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「見つけたぞ、弥生子」


ぼんやりと思考の海に溺れるために、あの女の暮らす平和で死の遠い世に思いを馳せるために、村の端にある椿の垣根に隠れるように座って佇むのが常だった。


「全く、俺でなければ見つけられなかったぞ」


錆兎くんはそう言って、わたしのことなどお構い無しにどっかりと隣に座り込む。
最初は、放っておいてくれればいいのにと思っていた。
けれど、わたしがひとりぽっちでいなくなる度に、彼が見つけ出してくれることがたまらなく嬉しいことになっていたのは確かだった。










死後の世界とはこういうものなのか。

死後に渡るという三途の川も、奪衣婆もいない。
しかし、わたしの眼前には幼少のころ眺めていたあの女の半生が延々と流されている。
噂に聞くシネマとは、こんなものかもしれない。

いや、シネマというよりも浄玻璃の鏡だろうか。かの閻魔さまが、人の善悪を判ずる為に見るという。
しかし、これが浄玻璃の鏡だというならわたしの人生が流れるはずだから、やはり違うのか。

それにしても、閻魔さまがいないということは、錆兎くんにひと目でも見えたいというお願いをすることが出来ない。


取り留めもない断片的な思考に、ぼんやりと頭を傾けながら、あの村に居た時以来のそれを見つめる。
女は、相変わらずこの時代よりもずっと綺麗で明るい部屋に居て、にこにこと絵物語を読んでいた。

村を出て、あの女の半生を眺めることがなくなってから、あの女のもつ鬼と人間の物語の記憶は着実に薄れていた。
なんと言ってもわたしは人間だから、反芻することがなくなれば思い出すことは難しい。
無限列車で車掌が切符を切る行為の意味を忘れていたのもそのせいだろう。

幼いあの頃、未知の世界の生活を、豊かで明るい生活を見るのは楽しかった。
わたしは捨て子だったからずっと貧しくて、寒くて、暗くて、家族だって生まれて四年か五年で捨てられてしまったから、わたしの頭の中だけにある奇しい記憶は救いだった。

錆兎くんはずっとわたしの面倒を見てくれたけど、夕暮れになれば彼は家族のもとに帰ってしまう。
寂しかったのだろうと思う。でも、寂しいことを認めてしまえばもうひとりで生きられないから、ずっとあの女の半生を頼りに生きてきた。

助けだったそれが、憎々しいほどのものに変わったのは錆兎くんが死に行く人だと気づいてからだ。
あの鬼と人間の物語は、残酷だ。
薄れ行く記憶の中でも、錆兎くんの死、主人公である炭治郎くんの家族の死、そして煉獄さまの死は、酷く脳裏に焼け付いた。

憎々しいまでに羨ましくなった。
死の遠い世界。
そして、錆兎くんの死が現実でない世界が。


またあの女が笑っている。
誰も聞いていないのをいいことに舌を打った。

錆兎くんの顔が、見たかった。
目を閉じて、宍色のきらきらしいあの少年の顔を思い出す。
ふいに脳天気な女の声が聞こえた。





「君が思うより、存外この世界は優しいよ」





やっぱり、この女は嫌いだ。

















目に太陽の光が突き刺さる。
眩しさにくらんだ視界に、人の形が写りこんだ。


「あら、お目覚めですか?弥生子さん」


鈴を転がすような声がする。閻魔さまは、かくも美しい女性だったのだろうか。


「閻魔さまとは失礼ですね」


それと、貴女ちゃんと生きてますよ。
にっこりと美しく微笑むその人、蟲柱はわたしの手首を取って脈をはかる。


「中々起きないものですから、心配していました。炭治郎くんたちなんて、次の任務に出てまた大怪我をして、そろそろ機能回復訓練に入るころですよ」


ぐいと瞼を引き上げられて、瞳を覗かれる。蟲柱の大きな目に写る自分の顔は、げっそりとしていて幽鬼もかくやという様子だった。


「まだしばらくは安静にしていてください。炭治郎くんたちを呼んで来ましょう。煉獄さんにも知らせなければなりませんし、ああ、彼も丁度任務から戻った頃でした」


相当眠っていたらしい。それもひと月におさまらぬくらい。死んだものだと思っていたくらいだから当然か。
…それにしても、上弦の参の攻撃を受け止めて、我ながらよく生きていたものだ。
ずり下がっていた布団を、胸の辺りまでかけ直される。


