「……めぐみ来るかなぁ」

ブン太が、誰に話しかけるでもなく呟いた。そこにいる誰もが、ただ黙って俯き座っている。表情は緊張の所為か暗く強張っている。

ブン太は何の反応もないことに、チッと小さく舌打ちをして俯く。何かしないと落ち着かないようで、引っ切り無しに腕につけておいた時計を見ている。終いには温室の中をぐるぐると歩き始めた。

「私、ちょっと見てくる」
「あ! お、俺も行く!」

杏が立ち上がり、温室の入り口まで行くと、ブン太もそれに続こうとする。

「ブン太。女子寮は男子禁制よ」
「……あ」
「いくらめぐみが好きだからってそれはちょっと……ゴメンネ」
「!! べっ……別に俺は!!」

明らかに動揺したブン太を置いて、杏は出て行った。後ろの方でブン太の声がしたが気にしなかった。そのやり取りのおかげで、強張っていた顔が少しだけ緩んだが、それもすぐに戻ってしまった。

消灯時間の過ぎた女子寮は、すでに真っ暗だった。寮の玄関は鍵が閉まっているので、寮の中に入るのは難しい。杏は裏へ回り、一階にあるめぐみの部屋の窓の方から声をかけるが、聞こえないのか返事が無い。窓をコンコンと叩いてみる。
少しして、幽霊のような暗い表情でめぐみは顔を出した。

「杏……ごめん。私やっぱり行けない」
「めぐみ」
「私、すごい怖いの。よくわからないけどとにかく怖い」
「……」
「だからごめん。約束破って、本当にごめん」

めぐみが申し訳なさそうに言うと、杏はただ黙って首を横に振った。そのときの、杏の穏やかな表情にめぐみの胸が少し痛んだ。

「謝るのはこっち。やっぱり、ちょっと無理があったよね」
「ううん。そんな事ない。……私、みんなが脱走成功するように祈ってるから」
「ふふ。ありがと」

杏はそう言って笑ったが、その笑顔の奥にある暗い表情に気付く。脱走が成功するということは、ここへはもう戻って来ないということだ。そうしたらもう会うことはないだろう。この学校を卒業したら会えるかもしれない。けれど、卒業という言葉を口にしている人間はこの学校にはいなかった。そもそもこの学校に卒業という概念があるのか分からない。

そのことはお互い口にはしなかった。かと言って「また会おうね」と言う約束をすることもなかった。「それじゃあ」と言ってから、闇の中へ彼女は消えていった。それを見送ると、めぐみは急いでベッドの中へ潜り込む。そして固く目を閉じた。

全てに心を閉ざし、何も聞かず何も見えなくする。何も無かった事にすればいい。誰もここに来なかった。温室にも行っていない。誰にも何も言われていない。

今日もいつも通りに学校へ行き、授業を受けて眠りについた所。また明日も学校。

学校、という響きを聞いて、思い出したのは図書室。いつも図書室で見かける人がいる。窓辺の席で本を読んでいる。その横顔が神秘的で、いつもドキドキしていた。

◇◇◇

「あんた、いつもここにいるよね」

誰かの声がして彼はそちらを向くと、そこには一人の少女が立っていた。この子がさっきの声の主だとわかると、彼は一瞬驚いたが、すぐにあの柔らかな微笑みに戻る。

「こんにちは。めぐみだよね?」
「え? 私のこと知ってたの?」

彼が自分の事を知っていたことに、彼女は面食らったようだった。それを見て彼はまた笑う。

「友達が君の事を知ってたからね」

めぐみはそれを聞いて「そうなんだ」とだけ言った。本当は、もっと気の利いたことを言いたかったが、何だか照れてしまって何も言えなくなってしまう。

彼の顔を盗み見る。本に目を落としたと思うと、すぐにこっちを見た。めぐみの胸がどきりと高鳴る。けれど、それはあこがれの男の子と目が合ったから、という甘いものではなかった。

そのときの彼の目は冷たく、今まで暖かいと思っていた部屋の空気が、一瞬で凍りつく。なんて暗い目をしているんだろう。めぐみがそう思ったとたん、彼が口を開く。

「でも、近寄らないようにしていたんだ」
「え?」


「君に殺されてしまうよ、って言われたから」


ヒッと小さな悲鳴をあげ、彼女は後ずさるが、彼はまだあの冷たい目でこちらを見ている。逃げなきゃ、と思って振り向くと雅治の姿があった。鋭く睨みつけられ、めぐみはその場から動けなくなる。雅治の口がゆっくりと開かれる。

オマエガ、セイイチヲ、

◇◇◇

そこで目が覚めた。しばらくの間、自分がどこに居るのか、今は朝なのか夜なのかすらわからなかった。ドクドクと鼓動が高鳴っている。あれは夢だったのだろうか。だとしたら、どこからどこまでが?


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完璧な庭