からぁれんず
空を見上げる。今日も今日とて涼し気な、青が綺麗な秋晴れだった。眼鏡をずらすと一斉に世界はセピア調に落ちる。眼鏡を戻すと目の前の景色がカラフルに染まる。
ふふ、と思わず漏れた笑みを誤魔化すように頬を揉んで、家を出て一番最初の角を曲がった。
「おはよう」
声をかけると、彼は青にも見える、グレーにも見える、落ち着いた色の瞳をわたしに向けた。
そこにはいつもの通り、クラスメイトの犬飼澄晴くんがいた。家が近いので、ふたりで学校に行くのが毎日の日課。約束をしたわけじゃない。どちらからともなく、気づいたら相手を待つようになっていたのだ。
「おはよ、露草ちゃん」
薄く微笑んだ彼は、やっぱり青空の下がいちばん綺麗だと思った。太陽の淡い光をちらちらと反射して、何か特別なことをしているわけでもないのに、特別きらきらしているように見えてしまう。
「おれの顔、なんか付いてる?」
「あ、ごめん」
つい見入ってしまった。でも、なんか付いてる?なんて聞きながら頬を触ってみたりなんだり、試さない辺りが彼らしい。
「なんでもないよ。今日もかっこいいなあって思っただけ」
なんだかいつも余裕があって得意げな彼に、からかわれていると思うことも少なくない。ひとりで勝手にちょっと悔しくなって、思ったことをそのまんまぶつけてしまった。
彼は一瞬きょとんとして、それから乾いた声で笑った。特に合図もなく、ふたりいっしょに歩き出した。
「もしかして露草ちゃん、おれの顔タイプだったりする?」
「たいぷ、…うーん」
誰かの顔を格別好きだと思ったことはないし、一目惚れ、なんてことも経験はない。そもそも人の顔を覚えるのが苦手なので、親しくならないとみんな同じ顔に見える。
けど、そういえば、犬飼くんの顔はいつも、きらきらしているかもしれない。
「他の人の顔よりは、うん、すきかも」
ふうん、なんて、自分から聞いておいて興味なさげな返答が返ってきた。わたしからそんなことを聞き出して、彼に何か得があるのだろうか。
「そんなこと聞いてどうするの?」
疑問に思ったことはすぐに口にしてしまうのがわたしの癖だ。これがいい方に傾くか悪い方に転がるかは、ほんとうに時と場合による。平たく言って、わたしは空気を読むというのが苦手なのです。
「どうしようかなぁ」
信号に捕まって、わたしたちは目の前を通り過ぎる車を眺めた。車道の信号が赤になって、もうすぐ渡れると思いながら心の中でカウントする。さん、に、いち、
「露草ちゃん」
信号が青に変わる。
「今度おれとデートしない?」
「…………えっ?」
犬飼くんがすたすたと横断歩道を渡り始めたので慌てて追いかける。状況が呑み込めないまま、わたしは彼の顔を覗き込んだ。
「な、なんで?」
「おれの顔、好きなんでしょ?」
うん、って言うのなんか悔しかったけど、今はそれどころじゃない。
「う、うん」
「一日、一番近くで眺めてみるってのはどう?」
世界が一気に静かになる。緩やかに微笑む君だけが、ただそこに立っていた。
「っ、ふふ」
変に吹き出さなかった自分を褒めた。思わず俯いて顔を隠す。
「え!?このタイミングで笑う!?」
「ごっ、ごめん」
まだ喉の奥で笑いが収まらなくて、わたしは懸命に湧き上がるそれを噛み殺した。
「犬飼くんかわいいね」
「何が!?」
気がついたら学校が見え始めていて、またわたしたちは何も言わずに、黙って立ち止まっていた。
「でもいいの?犬飼くんに良いことある?」
ご飯代とかはわたしが払うってことだろうか。犬飼くんがそんなことをさせるひとじゃないっていうのは、わかっているつもりだったけど。
「あるよ」
にっこり笑って、彼は言った。でも、それ以上は教えてくれなかった。
「じゃ、詳細はまたメールで」
ひらひらと手を振って、彼は校門の方へ向かってしまった。ひとり取り残されたわたしは、心の中で30数える。なんかありもしない噂たってもね、と校門にバラバラで入ることにしたときからの目安だ。
28まで数えたところで、わたしは犬飼くんとデートに行くという事実をやっと理解した。