お幸せに



「ユズル、おめでとう」
「ありがとうございます」
「先輩」と微笑む顔からは幸せが滲み出ていて、嬉しい気持ちと社交辞令が混じっているんだろう。こんな風に卑屈に考えてしまうことを許してほしい。



 わたしとユズルは言わば幼馴染み。わたしから二個離れた後輩君。幼馴染ということもあり、ユズルの両親からも、なぜかわたしの両親からも、ユズルをよろしくされた。わたしは子どもの世話が好きだから素直に頷いた。
 ユズルの姉というか保護者のような立場を獲得したわたしは、ユズルが小学校を卒業するまで毎日迎えに行って一緒に登校した。友だちとの付き合いもあるからべったりはしてないけれど、まあまあべったりしてたかもしれない。
 ユズルが可愛くて可愛くて仕方なくて、学校に行っても暇になったときの大体の話題はユズルだった。話しを聞いてくれる子はいつも話半分だったけれど聞いてくれてありがたかった。
 ユズルを縛りたくなくて保護者目線で見守っていたら、まぁ当然、わたしに好きな人も恋人も、雰囲気すらできなかった。欲しいわけでもなかったから気にしたことではなかった。でも、あの日、すごく後悔した。
 わたしは高校一年生になって、ユズルは中学二年生になった。保護者の役目として、それとボーダーへの興味本位で、わたしはユズルの後を追うようにボーダーに入った。ボーダー歴は一年半くらいで隊も組んでいないから遠巻きに見守っているだけだけれど。

「ユズルー、好い子いた〜?」
 なんて小指を立ててふざけて聞いたら、いつも淡々としているユズルが顔を赤くして視線を泳がせた。

 何それ。そんなの聞いてないし誰がそんな顔にさせているの。

 黒い感情がわたしの中で蠢いた。自分でもびっくりした。人様の恋愛に口出せるような人間じゃないし、口を出すつもりなんて毛ほどもない。ユズルの幸せが私の幸せのようなものだし、それは本当だ。
 なのに、なのにだ。ユズルが誰かに取られる、と想像するとすごくすごく嫌だ。ユズルは昔からわたしのそばにいて、わたしもユズルのそばにいる。それが当たり前。いつかこの関係はなくなってしまうことも知っていた。でも、なんでか心から祝福することはできそうもない。いつもみたいに応援すればいいのに、その言葉が出てこない。

 その子のどこがいいの? なんでその子なの? どうしてわたしを置いていくの?
 わたしの知らないユズルなんて嫌。わたしはユズルの全部を知っているんだ。みんなの知っているユズルも、みんなの知らないユズルも、わたしだけが全部を知っているはずなのに。

 そこまでぐるぐると考えてようやくわかった。

 あぁ、わたしはユズルがいないとダメなんだ。ユズルのいない世界なんて飢えているのと同じだ。

 わたしを知らない人が聞いたら、ユズルが聞いたら、きっと嫌煙される。でも、そう思わずにはいられない。ユズルはわたしのすべてなんだ。

「先輩?」
「あ、ごめん。ユズルの好きになる子はどれくらい可愛いのか考えてただけだよ」
「か、からかわないでください」
 今もその子のことを考えてるんだろう。こんなにも大切に思っているのに、ユズルが大切なのに、伝えたら壊れてしまうのがつらい。幼馴染の恋愛は二次元でよくあるけれど現実はそんなに優しくない。今の環境に元々の環境が勝たないと幼馴染に需要はない。わたしは、今の環境に負けたんだ。

 それからの日々をどう生きてきたのか分からない。ただ、気づいたらオールラウンダーになっていたという事実があるのみ。あの日から半年でお世辞にも高いとは言えなかったポイントが10000点を超えていた。自分でもよく分からない。がむしゃらにやっていたことは想像がついた。二代目戦闘バカといった奴は切り刻んだ。
 少し驚いたのはボーダーの知り合いが増えていたこと。そして一番知りたくなかったことを知ってしまった。ユズルの想い人が、雨取千佳ちゃんだったことだ。
 あんな心優しくて良い子にわたしなんかが勝てるわけがない。不戦敗もいいところだ。それを知ると、心で静かに息をしていた黒い感情が騒めきだした。今までなんとかなっていたのに、なぜか制御ができなかった。腹癒せに米屋先輩を捕まえて二回斬った。かわりに三回斬られた。
 この感情を知っているのは迅さんだけだ。迅さんにはユズルとわたしにとって良くない未来が見えていたんだろう。何度か忠告をしてきてくれた。未来が変わるたびに報告もしてくれた。聞いてきた中で一番酷い未来は、わたしが近界に行ってこっちの世界を滅ぼしに来るというもの。どうしてそうなったのかは分からないけれど、否定できないのが申し訳ない。
 迅さん曰く、ユズルのどの未来にも隣にわたしはいないらしい。遠回しに諦めろと言われているような気もしたけど無理な話だ。ユズルはわたしのすべて。これは変わらない。迅さんはそれを悟ってか、「程々にな」と忠告してくれた。

 だから仕方ない。

「雨取さんと付き合うことになったんです」

 嬉しそうにしているユズルを見て、心が満たされると同時に絶望の底に落とされる感覚。千佳ちゃんにユズルがとられる感覚。

「なんで?」

「え……?」

 つい、ユズルを責める言い方になってしまったのは仕方がないことだ。
 わたしは悪くない。何も、悪くない。
 ユズルは目を大きく開けて驚いている。それもそうだ。いつも温かく見守っていた先輩から突然突き放されるようなことを言われたのだから。どういう思いでわたしに伝えに来てくれたのかは分からないけれど、ユズルは否定されるなんて考えられなかっただろう。わたしも否定するつもりはなかった。ただ、ユズルが知らない誰かになるという恐怖と、ユズルがとられることが恐ろしかった。

「困らせるようなこと言ってごめんね」

 わたしには、何もできない。自分に腹が立った。素直にお祝いできない。きっといいことなのに。
 ユズルはびっくりした顔だったけれどすぐに優しい顔に戻った。それでいいの。ユズルは、わたしの言葉や動作に感動していればいい。他の誰かに感化なんてされないで。ユズルは、わたしの知っているユズルでいて。わたしの知らないユズルはユズルじゃない。
 




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