なんにも言えないよ、そんな気持ち
この応接間にくるのも久しぶりだ、と感じる。
きょろきょろと辺りを見回す私を見た跳ね馬に「澪、泣いたのか?」と声を掛けた。
『ちょっとね。』
おかしいな。顔、洗ったはずなんだけど。と、頬をさする。痛っ、まだ、あの鮫野郎の拳が響いてる。表面的にはルッスーリアのお陰で治っているかもしれないけれど、これ、頬骨折れたとか?
「目蓋が腫れてる。なぁ、ロマーリオ。」
「少しな、待ってろ、嬢ちゃん。濡れタオル持ってくる。その間ボスを頼んだ。」
「おいおい、なんでオレが澪に頼まれないといけないんだよ。」
ったく、と照れながらも頬を掻く跳ね馬がすこし可愛くみえた。
『ごめんね、朝早くに。』
「いいって。何か、あったんだろ?」
『まぁ、ね。
…あ、慰めてほしいとかじゃないの。ちょっと今は、帰りたくなくて。』
「分かるぜ、オレもお前くらいのときそんな事あったからさ。」
『ええ?本当に?』
ああ、と言って昔の話を聞かせてくれた。途中、ロマーリオが帰ってきて目蓋を冷やしてくれたり。昔話に混ざったり。
本当は、やらないといけない仕事あるはずなのにね。
「…っと、わり。話しすぎたな。」
『んー。いいよ、楽しかったし。』
「飯でも行くか?」
『いや、悪いよ。仕事、あるんでしょ?』
「スクアーロが、」
どきり、と心臓が嫌な音をたてた。
今、彼らの名前は聞きたくなかった。
「澪が、いるお陰で仕事量は半分だって。ヴァリアーじゃあ、書類関係の仕事はほぼ澪任せなんだって言ってたからな。」
『そんなこと、』
あいつが、言う訳ない。
「飯くって、澪が手伝ってくれたら良いんじゃねーの?」
『うん。分かった。おすすめのところ、お願いします。』
02.待機
あいつが、出ていった。
今朝、風呂に入っていることも、何かごそごそと動いていることも知っていたが、どうした、と声をかけることはできなかった。
今思えば、あいつがあそこまで感情的になることは珍しい。オレの事を殴って止めようとしたことも、あいつが、手を出すことも。黙らずに、最後まで言いたいことを吐き出したのかも。
オレには知ったことではない。
「あいつが行きそうなところ…。」
「跳ね馬。そいつくらいしか、いねーし。友達。」
正直、ガキじゃねーんだし。放っておけばいい。
時間が経てば、気分も戻るだろうし。
あいつだって、自分の事くらい冷静になれば分かる。
「隊長、放っておいてやって。
別に、あいつが逃げ出したって訳じゃねーんだし。」
「…なら、あいつが外で何かやらかしたら責任はてめぇで持てよ。」
「いつものことっしょ。」
あいつが、外で何をする。
どうせフラフラと資金が費えるまで放浪すれば帰ってくるだろ。
「優しいんだね、君は。」
「はぁ?バッカじゃねーの?
ちゃんと帰ってきたら色々やってもらうけど?」
「ふぅん。僕の出番は無いってことかな?」
粘写、か。
「いらねーって。っま、当分は。」
予想通り、跳ね馬から連絡は来た。
あいつの気が済むまでは預からせてくれ、と。
元々、あいつ自身が抜けてもたいした痛手にはならない。それは、このヴァリアーに所属している全員が言えることか。死と隣り合わせの毎日だからこその、組織形態。
だと、思っていたのに。
あいつが出ていって三日後のことだ。
「んもぉ!なーに、この、書類の山!」
「しゃーねーだろぉ!あのカスのせいでクソボスは仕事しねぇし、オレらは任務。カス共には見せられねぇ書類のせいで合間をぬぐうしかねぇーんだからなぁ゙!!」
「そんなこと言ったって、私、やったことないわよ!?」
「だぁったら。あのクソ女引きずり帰って来いぃ゙!!」
あいつも、不憫だよなー。
こんな雑用任されてたなんて。まぁ、王子はしねぇけど。
あいつが出ていって、三日でこの様子なら、明日にはストレスで隊長死ぬんじゃね?
「ベル!あの女を連れて帰れ!」
「やーだね、つーか無理。頑固だし。
しかもなんでオレなんだよ、当事者以外が行けよ。
あ、スクアーロ、お前いけって。殴ったの謝れば?っししし」
鋭い視線で一睨み。ああ、怖い怖い。
それからすこし考えるそぶりをして、電話を掛けた。
「ゔおぉい!!跳ね馬ぁ゙。
あのカス女こっちに連れてこい!溜まった仕事を片付けさせる!」
<あれ?帰って来てねーの?>
「あ゙ぁ?」
<あいつなら、一泊だけして帰るっつって、帰った…筈だけど。>
「…本気で言ってんのか?」
<嘘つく理由ねーって。
もし、まじで帰って来てねーなら、こっちからも捜索隊を…>
「その必要はねぇ。世話んなったなぁ。」
スピーカーになっていた電話は、談話室を静まり返らせるには充分だった。
「ええと、それじゃあ。もしかして、部屋に居るのかしら?」
「それはないよ。気配だってしないし、帰ってきたとしても朝、誰か気づくだろ?」
「ぬ…、誘拐、か?」
レヴィの発した言葉に、もう一度訪れた沈黙。
「っししし、ねーって。ウケる。どこぞの令嬢でもねーし。
それならひょっこり殺されてる方だろ。」
「ひょっこり、もとの世界に帰ることもあるよね。」
思わず、嫌な汗が吹き出た。誰が?まさか、この、オレが?
たかだか、そこら辺にいた拾った女にたいして、いったい何を思った?
「マーモン、粘写だ。」
「報酬は期待しとくよ。」
鼻をかむような音がして、お世辞にもきれいと言えない地図が浮かび上がった。
「むむ、まだ国内には居るね。生きてるよ。
跳ね馬の屋敷からはけっこう離れているみたいだけど。」
「ルッスーリアを行かせる。てめぇらはソレ片付けろ。」
「んもぉ、私、の扱い雑よねぇ。嫌んなっちゃう。」
イタリアで、あいつが他に頼るところ。
「白蘭?」
CEDEFでも、本部でもなく。あいつは、きっと白蘭のところかもしれないと、直感が告げた。あの平和ボケした頭には、未来の記憶はただの可能性でしかなく。嫌悪感も敵意識もない、バカなあいつだから。
(今、寒気した。)
(もう1日くらい泊まれば良いのに。)
(そうですよ、澪さん。)
(白蘭もユニもありがとうね。でも、せっかく羽を伸ばせるなら日本にもいきたいし。)
それに、そろそろ、追い付かれそうな気がするから。
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