幽霊の正体見たり、居候

 小雨が降る夏の午後。食材の買い出しを済ませて帰る道中、特に考えなしに路地に入り込んでみた。昔から早く帰りたい時に使う近道だ。表通りと違って、その道は少し薄暗くて幅も細い。今日なんかは天気も悪いためか、よりいっそう仄暗かった。本当に昼間なのかが疑わしいレベルだが、スマホには13:12という数字がくっきり表示されている。間違いなく昼だ。

 相変わらずちょっと不気味なんだよな、と歩きながら考えるうちに、いつの間にやら路地を抜けかけていた。この道を抜ければ家まですぐだ。レジ袋に入ったアイスが溶ける前に早く帰ってしまおう。そう足を早めた時である。

 視界の片隅に、「拾って下さい」という張り紙がなされた段ボール箱が映った。もしや捨て猫だろうか。可哀想なことをするなあ、せめて病院とかに連れて行った方がいいかなあ。と、心を痛めつつ箱に入っているものへ視線を移す。

 女と目が合った。

「……は?」

 女。それも、私と同い年か若干若いか、というくらいの見た目をした女。正真正銘人間の、艶やかな黒髪が妙に長い、白い服を着た女。よく見ると少し体が透けている…………

 ん? ちょっと待て。体が透けているって何? 普通の人間が体が半透明とかあり得なくない? いや、普通の人間ならまず段ボール箱には入らないのだけども……。

 頭が混乱する中、段ボール箱の張り紙をよくよく読んでみれば、「拾って下さい」との文には二重線で訂正がなされていた。訂正部分を見る。「成仏させてやって下さい」と書かれている──。

「幽霊が捨てられてんの‼‼⁉」

 私の足元の箱にうずくまるこの女。私とバッチリ目線がかち合った彼女は、どうやら捨て猫ならぬ「捨て幽霊」であるらしい。もう何が起こっているか理解が全く追いつかないが、これが夢でないことは確かだ。なぜなら、自分のほっぺをつねったら普通に痛かったから。悪い夢の方が何千倍もマシだと思うくらいの超常現象が勃発してしまった。

 元々、私に霊感みたいなものは一切ない。無論、生まれてこの方心霊体験もしたことがなかった。お化け屋敷に行こうが廃墟に行こうが心霊トンネルに入ろうが、何をしても怖い体験には見舞われた経験がない。

 それなのに、なぜ今になって女の霊を目撃してしまうのか。しかも、いくら薄暗いとは言え昼間に。

 そこまで考えて気がついた。
 私は先程、盛大に幽霊の存在について言及してしまったが、これってかなりまずいのではないか? と。

 幽霊は自分の存在に気づいてくれた、もしくは見えてしまった人に取り憑いたりすると聞く。もしこの話が事実なら、私も下手すれば憑依されてしまうのでは? 憑依とまではいかなくても、何かしらの心霊現象を巻き起こされる可能性だってある訳で。

 どう考えても大変な事態に巻き込まれてしまった。「きっと猫か犬が捨てられているのだろう」なんて勘違いから、同情心で足を止めた数分前の自分を恨みたい。お前が同情したの、人間の幽霊の女だぞ、と過去の自分に言ってやりたいくらいだ。

 そういえば昔、幽霊に同情するのはつけ込まれる原因になるからよくない、なんて話も聞いたことがある。ちくしょう思いっきり同情しちまったじゃないか。いくら後悔しようと時間は戻らないもので、どれだけ願おうと目の前の女は姿を消してはくれなかった。

 ならばこちらから逃げるしかない。

 相手が何か言いたそうにこちらを見上げたのを無視して、一目散に通りに向かって駆け出していく。念のため、保険として道中「私は何にも見てませーーーん‼‼」と叫んで帰路を急いだ。周りからの視線が痛かったものの、最早周囲の目を気にする余裕すらなかった。だから仕方がないのだと自分に言い聞かせ、自宅のドアに鍵を刺す。

