惜しいクラウン

そこは、純白の絨毯のような、真っ白な花畑だった。

「少し休憩していく?」
「ん、いいよ。そうしよう」

藤丸立香の言葉に、私も特に異論はなかったので頷く。アビーに手を引かれて花畑を歩く藤丸の背中を見送って、私は地平線の彼方まで続いていそうな底のない白を眺めた。

「カツキさん、如何なされましたか?」

落ち着いた声が私の名前を呼ぶ。振り返らなくても、顔を見なくても、その人物が誰なのかはすぐにわかった。

「呼び捨てでいいよ、天草」
「では、カツキ」
「ん。別に、どうもしてないけど」

返事がなかったので彼の顔を見上げる。
その瞳は少しも私から逸れなくて、私は「どうかしてる」様子を隠し通せていないらしかった。

「……弟が、白い花が好きな子だったから。少しそれを思い出していただけだよ」

私は覚えずしゃがみこんでいた。足元に揺れる花の花弁をいくつも指でなぞって、ああ、持って帰ってやれたらどれだけいいかと少しだけ思った。

「貴女は家族思いですね」
「まさか。ダメな姉ちゃんだったよ、あの子には私を恨む権利がある」
「誰にだって人を恨む権利はありますよ」

その権利を放棄したも同然な男に言われたくない。
顔を上げると、少し先に一輪の花を見つけた。その花だけ、周りの純白とは違い、鮮やかな赤に染まっていた。
私みたいだ。ふと思う。
真っ黒な髪を持つ一族に、私はたったひとり、金髪に近いほどの薄茶色の髪を持っていた。
真っ黒な目を持つ一族に、私はたったひとり、灰色の目を持っていた。
誰も直接は言わなかった。けれど、父は母に「浮気をしていたんじゃないのか」と迫り、私のせいで口論になる日だって珍しくなかった。
祖母だけが知っていた。祖母の叔母にあたるひとが、許嫁を断り自分で選んだ男と駆け落ちをしたという。その相手は、私と同じ髪と目の色をしていたそうだ。
隔世遺伝かなにかだろう。別に、なんでもよかったけど。
私はその花を摘んでしまおうとして、できなかった。この場所から離してしまえば、この子の居場所はどこでもなくなってしまう気が、心のどこかでしていた。

「カツキさん」

私の隣にしゃがんだ天草が囁いた。
呼び捨てにしろと言っただろう。私をそう呼ぶ男は弟だけだ。
でも、弟がたまに呼んでくれた「姉ちゃん」が、私は愛おしくてたまらなかった。

「すきですよ」

抑えた優しい声で、穏やかな表情で彼が言う。遠くではしゃぐアビーの声が聞こえていた。

「……は?」

彼は何も言わずに立ち上がって、そのまま藤丸たちの方へ行ってしまった。
なんだ、あいつ。

「なにをはなしてたんだい?」

可愛らしい声を携えて私の隣にしゃがんだのはボイジャーくんだった。私は思わず彼の頭を撫でていた。

「大した話じゃないよ。お花、綺麗だねって話してた」
「たしかに、きれいだね」
「そうだね」

相槌を打ちながら少年の行動を見守る。彼は足元に咲いた鮮やかな赤色の花弁を撫でて、「まわりがぜんぶしろいから、これも、いっそうきれいにみえるね」と言った。

「……そう、だね、そうかも」
「そういうことを、いいたかったんじゃないかしら」

一瞬なんのことかわからなくて首を傾げたけど、すぐにさっきの天草の言葉の話だと気づいた。
なんだ、何を話してたのか、なんて聞いておいて、ちゃんとわかってたんじゃないか。

「そうね。そうだったらいいな」

他のものと全く違くても、むしろ違うからこそ、目立ってきれいにみえる、ってことだろうか。
うん、ほんとうに、そうだったらいい。
天草の「すき」なんて、私には勿体なさすぎる。万が一にもないだろうけど、彼が私を好きになる世界があったら、私は彼の憎まなかった世界の全てに申し訳なくなってしまいそうだ。彼は世界を等しく憎まない。その中で、たったひとり私だけが、言葉にした好意を受け取ることが出来る。
ああ、だめだ、私にはやっぱり似合わない。

「ねえ、あなたもどう?」

見れば、アビーがぶんぶん手を振っていた。ボイジャーくんはぱたぱたと駆けてアビーのところへいって、代わりとでもいうように天草が来た。

「カツキ、マシュさんがこれを」
「ん?」

彼は手に花冠を持っていた。真っ白で、ああ、私には似合わない、惜しいクラウンだ。

「ありがとう」

お礼を言っていくら待っても、彼はそれを私の頭に乗せてくれなかった。なんだ、受け取れって意味か。
手で受け取って自分の頭に乗せて、ふと思い立って私はやっと立ち上がった。
白い花を摘んで、編んで、摘んで、編んで。何を思ったか、私はそのたった一輪の赤い花も、摘んで編み込んだ。ちょうど真ん中にくるように。

「天草、おいで」

天草が私の隣にしゃがむ。私は立ち上がって、彼の頭に花冠をのせた。

「うん、似合う似合う」

怒っただろうか。立ち上がっている私からは、俯いた天草の表情は見えなかった。
でも怒ったというか、ムッとしたのは私も同じだ。簡単に好きだのなんだのと言いやがって。私がどれだけ期待するのかきっとこいつは知らないのだ。……もし仮に、知っていたとしたら、わかってやれないのは私の方なのだろうか。

「藤丸に見せるまで取っちゃダメだよ」

天草の腕を引っ張って立ち上がらせて、ほいと背中を押して藤丸たちがいる方向に押しやる。
歩き出したその後ろ姿を私はしばらく見張っていたが、彼は2メートルほど歩いたところでしゃがみこんだ。
なんだ、また色違いの花でもみつけたか?