温室に行くとすでに先客がいた。後姿でもそれが雅治だと分かる。
この間の一件以来、雅治のことを避けていた。今までも話をした記憶は無かったけれども、今日はすんなりと話しかけることが出来た。名前を呼ぶとすぐに彼は振り返った。

「……よう」

私を見る目つきは今までと同じく鋭いが、今日の彼はいつもと違う雰囲気で何故だか切なくなる。

「……聞いたよ全部」
「ですよね〜。あんなに大騒ぎしちょるけん」
「何があったの、って訊いてもいい?」
「……」

雅治は自嘲気味にふっと笑い、少しの間黙っていたが、花にやっていたホースの水を止めるとゆっくりと口を開いた。

あの後、雅治たちはあらかじめ見つけておいた抜け穴から脱走しようとしたらしい。その場所は人気が少なく、あまり知られていない場所のようだった。実際、私も知らなかった。以前にも誰かが使ったのか、いかにも人が作ったような抜け穴があり、それが見つからないように隠してあった。

そこへ辿り着いて、くぐろうとしたときに全員が気を失ったらしい。原因は不明。一番最初に気がついた雅治が辺りを見渡すと、抜け穴のあった場所ではない学校の敷地内で倒れていたと言う。そこにいた全員に声を掛けてみたが意識がないままだった。怖くなってすぐに校舎へ日直の先生を呼びに行ったと言う。
そして今、ジローもブン太も杏も入院している。

雅治が後で抜け穴を見に行くと、抜け穴は消えていたらしい。

「本当になかったの?」
「ああ。そこら辺ずっと見て行ってもなくなっとった」
「……不思議」

非現実的なことが起こっている、と思うと何だか寒気がしてくる。実は昔からそういうことは苦手だった。目に見えないもの、得体の知れないもの、原因の分からないものは怖い。

「……もっと信じられんことがある」
「何?」

黙って座り込んでいた私に向かって、雅治がぼそりと言った。下から雅治の方を見上げる。真っ直ぐにあった雅治の顔は青ざめている。

「精市が……精市がおった」

その名前にどきりとする。

「気ぃ失う前に見たっけ。やつれてたけど、あれは精市に間違いない」
「それじゃあ、精市は……」

生きてたの?
そう続けなくても答えは分かっている。ほっとすると同時に、疑問が浮かぶ。ではなぜ行方不明のままになっているんだろう。どうしてここへ戻って来ないのだろう。

彼もまた、そのことに疑問を抱いているらしい。黙りこんだ雅治はまた私に背を向ける。

「……悪かったな」
「え?」
「……お前さんが、精市のこと殺したとか何とか言うて」

そのままの姿勢で雅治は続ける。

「俺、ここの学校入ったんは精市が入る言うたから。そんで必死に勉強して、一緒に合格できて、これからも一緒じゃ思ってた。だけん、脱走したって聞いたとき裏切られた気して……。何で俺のこと置いてめぐみと逃げるん、ってそう思ってた」
「……そうだったんだ……」

そこまで聞いて何となく思う。雅治は私以上に精市のことが好きだったのかもしれない。それ故に生まれてくる独占欲。恋愛から生まれる愛情も友情から生まれる愛情もなんら変わりはない。そんな気がした。

雅治は周りのみんなよりも大人びているように見えた。彼は鋭いからそう思われていることも気付いていたのかもしれない。だからこそ他人に甘えることなど出来なかった。精市に行かないでと言えなかった。

今の雅治を見ているとまだ同い年の子供なんだと安心すると同時に、私は誤解していたことに申し訳ない気分になる。私は「ごめんね」と謝る。雅治はかすかに笑いながら、やっとこちらを向いた。

「別に恨んでも無かとよ。気にしなさんな」
「違うの。そうじゃなくて」
「精市は優しい奴だけん。お前に言われて断れなかっただけじゃろ」
「……? 何のこと?」
「ん? 精市を脱走に誘ったんお前やろ? だから精市は今、行方不明になってて……違うんか?」

意味が分からずにぽかんと口を開けたまま雅治を見上げる。彼も同じ具合の顔でこちらを見た。噛み合わない会話にお互い顔を見合わせ、首をかしげるしかなかった。


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