 ドアを開けて家に入り込むや、思わずその場に崩れ落ちた。第一、一心不乱に走り続けたせいで息が異常に荒れている。そして疲れた。まだ20代前半とは言え、すっかりくたびれきった会社員に全力ダッシュは無茶だったようだ。早くも足がつりそうな予感がする。

 めちゃくちゃに走って帰ってきたおかげで、提げていたエコバッグの中身もぐしゃぐしゃだった。すっかり忘れていたけれど、多分買ってきたアイスも溶けてしまっているだろう。せっかくの新作アイスだったのに。余計あの幽霊と足を止めた自分が許せない。怒り半分恐怖四分の一疲労四分の一の複雑な乙女心を抱え、居間へ袋を持って入る。

 リビングの電気をつけた瞬間、私は自分の目を疑った。

 なんと、私が普段座っているソファーに先程の女が腰掛けているではないか。椅子の前にあるローテーブルには昨日同僚から貰ったおはぎが乗っている。何なら開封されているし、更には一口齧られていた。

 悲鳴を上げるより前に、「何勝手に他人の家に上がり込んでおはぎ食べてんだよ」とありのままの本音がこぼれ落ちる。一方、げんなりした私の様子を見上げる幽霊は、慌てて口元を拭って「お邪魔してます」と頭を下げた。

 そういう礼儀があるのであれば、勝手に他人の家のものに口をつけるのはやめてほしい。まず他人の家に許可なく侵入しないでほしい。

 ああもう、全くもって今日は厄日だ。間違いない。溜息を吐くや、私は人知れず確信した。

 帰りに見かけた捨て幽霊が家に帰ったら居間でくつろいでたなんて、多分人生で一番の受難だろう。私が一体何をしたと言うのか。いや、何をしたらこんな目に遭わされるのか。え、私マジで何かしたかな、罰当たりなこと……。

 あまりの意味の分からなさに自分の過去の行いまで不安になる中、件の霊はソファーの上でぴしりと居住まいを正していた。現実が飲み込み切れず、買い物袋を取り落としたままの私に、彼女は改まって口を開く。

「勝手に先回りしてしまってごめんなさい。その、私が見える人を初めて見つけたものですから、つい……」
「ついって何……? こうなったら色々聞きたいことがあるんだけど、そもそもあんたは何しにうちに来たの?」

 聞くところによれば、やはり噂通り私が見える人だったから家まで先回りしてきたらしい。気まずそうに目を逸らす相手の様子を見ていると、何だか怒りより呆れの方が強くなってきた。先程の恐怖を封印し、仕方がないと腹を括って一言尋ねてみる。すると、女は少し表情を明るくしてこう言った。

「それはですね、えーっと。……お友達が欲しくって」
「はい?」

 ちょっと照れくさそうにはにかむ幽霊。が、対する私は返ってきた言葉を飲み込めずに、ポカンと口を開けたまま。無意識にすっとんきょうな声が出る。唖然とする私をちらりと見、相手はぽつぽつ話を続ける。

「いやあ、私、死んだは良かったんですけど、全然成仏できなくて。多分浮遊霊ってやつなんでしょうけど、これが案外困るんですよね……。成仏できるまで一人ぼっちなんて寂しいじゃないですか。でも、大体の方は私が見えないし、かと言って幽霊のお友達を作ろうにも、話しかける前に祓われちゃってて……」

 だからつまらなかったし寂しかったんですよ、と区切って、浮遊霊は一口湯呑みを呷った。いやお前、いつの間にやらおはぎだけでは飽き足らずお茶まで拝借しやがったな。睨んでやりたくなる気持ちもあるが、彼女の語りはまだ続きそうだ。ここは一つ、大人の余裕でグッと気持ちを嚥下した。

「そうしたら、今日、ちょうどあなたが私を見つけてくれたんです。他人と目が合うなんて久しぶりでした。すごく嬉しくって、でもあなたはお話する前に逃げていってしまって」
「私じゃなくても大体の人間なら逃げると思う」
「……そうですかね?」

