた宍色に、わたしの身体は大袈裟なほどびくりと反応した。


「なんだかぼんやりしてるな。具合でも悪いか?」

「ううん、そんなこと、ないよ」


心配するように目を細めた錆兎くんは、いつもの優しい彼のはずなのに、ずっと違和感が消えない。

彼はこんなにも男らしい骨格であっただろうか。
宍色の髪は短かったろうか。
…わたしは宍色という色を知っていただろうか。
その端正な顔の口元には、傷などあったろうか。
いや、傷はあったような気はするのだ。
でも、違和感は拭えなかった。


「ちょっと、顔洗ってくるね」

「ああ。映画は止めておくから急がなくていい」




蛇口を勢いよく捻る。
白い陶器に勢いよく当たって跳ね返った水が方々に飛び散った。

自分の髪を掻きむしる。

なにかおかしい。
でも、その違和感の正体が分からない。

答えの出ない自問自答に、頭どころか視界まで靄のかかっているような気分になった。
ゆっくりと鏡を見上げる。


鏡に写るのは、酷く目の濁った女であった。


確実に、それは自分であると分かる。だのに鏡に写るそれは、だぼだぼのTシャツに髪を下ろしたわたしではなく、黒の詰襟に羽織を着た女だった。


ああ、そうか。
わたしにこんな穏やかな日常が、与えられる訳がなかったのだ。



「弥生子?」


急にかけられた声に、思わず左腰に差した刀へ手をやった。

「あまりに遅いから様子を見に来たんだが、大丈夫か?…どうしたその格好」

現れたのは、案の定錆兎くんであった。
ああ、違和感を覚えて当然だ。

わたしが実際に知る彼は、ほんの十一歳の少年だ。
まだ年少時代特有のまあるい骨格で、長めの宍色の髪をもつ。
そして、まだその口元には傷がない。

ゆっくりと後ろを振り向いて、二十一歳の錆兎くんの姿を視界に納めた。


こんな夢にすら彼の姿を夢想するなんて、わたしの錆兎くんに対する執着といったら呆れる他ない。


涙が止まらない。
次から次に涙の粒が頬を転がっていく。
視界の錆兎くんはぎょっとした顔をした。

なんて酷い夢だろう。
そして、なんて蠱惑的な夢だろう。

ああ、でもこれが夢だというのなら、ずっと彼に伝えてみたかったこの言葉をかけることくらいは許されるだろうか。


「おい、弥生子…、やめろ、危ないだろ」


ゆっくりと、手馴れた仕草で刀を抜く。そして、その鬼殺の刀を太い血管の走る首にあてがった。
わたしは、もしかしたらずっとその言葉を言いたかったのかもしれない。

「落ち着けっ、」





「錆兎くん、だいすき」





真っ赤な血しぶきと、絶望し切った錆兎くんの顔が網膜に焼け付いた。

















激しく跳ね回る心臓と、余韻のようにボロボロと流れ続ける涙に飛び起きた。


汽車の中は、乗った時の小綺麗な様子ではなくて、ぼこぼこと肉が隆起した薄み気味悪い様子だった。

しくった。

そうだ、あの切符を切りに来た車掌も鬼の支配下にあり、それが切片となって血気術にかけられる。
炎柱の死という重大な問題は覚えていたが、それに至るまでの経緯が、何故だかすっぽりと抜け落ちていた。


