「ふーん、そうだったんだ」

赤也と雅治は、今までのことをめぐみに話した。
記憶喪失になっていたこと。性格が違っていたこと。しかし当の本人のめぐみは他人事のようにそれを聞いていた。

「今までのこと、もう覚えてねーの?」
「うーん、ぼんやりとなら。靄がかかってたのがすっきりした感じ」

腕を組みながらめぐみは、はきはきと応える。

「まあ、これではじめの勉強が、いかに役に立たんか分かったな」
「まだ言いますか」
「おっと、まだおったんか。気付かんかった」

本を片付け終えたはじめに、雅治が言った。その口調から、わざとだったことが分かる。

「もうやめなよ」とめぐみが言いかけた、そのときだった。ガラリ、と大きな音を立てて図書室の戸が開く。いっせいにそちらを見ると、聞き覚えのある声がした。

「あー! もー! ダメ! 自分で歩け!」
「ごくろーさま」
「……がー」

入ってきたのは、ジローを背負ったブン太と杏の三人だった。ブン太はジローを下ろすとその場に座り込む。かなりバテているようだった。

「お前ら無事だったんか?」

真っ先に雅治が三人のところへ駆け寄る。「なんとかな」と言ってブン太は歯を見せて笑った。

「ところでお前ら何してたんだよ、こんなとこで」
「ん? あー……えーと」

雅治は視線を泳がせながら、次の言葉を考えていた。そこへ赤也とめぐみが駆け寄る。清純もそれに続く。

「面白いこと! なー、めぐみ!」
「ねー! ……知らないけど」
「やーん、キヨも混ぜてぇ!」

めぐみの様子を見た杏とブン太は「あれ?」と思った。彼女を指差して、雅治の顔を見る。雅治もその意図を察すると、何も言わずにただ頷いた。

「へぇー! 戻ったんだ。ね、どうやったの?」

杏は感心して雅治に訊ねる。けれど、雅治はその方法については、何も言わなかった。

◇◇◇

「でもよかった。めぐみが元気になって」

女子寮の廊下で杏が呟く。

「実はすごい心配してたんだからね。いきなり性格変わるんだもん」
「あはは。心配かけてごめんネ!」

もう大丈夫だから、と言いかけたときだった。廊下の奥から威圧的な声がした。

「橘杏! 今すぐ病院に戻りなさい!」

その声の主は杏を呼び、こちらに近付いてくる。訳が分からずにめぐみたちはその場に立ったままだった。医者らしく白衣を身につけているし、後ろには看護士が数人いた。その内の一人が杏の腕を掴んだ。

「痛! あ、あの、私もう大丈夫ですから!」

杏はそう言って、手を振り解こうともがくが、離す気配はない。そして、何も言わずに廊下を歩き出した。

「ちょ、いいって言ってるでしょ! 聞こえないの!?」

引きずられるようにして連れて行かれ、杏はだんだんと口調が強くなり、暴れだした。それでも医者たちは何も言わずに歩いている。めぐみはその後を追う。

「ちょっと! それって誘拐じゃないの! 離しなさいよ!」

めぐみが、横から先頭を歩いている医者に向かって叫ぶが、彼らは応じない。玄関まで行くと、そこには彼女を乗せていくらしい救急車があった。

その近くから、他の叫び声が聞こえてきた。見ると男子寮から出てきたブン太が暴れている。

「ブン太!」
「あ、めぐみ!」

めぐみの声に、ブン太ははっとしてそちらを向く。その間にもジローが救急車へと運び込まれようとしていた。ジローは眠っているのか、抵抗していない。

「おい! 止めろ!」

男子寮から、雅治がものすごい勢いで出てくると、そのまま医者たちに飛び掛る。しかしすぐに、他の看護士に取り押さえられてしまう。逃れようともがくが、多勢に無勢だった。

「今のうちに乗せろ」
「はいっ」

彼らは三人を救急車に押し込めると、乱暴に扉を閉めた。そして、雅治を押さえていた一人が、雅治の脇腹を蹴る。

「雅治!」

めぐみが雅治のもとへ駆け寄る。雅治は蹴られた脇腹を押え、苦しそうに咳きこんだ。

「っ、ゲホッ、お前ら……っ!」

彼らは雅治に向かって舌打ちをすると、さっさと救急車に乗りこんだ。そして排気ガスやらほこりやら、身体に悪そうなものをまきちらして去っていく。

あっという間の出来事だった。杏もブン太もジローも連れて行かれてしまった。その事実はめぐみにとって衝撃的だった。

杏の苗字、橘っていうんだ。めぐみは今更のようにそんなことを思った。
彼らは何故、彼女の苗字を知っていたのだろう。ここでは必要ないはずなのに。そう考えて、めぐみは背筋がぞくりと震えるのを感じた。

くそっ、と雅治がとなりで悪態をつく。蹴られたところ以外にも怪我をしている。

「大丈夫?」
「おう。何ともなか。それよりあいつらの方が心配だけん」
「……何なのあいつら」

さぁ? と雅治は肩をすくめた。その口元から血が滲んでいて、めぐみは思わず目をそらした。

「ごめん。私、こういうときハンカチとか差し出せる子じゃなくて」
「期待しとらんよ。つーか、謝んのそこかい」

雅治はくつくつと笑った。

「……追いかけるじゃろ?」
「当たり前じゃない」

「上等」と雅治が笑い、ゆっくり立ち上がると、病院の方へ向かって歩き出した。辺りはもう日が暮れていた。


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