 私の内心などつゆ知らぬ様子で、黒髪の女は話を進める。今気づいたことだけれど、この幽霊は表情がころころ変わるタイプのようだ。先程までは心底嬉しそうに穏やかな笑みを見せていたのに、次の瞬間にはしょんぼりしたように眉根を下げてみたり。感情が顔に出るタイプの幽霊らしい。いや何それ。

 なんて状況分析はそこそこに、彼女の喋りが途切れたのを見計らって口を挟んだ。軽く呆れたまま反論を呈せば、相手は納得いかないのかことりと首を傾げる。話を聞く限り彼女の境遇にも同情できなくはない……かもしれないが、急に怪奇現象に見舞われるこっちの身にもなってほしいものである。

 しかし、生者の心死者知らずということなのか、幽霊は勝手に「まあいいや」と話を終わらせた。そのまま話題を引き戻す。

「とにかく、諦め切れなかったんです。あなたを逃したら、今後私が見える人は現れないかもしれない! と思って。そうしたら、体が自然に動いていたと言うか……」
「それで私の家まで追っかけて先回りしたってことね。でもそれなら、あの段ボールは何? 拾って下さいっていうアレ」
「あれはその、ああした方が気づいて貰いやすいかと考えたんです。インパクトがあるかなーって」

 ほら、捨て幽霊なんて前代未聞でしょう。
 名案を思いついたとでも言うかのごとく、ドヤ顔混じりに笑う偽の捨て幽霊。随分強かな浮遊霊だな、とやっぱり呆れてしまう。弁明を聞くごとにますますげんなりしていく私に焦ったのか、一方の幽霊は矢継ぎ早に言葉を連ねる。

「あっ、いやその、騙してしまったのは申し訳ないと思ってます。でも、実質身寄りなしでさまよってただけの身だから、ある種捨て幽霊でも間違ってないかなーって! そ、その…………やっぱり、ダメですか。お友達は」
「…………」
「そうですか……ま、まあ、そうですよね! 普通の人は幽霊なんかに会った時点で怖いでしょうし、まして家に上がり込んでて、その上お友達になろうなんて、無理ですよね! あはは、」

 彼女の語り種を耳にしても、ただ口を真一文字に結んだままの私。頑なに返事をしない私の態度に、浮遊霊の語勢もどんどん萎んでいった。小さく乾いた笑いが壁に吸い込まれたのを最後に、しばらく部屋に沈黙の帳が降りる。女の目線が徐々に下へ落ちていく。

 やがてぼそりと、独り言のように、何で成仏できないんだろう、と呟く声がした。諦めたようでいて未練がましくもある声だ。ふと目線をそちらに向ければ、ソファーの上で無い足を抱える霊の姿があった。小さく鼻をすする音がする。

 まさか泣き出したのだろうか。何だそれ、と正直冷めた気分になった。勝手に目をつけられて家に上がり込まれておはぎとお茶を飲まれたのはこっちでしょう。だけれど、何だかこれじゃあ、まるで私が悪いみたいじゃないか。私が泣かせたのか? これ。というかどうでもいいけど早く帰ってほしい、こっちにだって都合や予定があるのだから……ああもう。

「はあ〜〜、分かった分かった。友達ができたらいいんでしょ。なったげるよ、私で良ければ。何したらいいの?」
「‼ ほ、ほんとですかっ⁉ ありがとうございます……‼‼ そんな、して貰いたいことなんてお友達になって貰えるだけで…………あ」
「ん?」

 何かの気の迷い、なのだと思う。
 思うけれど、何だか可哀想で──否、いたたまれなくて気づけば相手の頼みを承諾していた。多分今の私は、最大限に苦々しい顔をしていることだろう。それでも、私の返事を耳にした幽霊は、瞬時にがばりと顔を上げた。びっくりしたような表情も束の間、じわじわと喜色満面のフルスマイルに変わっていって。大げさなくらい嬉しそうな声が、何やらどうも照れくさくって、それでいてまんざらでもないとも感じてしまう。