「くそっ…」


抜き去った刀で、乗客を取り込もうとする鬼の肉を切りつける。
わたしが目覚めたのはだいぶ遅かったらしく、すでに炭治郎くんたちは居ないようだった。


「気が付いたか鏡少女!」

「煉獄さま!」

「余裕が無いから手短に話すぞ!この汽車は八両編成だ!俺は後方五両を、残りの二両を黄色い少年と竈門妹が守る!一両は君が守れ!」

「二両です」

「ん?」


わたしは、到底強いとは言えないだろう。
三両、いや二両を守るのが今の私には精一杯だ。
それでもせめて、炎柱にかかる負担を減らしたい。


「煉獄さまは後方四両を、わたしは二両死守します」

「…そうだな、君なら大丈夫だろう!竈門少年と猪頭少年は鬼の頚を探している!健闘を祈る!」


凄まじい衝撃とともに、炎柱の姿ははるか後方へ消えていった。
…気合を入れ直さねば。



























「俺は俺の責務を全うする!!ここにいるものは誰も死なせない!!」




炎柱の声が聞こえる。

鬼殺隊の役目は鬼の首を斬ることであり、民間人を鬼の脅威から守ること。

汽車が横転したあと、わたしはすぐに炎柱や炭治郎くんのもとには向かわなかった。
…向かえなかったとも言える。
我々が優先すべきは民間人の命だ。きっと、彼ら乗客を置いていってしまったら、わたしは錆兎くんに怒られてしまう。

間に合うだろうか。
いや、そもそも、わたしに”上弦の参”の攻撃を受け止めることが出来るだろうか。
せめて、せめても、わたしは炎柱の命をつなげたい。柱が死ぬより、下級隊士である自分が死ぬほうが絶対に鬼殺隊のためになる。

死ぬのは怖い。
痛いのも怖い。
戦うことだって、怖い。

でも、錆兎くんの命を見て見ぬふりをしたわたしは、きっとここで覚悟を決めるべきなのだ。



刀を構える炎柱と、拳を構える上弦の参が対局している。

間に合え、間に合え、間に合え。


「鏡の呼吸、壱ノ型」


鏡の呼吸は、そのほとんどの技が「写す」ものだ。
でも、ひとつだけ、鏡の呼吸独自の型がある。
「反射」すること。
敵の攻撃を受け止めて、その全てを跳ね返す。

成功するかもわからない。
そもそも、上弦の参に匹敵するような鬼と相対したことがなかった。


でも、これがきっと成功して、上弦の参に一太刀でも浴びせることが出来て、もしも、もしも炎柱の命を繋ぐことができたなら。







ひと目でも、ひと瞬きでも、閻魔さまはわたしを錆兎くんに会わせてくれるだろうか。































血の気が引くという言葉の意味を、真にこの瞬間知った気がした。

一日中首の後ろがチリチリと焼けつけるような嫌な予感がしていた。
炭治郎の鎹鴉に呼びつけられ、蝶屋敷に向かった時も、ずっと言い様のない不安が抜けなかった。

虫の報せ、というやつだったのかもしれない。

炭治郎も炎柱である煉獄杏寿郎も、重症ながら意識を保っていた。
特に煉獄の怪我の具合は酷くて、左目は潰され、肋骨は骨折、内臓もだいぶ痛めたらしい。
煉獄は、死ななかったのは奇跡だと笑いながら、寝台に眠る少女を見て困った顔をした。


鏡弥生子。
上弦の参の攻撃から煉獄を守った下級隊士。

上弦の参の拳を刀で受け止めたが、勢いを殺しきれず後ろに庇った煉獄共々吹き飛ばされた上、その日輪刀は粉々に砕かれたのだという。
上弦の参はその後すぐに太陽から逃れるように消えていったらしい。

鏡弥生子は外傷は目立たないが、頭を強かに打ち付け昏倒。内臓も痛めたそうだ。
そして、まだその目を覚まさない。





「錆兎…」

「…無事でよかった炭治郎」

「錆兎、やっぱり弥生子と知り合いだったんだな…」

小さく肯定の言葉を返しておいた。
きっと、炭治郎が気を利かせて俺を呼ばなければ、俺とこいつが会うのはずっと先になっていただろう。

寝台に散った長い髪も、安心しきったように寝入ったその顔も、どれもこれも俺の知っている弥生子のはずなのに、確実に女のそれになっていた。

「阿呆」

瞼にかかった前髪をどかして、いつものように額を撫でた。

…なにが俺はお前を捨てて置いていく、だ。






「置いていくのは、お前の方だ」





1/1
prev  next
list /TOP