「錆兎さん、かなり焦燥していましたからね」


蟲柱の言葉にびたりと身体の動きを止めた。
聞き間違えだろうか。
そもそも最終選別で死んだ彼の名前を、彼女が知っていることが可笑しい。


「いま、なんて」

「錆兎さんとお知り合いだと聞いていましたが、違いましたか?」


彼、たいそうおかんむりですよ。

















弥生子が目を覚ました。

蟲柱である胡蝶がそう告げてきたのは、蝶屋敷の庭先で炭治郎とその同期の少年たちに稽古をつけている時だった。

握った木刀もそのままに、弥生子の病室へ走る。
炭治郎たちも焦ったように追いかけてきた。


「弥生子!!」


弥生子がひとり寝かせられている病室の扉を蹴破った。
後ろで蝶屋敷の少女たちの咎める声がするがそれ所ではない。

部屋の中の寝台は、空っぽだった。
ボロボロでやつれた女の姿など跡形もない。
丸まったシーツの上には、点滴の管が薬を垂れ流しながら放置されている。


「あら、見かけによらずお転婆ですね。安静にするように言ったのに…」


もはや胡蝶の言葉すら頭に入ってこない。
轟々と濁流のように流れる水のような音が耳の奥に響く。
びきりと、自分の額に青筋が浮かぶような感覚がした。


「どうしたんだろう、弥生子…」


どうしたもこうしたもない。
あいつの考えることが、手に取るように分かった気がした。

逃げたのだ、俺から。


「さ、錆兎…?顔が酷いぞ」


そうだろうとも、酷いだろうとも。
今俺はかつてないほど怒っている。
あいつに「君はわたしを捨てておいていく」と言われた時より怒っている。

あいつは俺を待たない。諦めて先に進み続けた。だから今更俺と顔を合わせるのが気まづいのだ。


「とにかく、目を覚ましたばかりなら調子も良くないだろうし探してくる」


「いや、その必要は無い。俺が引きずり出してくる」


炭治郎の台詞を遮って、無意識に低くなる声で唸った。
我妻は俺を見てぎくりと身体を震わせた。

俺が任務に立つまでやり過ごす気だろうがそうはいかない。逃がすものか、覚悟しろ。
俺はお前を探すのが大の得意だぞ。











錆兎くんが、生きているらしい。

まさか蟲柱が錆兎くんの遺影を抱えてやって来るなんてことは無いだろうからそういうことなのだ。
なんということだろう。

嬉しい。天まで舞い上がれそうなほど、今の私は喜びに打ち震えている。
でも、彼と顔を合わせるのだと理解したら、いてもいられなくなって病室から逃げてきてしまった。
息が苦しい。
起きたばかりでガタガタの足では、蝶屋敷を出ることすら叶わない。

気まずいのだろうか。
ずっと彼の命を見捨てたことを後悔して、その後悔が少しでもうち払えればと思って鬼を切る決意をした。
ずっと彼を思っていた。
それが恋情なのか、親愛なのか、後悔の念故なのかも分からないけど、ずっと彼はわたしというものに居着いていた。

どうすればいいか分からない。
このまま逃げてしまいたい。でも一度くらい見えたい。

錆兎くんは、こんなわたしを





「見つけたぞ、弥生子」





喉笛をひゅうと空気が通って冷たい音がした。
その声は、低い大人の男の声だった。
声変わり前の、やわやわとした少年の声ではない。
全く知らない声だけれど、わたしの名前を呼ぶその人が誰なのかは直ぐに理解した。


「相変わらず、隠れるのは椿の垣根の下か」


大きく衣擦れの音を立てながらわたしの前にしゃがみこんで、顔を覗き込んだ。
ぞわぞわと首筋を電流に似た何かが走っていく。
たまらずに身じろいだ。

紛れもなく、大人の男だった。
骨がいかつくて、顔立ちも鋭くて、口元の傷が目立つ。眼もどこか据わっているから、堅気の男には全くもって見えない。
そして、身体はわたしよりもずっと大きかった。


「お前に会ったら、ずっと文句を言ってやろうと思っていた」


寂しいくせに勝手に諦めて、俺を置いてどこかに行って、やっと見つけたと思ったら挙句に酷い怪我をして。
影を落として苦く笑うその顔は、私の知っている少年のそれだった。


「でもお前の顔を見たらそうもいかなくなった」


節くれだった厚い手が、わたしの手首をとる。親指で血管を探るように撫でられた。


「脈が早いな。緊張してるのか」


かっと血が顔にのぼる。
羞恥に顔を赤らめるようなことはいままでなかったのに。
わたしはそれは酷い顔をしているだろう。錆兎くんはくすりとひとつ笑みを零した。


「お前、人間臭くなったなあ」


その方がずっといい。
そう言って微笑みながら、空いているほうの手も彼にそっと持ち上げられた。
わたしの指を、彼の手首に絡めるように誘導される。


「俺も少し緊張してる。脈が早いだろ」


軽く彼の血管に押し当てた指先に、少し早い振動が伝わってくる。
ああ、生きている音だ。


「お前は存外泣き虫で、寂しがりだったのかもしれないな。…悪かった、置いていって」


ずっとお前に会いたかったよ。


感情をせきとめていた何かが、決壊した。
涙だけじゃない、鼻水も、嗚咽も止まらない。
本当に酷い男だ。生まれてずっと、この男に振り回されてきた。
この男に人生も何もかも捧げてきたような生活をしていた。
それに対して後悔はなかった。そうなるように仕向けてきたのは自分だったから。

でもずっと、彼が居ないことに理不尽に怒り続けていたのかもしれない。
彼の生を諦める羽目になるような、そんな生き急いだ生き方をする彼にずっと怒っていたのかもしれない。




「もう、わたしをおいていかないで」




このお願いだけでいいから、死んでも守ってください。
そうえずきながら言葉を吐き出したわたしに、彼はしょうがないなあという顔をした。





「ちゃんと戻ってきただろ。そういうことだよ、弥生子」





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