 短時間で見ず知らずの幽霊に絆された自分が恨めしい。でも、友達になると告げたこと自体に後悔はなかった。……あくまで今のところは、だが。

 複雑怪奇な心境の私に対し、してほしいことはないとの旨をわたわた口にする女。ところが、しばらく間を開けて、何かを思いついたらしい声を出した。一体何を要求されるのだろう。でも、今の私は幽霊と友達になれたくらいだから、どんな要求が来たって耐えられるような。色々考えつつ、相手の答えを促した。おはぎ勝手に食べといて今頃遠慮されても困る、と軽い調子で言ってやった。

 すると、その言葉で遠慮がほぐれたのか、ソファーの浮遊霊は淀みながら、

「じゃあ、その〜……私、今までお友達と同じ家で暮らすのに憧れてたんです。るーむしぇあ、だったっけ。それがやりたいですっ」

 と、何ともとんでもない要望をぶつけてきたのであった。これには流石の私も呆然としかけたが、慌てて質問を投げる。

「ルームシェアとは言っても、あんたご飯とかはどうするの。服は? 寝る場所は?」
「大丈夫ですよ。私はあくまで幽霊なので、服も着替える必要ないですし、寝るのも空中で充分です。ご飯だけは、お供え物みたいな感じで頂きたいかもしれませんけど……」
「仏壇とかはいる?」
「いりません! あっ、そうだ。私、家事はそこそこできますよ。生前母からよく習ってたんです。後は、う〜〜ん……。夏場は、私がいると気温が少し下がります」

 だが、大体の懸念は杞憂に終わった。唯一食事だけは必要らしいものの、まあ一食分くらいなら負担が増えても大丈夫だろう。仏壇もいらないとのことだし、共同生活は不可能ではないようだ。何が悲しくて死人とルームシェアをしなければいけないのかという気持ちは少なからずあるが、なぜか少し楽しみに感じる自分もいる。一人暮らしに慣れてだいぶ経ったからだろうか? 奇妙な話だ。

 にしても、幽霊でも家事ができるとは。これは少々意外だった。スキルの話ではなく、道具を持てるんだ、という意味で。謎に彼女のアピールに感心してしまう。次いで言われた気温云々の話には苦笑したけれど。

 我ながら単純だとは分かった上で、彼女との生活も悪くなさそうだとも思う。突然押しかけてきた幽霊のアピールをそこそこに受け流し、私は一番気になる疑問を声に出した。

「ところであんた、名前はあるの?」
「もちろん。良かったら瑠璃って呼んでください。簗沢瑠璃です」
「はいはい、瑠璃ね。了解。……私は柏崎翡翠っていうから、好きに呼んで」
「じゃあ、翡翠さんって呼びます」
「ん。オッケー」

 友達になるにしても、ルームシェアするにしても、相手をずうっと「幽霊」と呼ぶわけにはいかない。名前があるならそっちで呼びたい。そう考えての質問には、思いの外真っ当な回答が返ってきた。なるほど、なかなか普通の洒落た名前がつけられている。それなら遠慮なく呼ばせて貰おうと声をかければ、即座に返事があった。楽しそうなトーンだ。

 ソファーに座る幽霊、もとい簗沢瑠璃は、ふと端に詰めて座り直していた。端の方が居心地がいいのだろうか。なんてぼんやり予想していた矢先、彼女は私に向かって一言。

「翡翠さん、これから宜しくお願いします──の気持ちを込めて、良かったら一緒におはぎ食べませんか。ちょうど、まだ一つが手付かずなんですよっ」
「良かったらも何も、それ元々私が買ってきたやつだからね。……まあいいや。食べる。座るところないから隣に行っていい?」
「はい、ぜひぜひ!」

 にこやかに、満面の笑みで私に手招きをする「お友達」。唐突に始められた共同生活ではあるけれど、不思議とうまくいきそうな予感(ただし根拠はない)もする。二人で齧ったおはぎの味は、いつもよりちょびっと甘い気がした。