「……Noナンバーズの気配、だと?」


 Wが小声でそう零した。表情は極めて穏やかさを保ったままであるものの、その声音は「極東エリアのデュエルチャンピオン」の柔らかなものではなく、「復讐者」としての堅いものだ。
 Zは言葉での返答はせず、ただこくりと頷く。それだけで全てが伝わるのは、二人の長年の付き合いがあってこそだろう。
 Zの瞳を一瞬見つめたWは一歩前に出ようとして――止められた。Zが服の裾を引っ張っていて、思うように前に出られなかったのである。
 勿論、己の動きを封じられたWは不服を露わにする。声にだけ、だが。


「……何しやがる、Z」
「だって、あの人」
「ああ?」


 Zが指したのは目の前にいる乱入者。虚ろな目はじっとこちらを――否、Zを映している。
 あいつがなんだ、と言わんばかりの鋭い視線を受けてZは苦笑を浮かべた。本当に、この瞳を「デュエルチャンピオンのW」のファンが見たら卒倒するんじゃないだろうか。



「――あの人はZに用があるみたいよ?」
「だったら猶更、お前に相手をさせるわけにはいかねえだろうが」
「あら、逆でしょ」


 逆ってなんだよ、というWの呟きを聞き流して意味ありげな微笑みを零した。そのままWの脇をすり抜けるようにして前に立つ。
 おい、とWから声をかけられた気がする。気にしない。ウインクのひとつでも決めてやろうかと思ってやめた。彼にかわいこぶったって仕方がない。

 アイドルとしては確かに、不審者からは守られるべきなのだろう。かわいらしくおしとやかに。涙のひとつでも見せて、怯え切ってしまうのがいいのだろう。
 だが。


(No.が関わってちゃ、ね……)


 ただの可愛いアイドル、でいるわけにもいかない。
 そういう環境に身を置いていて、そのためにデュエリストアイドルをしているのだから。――はじまりは、そういうわけでもなかったはずだけれど。

 No.――それはこの世界に100枚存在する、と言われている特殊なカード群で、WやZが家長から命令されて集めているものだ。そしてZは、リディアはその気配をどうしてか感じ取ることが出来る。
 詳しいことは知らない。ただ、それが家長の目的に必要なものだ、ということは聞かされている。
 WとZは家長に絶対服従の姿勢を貫いている。だからそれがどういったものであれ、詳しいことを知らなくとも、それを集めるのは何よりも優先されるべき事項なのだ。

 No.が持つ特徴はいくつかある。
 全てがエクシーズモンスターだとか、No.はNo.と名のついたモンスターとの戦闘でしか破壊されないとか、そういう「形式的」な特徴も勿論なのだが、Zにとって大事な特徴はそんなものではない。

 数歩Wの前に出たZは、あくまで「アイドル」として優しい微笑みを浮かべる。


「……はあい、Zです。あなたは……私のファン、のようですね? Wにいさんが目当てでは、ないようですし」
「――Z、Z……Z……」
「やだ、熱烈で嬉しいです。でも何か言ってもらえないと、分かりませんよ?」


 至極優しく。酷く柔らかく。
 アイドルZは、目の前の乱入者にも「偶像」として接する。それは世間が思い浮かべる「アイドルZ」の姿と寸分違わないものだろう。
 しかし乱入者はZの問いかけに応えない。その代わりに――


「あなたを……Zを倒して……、わたしが……」
「……あらあら」


 彼女はぶつぶつと、Zの名前を呼びながら――Zを倒すことを夢想して、妖しい笑顔を浮かべるばかりだった。
 どうやらこちらの声は届いていないみたいだ、と察したZはくるりとスタジオを見渡した。ひー、ふー、みー、とスタジオ内の人を数えて。


「……うん、これくらいなら記憶の消去も問題ないかしら? トロンに随分、迷惑をかけてしまうことになるかもしれないけれど」
「……おや、Z? 本気で戦うおつもりで。ならば僕も――俺ももういいな、口調」
「ええ、勿論よW?」


 くすくすと微笑んでWへと向き直る。やれやれと言いたげな彼の態度は紳士のものから粗暴な少年のものへと変化していて、この変わり身の早さも流石だなとしみじみ感じた。
 困惑しざわめくスタッフたちを無視し、視線をまた乱入者へと移した。彼女の眼は相変わらず虚ろで、こちらを映してはいるけれど、情報として仕入れてはいないのだろう。
 ならば、と。Zは口元の優しい笑みを消して――代わりに、凄絶なまでの「美しい」笑みを浮かべた。


