甘い香りで鯛を釣る

*嗜好の捏造有



 私はチョコレートが好きだ。あの甘い匂いはどれだけ満腹でも胃に空間を作らせるし、あの甘い味を口にすれば幸せな時間を遅れる。
 小さな頃からチョコレート屋で働くことが夢だった私は念願叶ってハートランドの有名チョコレート店で働いてる。
 毎日甘い香りで満たされて幸せな私だけど、この時期──二月だけはそうもいかない。


「すみませーん、これくださーい」
「え、私もこれー!」


 ……分かっていたさ。バレンタインデーの時期のチョコレート商戦はとんでも無いことになるってことは。
 恋する乙女の一大イベント、バレンタインデー。私自身あまりバレンタインデーに興味がなかったから忘れかけていた節があるけど、これは忘れちゃダメだった。
 店内は女の子たちの戦争状態だ。普段なら休みの日も働きに出てるくらいには。私も、私もチョコレート食べたい。


「お買い上げありがとうございます!」


 精一杯の笑顔を作って、顔を上げる。と、気づく。
 店の外に見えたのは、白い帽子を目深に被った男の人だった。あの姿は何度も見たことがある。二月に入ってから店の中に入ってくることはなくなった──多分この戦争に巻き込まれたくないんだろう──けど、うちの常連さんだ。
 帽子の奥のワインレッド色と目があった気がして、私は小さく笑いかけてみれば、覗く口元がゆるりと弧を描いた。







「またのご来店こころよりお待ちしております!」


 これで最後だろうか。閉店間際、最後らしきお客様を笑顔で見送って、ふぅっと息を吐き出した。バレンタインデーもこれで終わりだ。ホワイトデーは確かに混むけど、バレンタインデー程ではない。今年の第一の山を越えたことに安堵する。お疲れ、自分。
 一応まだ勤務時間内なので立ったまま閉店時間を待つ。瞬間、ぎぃ、と小さな音がして扉が開いた。こんな時間に? そう疑問を持ったが、扉をくぐってきた、白い帽子を目深に被ったあの人を見て納得。


「……こんばんは、Wさん」
「普通に呼べよ、トーマスって」
「一応勤務時間内ですし?」
「いいだろ、別に」


 極東エリアのデュエルチャンピオン、W。本名トーマス・アークライト。ここ数日店の中に入って来なかった常連さんとは、彼のことだ。
 彼は私の知り合いで、だからこそ知ってる一面がある。極度の甘いもの好きだというところとか。その中でもチョコレートは突出して好き、とか。
 故に彼は私の勤務中ここに来ることがよくある。が、有名人の彼だ、女の子たちがたくさんいる店内に飛び込んでしまえば、一発でバレるだろう。バレたら戦場が殺戮現場に変わりかねない。
 そういうことを危惧して、二月中は店内に入ってこなかったわけだけれども。バレンタインデーも終わる。もう人もいない、ということで彼は入ってきたんだろう。


「今年のバレンタインデーはどうだった? ファンからたくさんじゃあないの?」
「ファンからもらったものは食えねえんだよ。何が入ってるか分かりゃしねえからな」


 ああ、と妙に納得する。恋を叶えるおまじないと称してチョコレートの中に髪の毛、爪、唾液わ更には血を入れたりする女の子がいる、と聞いたことがあった。そんなものじゃなくても、毒とかもあり得る。トーマスのファンは多いし、その中にそんな輩がいてもおかしくない。
 徹底してるんだなぁ、と頭の片隅で考える。好きな物が目の前にあるのに食べられないとは、酷だな。だからこうして店に来るんだろうけど。


「ほんと、お疲れ様ね。じゃあ、ご注文は?」
「お前のお勧めで」
「はぁい」


 お勧め、お勧め。少し逡巡して、トーマスの顔をじっと見つめる。本当に整ってるなぁ。右頬についた傷故に見落としそうになるが、綺麗な顔をしてる。可愛いとか、かっこいいとか、整った顔を表現する言葉は多々あるが、私の中でトーマスの顔は綺麗≠セと思う。
 そういえば、トーマスって言い方があってるかどうかは置いとくにしても坊ちゃんなんだよな。紅茶もよく飲んでいるんだった。
 そうだ、あれにしよう。ショーケースの中から数粒チョコレートを取り出して、トーマスに見せる。


「これでいい? 紅茶に合うよ。フルーツ入ってるけど、こういうの好きだったよね?」
「……ああ」


 少し間をおいて言葉が降りてくる。決して嫌だからとかじゃなく、ただこのチョコレートを食べるのが楽しみで、それを隠すために言葉に詰まったということを、私は知っていた。まったく、わかりやすい人だ。
 いくらだ? とトーマスがカードを渡そうとする。値段を言いかけたところで私ははっと思いついて、ぶんぶんと首を振った。案の定トーマスは不思議そうに私を見る。


「どうした?」
「お金はいいや」
「……はぁ?」


 何言ってんだ、こいつ。そう言いたげな目線に思わず苦笑い。
 だって、さ? まだバレンタインデーは終わってないんだもの。


「私が払っておくよ。バレンタインデーのプレゼントってことで。店で買ったものなら毒とか入れようないしね」
「……いいのかよ」
「トーマスにはいつもお世話になってるから」


 言葉の中にほんの少し別の感情を込めたけど、まぁ気づかないんだろうな。気づいて欲しいとも思っていないけれど。
 その代わり、これからもお店をよろしくね? 小さく笑いながら言ってみたら、テレビの中の「W」とは違う、悪戯な笑顔で「トーマス」は言った。


「これを本命にしてくれるんなら、な」
「へ、」



甘い香りで鯛を釣る
(釣られたのはだ〜れだ)(甘い香りも勿論だが)(お前がいるからこの店に釣られてたんだよ)



Title...ポケットに拳銃
2015.04.20 執筆
僕らが生きた世界。