お幸せに



 気づけばあの日から8年経っていた。
 最初はユズル不足で死ぬかと思ったけれど、少しずつユズルのいない生活に慣れ始めて、気づけばユズルはわたしの側から消えていた。いくら慣れたと言えど、ユズルを見れない日は死ぬかと思った。ユズル離れをしろ、なんて誰かに言われてた気がするけれど、ユズルはわたしの光だから絶対に無理。
 今こうしてユズルと千佳ちゃんの結婚式にいるのもユズルがいるから。ユズルがいなかったらわたしはいない。ユズルのことをこんなにも想っているのに、周りの人は"歪んでいる"と言う。誰かを想う気持ちに歪んでいるものなんてない。ただ、他の人よりもその気持ちが強いだけ。
 誰が見ても二人は幸せそうで、心からお祝いできないことがつらい。結婚なんてしなくていいから、ずっとユズルの側にいたいと思うのは何が間違っているの? 誰かと一緒にいたい気持ちは多分誰にでもあるでしょ? 
 歪んでいると言われてもかまわない。これが、わたしの気持ちだから。

「先輩」
 流れで披露宴にも参加してユズルへのどうしようもない気持ちを抱えていれば、本人がやってきた。笑っている顔なのに、あいさつしたときの笑顔とは感じが少し違った。わたしだけが知ってるユズルを見れた気がして、心があっという間に軽くなった。

「ユズル、おめでとう」
「ありがとうございます」

「と、言っておきます」といつものユズルと違う表情をする。わたしの知ってるユズルはそんな含みのある笑顔は浮かべない。含みのある言葉も言わない。まるで別人。
「先輩」とユズルはわたしの手を取る。わたしの知らないユズルはいつもなら怖くてたまらないし、今すぐにでも知らないユズルを消してしまいたい衝動に駆られるのに、今日は全然そんなことを感じない。
「先輩が来てくれて助かりました。来てくれないんじゃないかと思って、少し、心配だったんです」
「心配させてごめんね」
 ユズルがわたしを必要としてくれている。それだけでも嬉しくなった。単純な女だと思う。でも、想っている人から必要とされたら誰でも一喜一憂してしまうはずだ。わたしにユズル離れをしろなんて絶対に無理な話。この時間だけでも、ユズルは千佳ちゃんよりもわたしを優先してくれている。その事実が何よりも幸せ。
「久しぶりに会えたんですからこの後一緒にご飯でもどうですか?」
「冗談はやめて。ユズルには千佳ちゃんがいるでしょ」
 ユズルはあの頃と同じ笑顔でわたしに誘いかける。どうしてそんなことをするの。わたしにはとても嬉しい話だけれど、ユズルには千佳ちゃんがいる。この先、いつでも会いに行くのにどうしてこの後なんだろう。わたしはユズルを独り占めしていいの?

「そんな顔、しないでください」

 ユズルは慣れた仕草で私の髪を耳にかける。これを千佳ちゃんにもやっていたのかと思うととても複雑。でも、その仕草は様になっていて、ユズルがどんどん知らないユズルになっていく。
 ユズルがこそこそ話をするように口元に手を寄せてわたしに手招きをする。大人しく耳を貸せば、「付き合ってる人はいますか?」と優しい声で聞かれた。今日のユズルは不思議だ。ユズルと話せるなら、ユズルといれるならどんな話題でもかまわないけれどどうしてそんなことを聞くの。
「いないよ」
 ユズルが大切だから、という言葉が出そうになって口を閉じる。この気持ちは誰にも言わないことにしようと決めていた。本人の披露宴に言うなんて、そんな大切な日にユズルを困らせることは気が引けた。
「今もオレのこと好きなんですか?」
「……え?」
 いつもの静かな笑顔でとんでもないことを言った。ばれていないという自信はなかったけれど、それを結婚を祝うこの場で言うとは思わなかった。犬飼先輩だっけ。その先輩が言いそうな、人の反応を見て楽しむ感じ。ユズルはこんなにも思慮と分別のない子だっただろうか。わたしは数年ぶりにユズルを供給しているせいで浮かれているけれど、さすがにこの言葉は聞き逃せなかった。知らないユズルどころか、ただの別人。今すぐにでも家に帰って、ユズルの昔のビデオが観たい。