「――あなたの心の闇≠ヘ、そうね、『あたし』を倒して私より有名なアイドルになりたい、とかかしら」
「――――……、」
「あら、止まった。図星ね?」
「ああ? ンだよ、そんなくだらねぇ……」
「自己顕示欲、っていうのは時に悍ましい力を見せるものなのよ。だからこそ――No.も憑りついた」


 ……普通、カードというものは意思を持たない。当然だ。カードはただの物体で、生物ではないのだから。
 しかし、No.は違う。彼らは意思を持ち、力を持つ。時に使用者に語り掛け、使用者を唆す。
 彼らは――No.は使用者に憑りつき、「心の闇」を増幅させるという、極めて非科学的で、それでいて非常に危険な力を持つカードである。
 憑りつかれた人間は自分の「心の闇」に忠実になる。であればNo.の気配のことも加味して考えれば、目の前の乱入者の虚ろな瞳は「憑りつかれてるから」と考えるのが妥当だろう。
 ならば、どうするか。答えはひとつだ。


「じゃあ、お望み通りデュエルしましょ」
「――!」


 ぴくりと乱入者の指が動いた。どうやら少し聞き入れてくれたようだ。
 そのまま、美しい口の弧を崩さずに、歌うように紡いでいく。アイドルの歌とは全く違う、玲瓏で流れるような、そんな声。


「あたしを倒したいのならば、倒せばいいわ。でも、そうね、貴方が負けた時は……、貴方の持っているNo.を頂戴します」


 普通ならば忌まれる掛札アンティ)」ルール。
 賭け事という性質上、少なくとも目撃者がいるこの場で、有名人であるZが持ち出すべきではないもの。しかしZは躊躇うことなくそれを口にし、またWも驚く素振りは見せない。何も知らないスタッフたちはどよめいているが、さして重要ではないので無視しておく。

 そもそも、No.持ちとZがデュエルする時はそうならざるを得ないのだ。彼らは知る由もないだろうが。
 No.所持者同士のデュエルでは、負けた方のNo.が勝った方に奪われる、という特殊な性質を持っている。ZはNo.の所持者ではないが少々特殊な立ち位置で、No.の所持者のように認識されているのか、そのルールが否が応でも適用されてしまう。
 だから、どうしようもない。したくないと願ったとしても、彼女とデュエルする以上そうなってしまうのだから。それに、どうせNo.は集めているのだからアンティになったところで何の問題もない。

 たとえそれが、自分にも適用されるのだとしても。


「さて、では――」


 目を閉じて、己の首元を右手で一つ撫でる。

 撫でたところからぶわりと不可解な紅い紋様が淡く輝き、首と左目の周りに雫のような紅い痣が浮かび上がる。同時左目はいつものワインレッドから蜂蜜のような黄金へと変わっていった。
 スタッフが息をのんだような気がする。当然だ、こんなもの、義理の家族――Wたちや、No.の所持者くらいにしか見せていないし、見たとしても記憶を食らってるし、知っている人なんて片手で数えられるくらいだ。
 だからといって、何か特別な感情が沸くわけではない。


「――デュエルモード、チェンジ」


 これはZの正式な戦闘意匠のようなものだ。普段「アイドルZ」としてDゲイザーを使って行っているものとは別の、本気でデュエルをするときに使う姿だ。
 家長から借り受けた、「異世界」とやらの力で成る姿。公にある力ではないから、こんな大人数の前ではまず使わない。Wは同じ力を気にせず使っているが、あれは演出として受け入れられているし問題ないだろう。

 続けて、Zは懐から取り出した本のような物体を開く。
 それを腕のガントレットに装着すれば、次々と部品が展開されていった。これがデュエルディスクだということは誰の目に見ても明らかだ。

 どこからか吹いた風が、Zの服と髪をふわりとはためかせた。
 ――きっと、ここでの出来事を覚えていられる人がいるとすれば。その時の彼女の姿を、御伽噺の御姫様のようだ、と形容するものもいるのだろう。

 そんなことはつゆ知らず、Zは口元の綺麗な笑みを携えたまま。艶めかしく瞳を開いて、はじまりを告げる。


「――デュエル」




(あたしは別に、姫とかいう柄ではないけれど)

僕らが生きた世界。