「ジロぉー! おぉーきろーぉぉぉぉぉ!」

ブン太の力強い声。それと共に、パンッと乾いた音が部屋中に響き渡り、杏はその瞬間目をつぶった。少し間が空き、ジローが笑顔で目を覚ました。

「おはよう!」

少し赤くなった頬を気にせずに、ジローはベッドから起き上がる。ブン太はそれを見て、満足そうに「うんうん」と頷いた。杏は悲鳴に近いような声を上げる。

「ちょっとぉ! さっきよりも酷いじゃない! 優しく起こせないのぉ!?」
「だってこいつ、ちょっとやそっとじゃ起きねぇだろぃ」
「だからって殴ることないでしょ!」
「殴ったんじゃねーよ! ビンタだよビンタ」

ブン太と杏がケンカを始めるその横で、ジローはそれをぼんやりと見ていた。ブン太がその様子に気付く。

「あ、寝るなよ! 眠そうな顔してるけど寝るなよ!」

ブン太はジローの肩を掴んで、ゆさゆさと揺らした。ジローは笑って「寝ないよ」と言った。

「夢見てて、それ思い出してた」
「どんな夢?」

杏が訊ねる。ジローは少しだけ考える仕草をして、それから淡々と話し始めた。

「……めぐみが出てきた。オレンジ色しかないとこにいるの。そんで、俺、めぐみのいる方に行こうとしたら、いなくなっちゃった」

それだけ、と言ってジローはにこりとまた笑った。

ふーん、と気のない返事をしながら、杏は「どういう意味なんだろう」と考えた。好きな人が夢に出てくるといいことがあると、多くの人は思っているらしい。けれどそれは、本当は好きな人のことばかり考えていて、寝てる間もその人の幻想を見ているに過ぎないらしいと聞いたことがあった。

「杏? 行こうよ」
「えっ! あ、うん」

考え事に熱中しすぎていた杏に、ジローが声を掛ける。ジローが先頭になり、暗い廊下を進む。後ろからジローを見ながら、杏は思った。

ときどきジローとめぐみが似てると思うときがある。ぼんやりしているかと思うと、鋭い目つきをするときもある。例えば今も。この二人はお互いで無意識に、お互いで気付かないうちに、シンクロしているのかもしれない。杏は何となくそう思った。
けれど、何故この二人なのだろう。

ジローはジローで、歩きながら他のことを考えていた。
先ほど見た夢。杏とブン太には言わなかったが、あの夢には続きがあった。

行かないで。ずっとそばにいてよ。
オレンジ色の世界で自分はそう叫んでいた。胸がきゅんと痛む。

◇◇◇

「あーあ。結局何も変わらんかったな」
「おかしいですね……」

雅治が足をぶらぶらさせて残念そうに呟き、その横ではじめが本のページを何回もめくりながら唸る。結局、あれから三回も同じことを繰り返したが、結果は同じだった。私は疲れてきて、イスに座ったままぐったりしていた。

……それにしても。さっきの声は誰だったのだろう。
行かないで。ずっとそばにいて。
その声を思い出そうとすると、何だか泣きたくなった。

「やっぱ、学生の俺らに出来るわけなかったんよ」

諦めたように雅治が言った。その言葉にはじめが反論する。

「いいえ。そんなことありません。学生には大人にはない、無限の可能性があるはずですから」
「無限の可能性、ねぇ……。こんな狭い環境で発揮してどうすんかね」
「また君はそういうことを……」

皮肉めいた雅治の口調に、はじめは呆れたようにため息をついた。いつしか漂い始めた険悪ムードに、私はおろおろするばかりだった。

「おーい! 清純、この続き貸して」

そんなことにはお構いなしに、私の後ろの席で赤也が清純に向かって叫んだ。はじめの催眠療法に飽きて、マンガに集中していたらしい。清純がそれに応え、大きくかぶりを振った。そのときだった。

「あっ! でかー……!!」

本は放物線を描き、赤也の頭上を軽々と越えた。後頭部に衝撃が走る。私の中で何かが弾けた。

◇◇◇

「ご……ごめ……! めぐみ大丈夫!?」
「お、俺じゃねーよ? 清純だからな悪いの」

清純と赤也の声が後ろからした。私は後頭部を押さえながら、体半分で振り返って反論する。

「いっ……たぁ〜……! 何すんのよ〜こんのエロ純!!」

ちょうど目の前にあった、清純のお腹を軽く叩いて「こぶになったらどうすんの」と頭を押さえる。清純は苦笑いしながら謝った。

「メンゴメンゴ! でもめぐみはまだかわいいから大丈夫! ねっ!?」
「何が大丈夫なのよ……!」
「おう、殴れ殴れ清純を!」

雅治の影に立った赤也が煽る。私が手を振り上げると「暴力反対」と清純は身構える。少し離れた所で、雅治がその様子を見ながら呟いた。

「やー、めぐみ、怒ると怖いのー。性格変わってるナリ」
「でも前はいっつもこんな感じだったぜ? 俺の知ってる限りでは」

雅治の言葉に赤也が口をはさむと、「そうなん?」と雅治が訊き返す。雅治と赤也は少しの間お互いに顔を見合わせた。

◇◇◇

二人はものすごい勢いでめぐみの元へ駆け寄る。その形相に驚いためぐみは、思わずあとずさる。

「めぐみ! 記憶戻ったのか!?」
「え? 記憶って私の? 戻る??」

なんのこと? と怪訝そうに、めぐみは雅治と赤也を見つめた。二人が目を見開いて呟く。

「……ウッソだろ……」


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