チャイムが終了を告げると、シャープペンシルを置く音と共に、あちらこちらからため息が漏れた。玉砕したことによるため息か、それとも安堵のため息か。 ……まあ、どっちだろうと、私には関係ないけど。 テスト一日目が終了し、教室からクラスメイトがぞろぞろと出ていく。テスト勉強期間ということで、三日前から部活動も中止になっている。そのため昇降口は帰る生徒でごった返しになっているはずだ。その中に飛び込んで行く気力はない。 人が少なくなってから出ていけばいいのに、何をそんなに急ぐ必要があるんだろうか。もしかしたら、そんな簡単なことも分からない奴らなのかもしれない。 そう思いながら彼らの背中をぼんやりと見ていた、そのときだった。 後ろから背中をつつかれるような感触。驚いた私は身体ごと振り返った。 涼しい顔をしてそこにいた男子は、同じクラスの……誰だっけ? 「行くで」 「えっ?」 彼はそっけなくそれだけ言うと、すたすたと歩き出した。 行くってどこへ? そんな質問をするのも忘れ、私はあわてて後を追う。 ------------------------------ 昇降口へ向かうと思いきや、たどり着いたのは三年生の教室だった。三年生に知り合いもいないため、ここに来るのは初めてだった。階が違うだけで、構造は同じはずなのに、雰囲気が違うように感じられるのは何故だろう。私はほんの少したじろぐ。しかし彼は臆することもなく教室の扉を開ける。 すると、教室に残っていた生徒がいっせいにこちらを見た。そのメンバーを見て「ああ、そういうことか」と悟る。 「おー、財前遅いで」 「自分にできんこと人に押し付けといて、ようそんなこと言えますね」 財前と呼ばれたそいつは、失礼なことに私を指差して言った。そして彼らのもとへ、しれっとした顔で入って行く。 騙された。 そのことが悔しくて、私はその場に立ち尽くしていた。すると、遠山がわざわざ近寄って来る。 「紗江もはよ来ぃや! ワイに勉強教えてや!」 「……なにこれ」 「これか? テスト期間中の部活中やで」 「は?」 遠山に手を引かれて、私も無理やり輪に加わる。訳が分からない私に、白石部長が少し困ったように笑って説明した。 「テスト期間は部活出来へんやろ? かと言って自分ちでも勉強せぇへんし、みんなで集まって勉強会ちゅーわけや」 「はぁ、なるほど」 「紗江頭ええんやろ? 金ちゃんに勉強教えたってや」 何で私が。 全力で拒否をしようとした、そのときだった。 「なあなあ紗江。今日なんでスリッパなん?」 遠山が大声でそう訊ねる。その言葉に、その場にいた全員が私の足元に視線を移す。他とは違う、校名の入った緑色のスリッパの私は明らかに浮いていた。忍足センパイがその意味に気づき、わざとらしく咳払いを一つする。 「金ちゃん、今は勉強中や。関係ない話はしたらあかんで」 「えー。ワイ気になって勉強でけへんわ」 「金ちゃん!」 センパイの気づかいも空しく、遠山は口をとがらせる。これは無邪気を通り越して、無神経に近い。 「遠山」 私が名前を呼ぶと、周りが息をのむのが分かった。忍足センパイの表情もますますこわばる。 「教えてあげる。誰かに上履き隠されたからよ」 あっさりと、なるべく何でもないことのように告げる。実際何でもなかった。自分が望んで手に入れたものではなく、強制的に与えられたものが、私の目の前から消えてしまった。それだけだ。 頭の悪い奴らにつき合っていられるほど、私は暇ではないから。こんな低俗ないじめに負けてはいられない。弱いところを誰にも見せたくはなかった。 だからなくなってからずっと、私は誰にも言わなかった。遠巻きに私を見て、くすくすと小馬鹿にしたように笑う奴らを、まるで背景のように扱った。初めは面白がって、わざと話しかけたりしていたあいつらも、なんの反応も示さない私に飽きたのか、次第に無視するようになった。 最初からそうしていればいいのに。 無駄に精神力を削られてしまった。 「これで勉強できるでしょ」 皮肉をこめて言ってやる。遠山は目を丸くしていた。周りの奴らは気まずそうにしている。それでいい。これでしばらくは私の周りも静かになるだろう。 そう思っていた。なのに。 「誰や」 「え?」 「誰やそんなことする奴。ワイが言うてきたる」 遠山が異様に食いついてきた。私は呆気にとられる。 「言うって、何を?」 「紗江いじめんなって言うたる! 安心しぃや。ワイが守ったる!」 そう言うと私の手をとって、教室を出ていこうとする。 今からかよ! ちょっと待ってと、私はその手を引いた。 「誰がやったか分からないってば。それにもうみんな帰ってるわよ」 「あ、そか」 遠山はあっさりと納得する。そして何事もなかったかのように、勉強会の輪に加わった。その切り替えの速さに私は感心した。 ……それにしても。 「守ってやる」だとか、初めて言われた。相手が年下の遠山ということが頼りない気がしたが、実のところ少し嬉しかった。 遠巻きに彼らの様子を眺める。遠山のおかげで気まずい雰囲気がなくなり、ホッとしている様子が見て取れる。 すると、先輩の一人と目が合う。放っておけばいいのに、そいつは私の元までやってきた。 「ほら、はよこっち来ぃや。分からんとこあったら教えるで」 「……あの」 「ん?」 「……どちら様?」 「小石川です!」 ← → TOP |