「あ、紗江ー! 俺のラケット知らん?」
「さっき部室で見ました。ベンチの上に置いてありました。ていうか放置状態です」
「紗江ー、マメつぶれて、めっちゃ痛い」
「はいどうぞ。絆創膏です。消毒液は監督のとなりに置いてある救急箱の中です」
「紗江ー! あれ、何やったっけ?」
「紗江、あれどうした? ほら、俺、昨日渡したやん」
「紗江! 大変や!」
「紗江!」
「紗江ー!」

マネージャーという役割はいわば雑用係。そのことは重々承知していた。しかも男所帯だから、仕事はさぞかし大変だろうと覚悟は出来ていた。それでも、これは酷い。

初めて部活に出たあの日以来、私はすっかり幽霊マネージャーと化していた。一ヶ月ほどが経ち、部員も私の存在を忘れただろうと思っていた。それなのに。

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「紗江何してん。部活やで」

放課後、教室の出入り口を見なれない二人組がふさいでいた。邪魔だとは思いながらも何も言わずに黙ったまま、その横をすり抜ける。と、腕を掴まれる。さすがにその態度は失礼極まりなく、眉間にしわを寄せて彼らを見た。

「はぁ? 何すんのよ」
「はぁ、やあらへんやろ。部活言うとるやんけ」
「てか自分あれやろ。部室の場所知らんかったよな。アホやな〜オレらオサムちゃんに言われるまで気付かんかってん」
「わはは、お前の所為か。しっかりしぃや。ブッチョさ〜ん」

そう言って、大きく口を開けて下品に笑った。私は彼らを一瞥する。さすがにふざけすぎたことに気付いたらしい。その視線に気付くと、コホンと咳払いをひとつして、姿勢を正して言った。

「ほんなら行こか。部室はな、ここから階段をシュッと降りて玄関パッと出て右にギュンて曲がってポーンやで」
「アホ。そんなんで分かるか」
「むっちゃ分かるて。俺分かるし」
「それは謙也だけやろ」
「あの」

さっきから私の存在を無視して話を進める二人に声をかける。そろそろ止めてもらわないと、今日のスケジュールに支障が出てしまう。

「私、部活なんてやりませんよ。今日も用事があるので帰ります」

そう言うと、二人は驚いたようで、目を丸くして固まった。が、それも一瞬だけで、

「いやいや。何言うとんねん。今日来んでいつ来んねん」
「せやで! ほら、このまんま案内したる」

と、強引に私を連れていこうとした。嫌だと言っているのに、彼らはお構いなしに、掴んだ腕に力を込める。抵抗しても、男子二人の力には勝てなかった。

こうして、私は引きずられるようにして部室へ連れて行かれた。

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部室の扉を開けた瞬間に、私はなぜ彼らがこんなにも強引に連れてきたのか悟る。とても中に入る気にはなれなかった。

ここはものすごく汚い。

「……白石、自分キレイ好きやろ。なんで片付けへんねん」
「俺別にキレイ好きちゃうで。俺は健康マニアなだけや」
「なんや、よう似とるやん」

絶句する私の後ろで、二人はのんきにそう言って笑っていた。怒りなのか、手がプルプルと震える。私は深呼吸をひとつして、努めて冷静に言った。

「……五分待ちます。はやく着替えて、洗濯物を表に出すよう部員の皆さんにお伝えください」
「え? 着替えんので五分? それとも……」
「着替えも! 部員に伝えるのも! 全っ部! 含めて五分です!」

声を荒げると、気圧された二人は逃げ込むように部室へ入って行った。私の声が他の部員にも聞こえたらしい。何だ何だと、野次馬のように群がる部員。叫ぶようにして彼らにも同じことを伝えた。

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マネージャーっていうのは大きなタライに洗濯物を突っ込んで、豪快にごしごしと洗濯をしているイメージがあった。けれども、世の中そこまでアナログではなかったらしい。
部活動ごとに曜日は決まっているものの、校舎の一角に洗濯機が置いてあり、それで洗濯をする習わしだった。

