今日みたいな晴れ渡った日の夕方。まるで同じ映画を見ているみたいに、繰り返し思い出される風景がある。

オレンジ色の夕日の中、ひとりの少女(少女といっても、自分と同じ年くらいだけど)が自分に背を向けて立っている。その人の髪の毛一本一本や制服、その制服のスカートからすらりと伸びた足、それらがすべて夕日のオレンジ色にふちどられて輝いている。

少し離れたところから彼女を見つめている俺の胸が、きゅんと締めつけられた。それがなぜなのか分からない。恋、懐古、想い出、ノスタルジー、メランコリア……。どの感情にも当てはまらないこの切なさに、胸の奥でちくりと針が刺さる。

これは夢の中の話だったのか、それとも現実だったのか。それすらも分からない。背を向けて立っている彼女と、彼女を見つめる自分がいる風景が、客観的にまぶたの奥に映るだけ。このどうしようもない切なさに、心のうちを支配されて苦しむこともある。



「あっ! なんか、こんな感じの見たことある!」

不意に一つ年下の切原が声を上げた。ふぅん、と気のない返事をすると、切原はむっとして余計に大きな声で騒ぎたてる。

「丸井先輩ノリ悪いなぁ。何? 何スかその態度?」
「はぁ?」
「なんかこう、もっとツッこんだとこまで訊いてくださいヨ!」
「……」

要するに、この後輩は俺にかまって欲しいということだった。何で俺は学校に来てまでも子守りをしなきゃいけないんだ。そう口には出さなかったが、「付き合ってらんね」とつっぱねると切原はさらに騒ぐ。
それを見かねた柳が、ついには口を開いた。

「それはデジャヴだな」
「え?」
「見た記憶のないはずの風景を見た記憶があるように思う現象だ」

柳がそう説明すると、切原は子供のようにすねて反論する。

「俺だってそれくらい知ってますヨ!」

俺はそれを見てこっそり笑った。けれど、切原はそれを目ざとく見つけ、きっとこちらを睨むのだった。

「ていうかこれ、もしかしたら予知夢かもしれないっスよ!」

切原は急に真面目な顔つきになってそう言うのだった。それを聞いて、俺と柳はお互いに顔を見合わせると、どちらともなく笑い出した。いつもは切原の味方をする柳も、これには呆れてしまったようで、くくっと声を抑えるように笑っていた。

「お前にそんなすげぇ力があるとは思えねぇ。デジャヴだって」
「ちーがーうー! って何柳さんまで笑ってんスか!」
「気にするな赤也。俺も丸井の意見に賛成だ」

俺も柳もまるで相手にしていないことに、切原は機嫌を損ねてしまう。こうなるといろいろと面倒なので、切原のことは柳に任せて俺は早々に退散する。



デジャヴ。
その言葉を久しぶりに聞いたような気がする。いつもはあまり意識していなかったけれど、この退屈な日常の繰り返しが、デジャヴを引き起こしているかもしれない。朝起きて、学校に行って、部活やって、家帰って、夜寝て、また朝起きて……。そんなことを何度も何度も繰り返すうちに、脳が錯覚を起こしてデジャヴになる。

うん。そういうわけで。
今、自分の目に映っている夕方の通学路の、この風景も見たことがある。

「あれっ! 丸井くん!」

どこからかすっとんきょうな声が聞こえてきて、俺ははっと我に返る。声のした方を見ると、見覚えのある人物がそこにいた。あいつは確か……。

「氷帝の、芥川慈郎……だっけ?」
「えっ! 丸井くん俺のこと知ってるの!? うれC!」

俺が覚えていたことに、芥川慈郎はいたく感激していた。

先日のことだ。俺は練習試合ということで東京の方まで来ていた。そのときにこいつの方から声をかけてきたのだった。どうやら俺にいい意味で興味を持っているらしい。悪い気はしなかったが、妙にテンションが高くて、それが強烈に記憶に残っている。そのときの印象が強くて今に至っているわけだけど。

「……で? 何か用?」

俺がそう訊ねると、芥川慈郎ははっと我に返る。どうやら本来の目的を思い出したらしい。

「あー……うん。もういいや」
「はぁ?」
「ほんとはね、部活の様子見に来たんだけど……もう終わったよね?」
「終わった」
「そっか。じゃあかーえろ」

芥川はあっさりとそう言って、くるりと方向を変えるとそのまま歩き出した。

「何? お前電車?」
「うん。あ、もしかして丸井くんも? じゃあ一緒に帰ろー!」
「……ガキかよ」

悪い奴ではないと思うのだけど、こいつのテンションについていけるのだろうか。そう思うと、さほど離れていないはずの駅までの距離が、妙に長く感じられる。

ひとり進んで前を歩く芥川を何気なく見た、そのときだった。ぎくりと俺の心臓が飛び跳ねるような感覚に襲われる。

今見ている風景。それはまさに、俺の心を締めつけてきた風景と、そっくりだったからだ。ただひとつだけ違うのは、目の前に立っているのが女じゃなくて男だということ。

これが見たかったのか?
そう思うと目の前がぐにゃりとゆがんだ。

オレンジ色の空気に包まれて、そのまま飲み込まれていきそうな感じがする。頭の中、脳の裏側がじんわりと熱くなり、歩くこともできずに俺は立ち止まる。誰かに助けを求めるかのように腕を伸ばすけれど、それも空しくただ宙を舞うように空振りした。

だれか。

思い切りそう叫ぶと、不意に『誰か』の手が伸びて俺の腕をつかんだ。はっとしてそちらを見ると、芥川が俺の顔をのぞき込んでいた。

「どうしたの丸井くん?」
「え?」

はたから見たら、さぞまぬけな光景だったに違いない。二人の中学生が手を取り合って、お互いに不思議そうにお互いを見つめている。

「なんでもねぇよ」とそう言って、芥川の手を空いてるほうの手でほどいた。心臓はドクドクとものすごい音を立てている。

こいつのおかげで助かった。

俺は何でもない風を装いながらも、心の中でそう思った。
あのとき俺の手をとってくれなかったら、今どうなっていただろう?

「……お前、どっかで会ったこと、ある?」

俺は唐突にそう訊ねていた。自分でも意味不明だったけれど、そう訊ねずにはいられなかった。あの切ない光景が何なのか分かるような気がしたからだ。

「この間会ったよ。もう忘れちゃった?」
「覚えてるよ。そうじゃなくてもっと前に」

そう言うと、芥川の目が変わった。それは一瞬のことだったけれど、とても印象深いものだった。悲しい瞳で、それでいて懐かしい人に会ったような、そんな目だった。何か言いたげな芥川の口が、すこし開きかけてまたすぐに閉じる。電車の走る音が遠くから聞こえてくる。

「……何処かで会ってたかもね」

芥川はそう言うと、またいつものように笑った。


2005.04.24.END


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