「今この場で言うことではないですけど、オレ、先輩のこと見てましたよ」

「それなのに全然気づいてくれないので、すごく心配で……」と苦笑いしているユズル。
 ユズルが、わたしを、見ていた。全く気がつかなかった。ことあるごとにユズルを見ていたけれど、ユズルの視線の先にわたしがいたことはなかったはず。一緒に話しているときは別だけれど。いつものユズルを見るのがとても楽しくてわたしの知らないユズルなんていなかった。ユズルのすべてを知っている気でいた。

 いつ、ユズルがわたしを見ていたの? なんで、ユズルはわたしを見ていたの?

「先輩は知らないことが怖いみたいですが、これから知っていけばいいんです。先輩の知りたい事ならオレが何でも教えてあげます」

 ユズルはどこまでわたしのことを知っているの? 知ることが、知られることが、少しだけ怖いと思った。
 ……待って。"これから"ってどういうこと。少しだけ忘れていたけれどユズルは千佳ちゃんと結婚したんでしょ。どうしてそんなにわたしにかまってくれるの。
「先輩の困っている顔、オレは好きです。千佳のことが好きだって教えたときすごく百面相してたんですよ。先輩がオレの言葉に感動させられていると思うと嬉しかったんです」
 ユズルは楽しそうだけどわたしは少し不安が頭の中をぐるぐるしている。今もあの頃も、わたしがユズルを想う気持ちは変わらない。持ち帰りしてもいいならお持ち帰りしたいくらい。
 周りは気を使ってくれているのか話しかけに来ない。こんなにも幼馴染みであることに感謝したのは久しぶりかもしれない。ユズルが身を固めたからわたしは手を出さないと思われているのかもしれない。実際の状況はその逆なんだよね。
「先輩も似たようなことを言われたことがあると思いますが、ボーダーにいたころ迅さんに言われました。オレの未来に先輩はいないって。他人の色恋に口を出すような人じゃないのに。どうして口を酸っぱくして言われたのか考えたんです。その意味が今になってようやくわかりました。ボーダーに不利益が被るからですよ」
「不利益……」
「先輩、知りませんでしたか? 千佳は今もボーダーにいて、研究者として働いているんです」
 知らなかった。千佳ちゃんのことだから、みんなのためにと言ってそう。わたしには関係ないけど。でも、これがどうして不利益に?
「オレ以外もしっかり見てください。千佳はトリオン量も多いこともあってそれなりに良い位置にいるみたいなんです。昔から有名人というのもあって、結婚することですら大ごとになっていたのにもかかわらず、旦那が何かをやらかすなんて絶対にあってはいけないんです」
「いや、でも、オレだけに興味を持ってほしいです……」とユズルは聞こえるか聞こえないくらいの声量で言っている。
 何この可愛い生き物。頬をほんのり染めて、あの頃のユズルと同じ表情。どんなに知らないユズルがいても、これがユズルなんだって嫌でも思わされる。
「千佳のことは好きです。でもそれは人間性の話で、オレはずっと先輩のことが好きです。オレの手の上で転がされている先輩のことが」
 ユズルがわたしに手を差し伸べている。きっとわたしが悩むことすら考えた上での話だったんだ。わたしが言うのもおかしいのかもしれないけれど、ユズル、それは歪だよ。
 もう周りの視線なんて、世間一般論なんてどうでもよくなってしまった。頼りになるのは、わたしの欲と良心。わたしはユズルといたい。でも、良心は駄目だと言う。ユズルはわたしに気持ちだけを伝えてきてそれ以外は何もわからない。迷わずに断るのが大人なんだろうけれど、わたしにはそれを簡単に出せるほどの脳みそがない。
 ユズルの顔を見ると、微笑んだままわたしの出方を待っている。

 わたしは───



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