「さすがに他人の汗しみ込んでネチョネチョなったモン触んの嫌やろ?」

洗濯物を持った忍足センパイはそう言って、私をその場に案内してくれた。おまけに、洗濯機の動かし方も、洗剤の量までも丁寧にご高説いただいた。

そこまで知ってるなら、なんで自分たちでやらないのよ。
本人には言わなかったが、心の中でそうつぶやいた。

洗濯物は大量で、一回で全てを片付けることはできず、数回に分けて回すことにした。一回目の洗濯が終わり、二回目をまわしている間に、一回目のものを干す。そして部室の掃除もその間に行う。一度回すことによって、洗濯にかかる時間も大体把握できる。完璧だ。

こうして時間をあまりロスすることなく、掃除と洗濯をすませることができた。今、かごに入っている洗濯物を干せば完了だ。

「……」

なのに、干すところがなかった。本当はあるにはあるのだけど、私の身長では届かない。
さて、どうしようかと考えていた、そのときだった。

「お疲れさん」

後ろから声をかけられて振り返る。
そこにはとても中学生とは思えない体格の男がいた。テニス部のユニフォームを着ていることで、何とか中学生だと分かる。

「洗濯大変やったろ。おまけに掃除までしてくれて、おおきに」
「い、いえ……」

穏やかな口調の男だったが、その外見は圧巻だった。ユニフォームだとか制服だとか、そんなアイコンがなければ、到底中学生には見えないだろう。私は思わずたじろぐ。
男は私の足元にある洗濯物に気付くと、にっこりと笑ってそれを手に取った。

「これくらいは手伝わせてもらいますわ」
「あっ、え?」

私は男と、かごの中身を交互に見る。呆気にとられているうちに、それらは全て、しかも完璧に、物干し竿にぶら下がっていった。あっという間の出来事だった。

「……すみません。あ、その、ええと……」
「石田銀や。よろしゅう」
「あ、石田先輩。ありがとうございました」
「こんくらいお安いご用や」

お礼を言うと、その人は両手を合わせて頭を下げた。まるでお坊さんのような仕草だ。

「突然入部さして、こき使ってしもて、かんにんな」
「えっ……ああ、はい、まあ……」

そんなことありません、なんて言葉は嘘でも出てこなかった。もごもごと言葉を濁すと、彼は小さく笑い、その場を去って行った。

あんな集団の中にも、一人はまともな人がいるんだなぁ、と感心する。

別にほだされたわけではないけれど、その日は最後まで部活に参加した。掃除洗濯から記録係まで、仕事を余すことなくやり遂げたのだった。終了時間までいた私を見て、みんな一様に驚いていた。
「珍しいこともあるもんや」「明日は雨やな」なんて囁き合っているのが、部室の外にいる私にもはっきりと聞こえた。けれど、そのことに対して愚痴すら出てこないくらい、私はへとへとになっていた。

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「駒沢さん、テニス部のマネージャーってホンマなん?」

教室の入り口で、三人連れの女子にそう訊ねられた。前回と同じシチュエーションだから、またあの先輩たちかと思い、ほんの少したじろいだ。

私の名前を知っているということは、同じクラスなんだろう。けれども、私は彼女たちを知らない。彼女たちに限らず、この学校の人間はほとんど知らない。覚える気もさらさらないから仕方のないことだけど。

「別に。違うし」
「こないだ白石先輩と話しとったやんね。あれなに?」

違うと言っているのに、勝手に話を進めることにムッとする。おそらく、彼女たちが本当に訊きたいことは、

「まさか、付き合ってるとかないよな?」

なのだろう。彼女たちはやけにしつこく訊いてくる。
これは、彼女たちの望む答えが得られるまで解放してくれないパターンに違いない。おまけに、付き合ってるだとか付き合っていないだとか、そんな下らないことを訊くために足止めをくらっている。その事実が私をひどくいらつかせた。

「関係ないでしょ」

そう一言残して、その場を後にする。
早くしなければ予備校の講義が始まってしまう。私の頭にはそれしかなかった。彼女たちは何も言わなかった。きっと怒りで何も言えなくなったのだろう。

本当はこのとき、私は気づくべきだった。彼女たちの嫌悪の表情と、白石先輩というのが男子テニス部の部長だということに。


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