ある少年と部活動

「三ツ谷ー、いるー?」

「お前なぁ、部活中なんだからノックはしろって」



 オレンちじゃねーんだから。そう小言を投げると珠綺は「ああ、そうだった」と悪びれる様子も無く言ってのけた。コイツ、まったく反省してねぇな。これがぺーやんだったら安田さんが凄い剣幕で追い返しにかかるのだが、相手が珠綺だとそうはいかないらしい。……いや、安田さんだけじゃねぇか。珠綺が入ってきた瞬間、部員がきゃあきゃあと騒ぎだしたんだから。



「芹澤さん、部長待ち?」

「んー、そう」

「だったらコレ、ちょっと見てくれないかな?縫い方が分からなくて……」

「いいよ。カバン置いたらね」



 ミシン掛けしているオレの隣りの椅子にカバンを降ろして、珠綺は田中さんの手元を覗き込む。



「ギャザーの縫い方か……そしたらまずー…」



 珠綺は慣れた手付きで机の上に布を広げ始めた。その様子を見て、1人、2人と部員が珠綺の周りに集まり始めた。オレ1人で部員全員の指導をするのは結構大変だから、たまに珠綺がこうして面倒をみてくれるのは意外と助かっていたりする。つーか、コイツは昔から男子よりも女子に人気が高かった。口は悪いが顔は整ってるし、気に入らねぇヤツには容赦が無いがそれ以外には意外と面倒見も良い。いつだったかのバレンタインの時なんてクラスの殆どの女子からチョコレートを貰ってきた事もあった。あの時は流石に引いたな。



「……あんま目が細けぇと固すぎて綺麗に皺が寄らねぇから、粗さは3〜4くらいがいいな。合印で切り込み入れといたから、ギャザーは合印で分けて縫う事。全部終わったら本体と合わせるから、また声かけて」

「なるほど……ありがとう、やってみる」

「次、私いい?」

「んー?ああ、これか……」



 対して男子からはどうだったかというと、口より先に手が出る喧嘩っ早さのせいで殆どの男子からビビられていた。それでも見た目だけは良いからひっそりと憧れられていたらしいが、七小のマイキーのダチ≠チていう事もあってか珠綺に逆らうヤツなんて殆どいなかった。



「時間通りに終わりそー?」

「ああ、お陰様で」



 一通り部員の相手をして、珠綺はオレの隣りに腰を降ろした。カバンから100均で買ったクロスワードパズルの雑誌を取り出し、後ろの壁にもたれるように椅子の上で体育座りをして問題を解き始める。



「おい、一応女なんだからその座り方は止めろ」

「いいじゃん、別に。パンツ見られて困る相手もいないし。そもそもペチパン履いてるし」



 はぁ……ルナやマナにもこんな注意しねぇのに……。仕方なく持っていたカーディガンを渡して膝にかけさせる。ちなみに何で机で解かねぇかというと、ミシンの振動で字がガタガタになるからだそうだ。だったらクロスワードなんか持って来んなと言いたいとこだが、コイツは本を読み始めると周りが見えなくなる癖があるからな。いつでも部員の質問に答えられるように、という珠綺なりの配慮なんだろう。



「……今日の集会の内容、聞いたか?」

「パーの親友の事でしょ?ぺーやんから聞いた」



 隊長格だけじゃなくて全員での集会は久しぶりだ。しかも、集合を掛けたのがマイキー総長直々となれば、議題に上がるのもそれ相応の内容という事。多分、珠綺が手芸部に顔を出したのもマイキーに頼まれたからだろう。オレの部活の時間が押して集会に遅刻しないように。



「愛美愛主≠ヒぇ……。かなりデカいチームだし、何よりメンバーの殆どが高校生。万次郎やドラケンみたいな化け物共は置いといて、全員骨を2、3本折る程度で済めばいいけど」

東卍ウチはまだ結成して2年だけど、愛美愛主あっちは現総長までで8代続いてる古いチームだからな」



 パーとしては辛いところだ。本当は自分1人で解決したいんだろうが、流石に今回はそうもいかない。かと言って東卍総出で挑んだところで当然無傷では済まない。珠綺の言う通り、骨折で済めば万々歳だ。ガタガタ、とオレはミシンをかけて、ガリガリ、と珠綺はペンを走らせる。



「新宿かぁ……」



 暫くして、珠綺が口を開いた。



「新宿がどうしたんだよ?」

「いやさ、愛美愛主に勝ったら新宿も東卍の管理下になるって事でしょ?新宿にさ、気になる大判焼きの店があんだよ」



 今度から気兼ねなく行けるようになるのか、と珠綺は声を弾ませている。



「おいおい、気が早すぎだろ?」

「何で?三ツ谷だって言われてんじゃないの?万次郎は間違いなく愛美愛主とヤるつもりだよ」



 ……コイツはホント、昔から勘が良いというか何と言うか。確かに昨日の晩、パーちんを抜かした幹部だけの集会で、マイキーはパーが望むなら抗争を起こすつもりだとオレらに話した。パーは単純だから自分の感情が表に出やすい。ここ数日の間、パーの機嫌はすこぶる悪かった。まぁ、当たり前だ。親友は家族全員吊るされて、その彼女は病院送りになったまま昏睡状態。胸糞悪いったらありゃしねぇ。



「お前、マイキーから何か聞いたのか?」

「聞いてない。万次郎、そういうの私には話さねーもん」



 そう言って珠綺は少し寂しそうに笑った。東卍が結成した2年前、当然のように場地が「珠綺も呼ぼう」と言うとマイキーが首を横に振った。



珠綺アイツはダメだ。ぜってぇ入れねぇ」



 それまでどこに喧嘩行くのも一緒だったのに、マイキーは頑なに珠綺をチームに入れるのを嫌がった。当然珠綺は不貞腐れて暴れたが、それでもマイキーの決意は固かった。今でも珠綺はオレやマイキー、ドラケンと他校に喧嘩に行く事はあるが、けど、珠綺コイツは東卍のメンバーではない。場地やパーは珠綺が東卍に入らない事に最後まで反対してたが、オレには何となくマイキーの気持ちが分かった。珠綺は確かに口も悪ぃし喧嘩も強ぇけど、オレにとっては大事な幼馴染女の子なんだ。出会った時から、ずっと。



東卍こっちには無敵のマイキー≠ェいるんだ。絶対負けねぇだろ」

「……ま、そうだな」



 ミシンをかける手を止めておさえを上げる。伸びた糸を玉止めにして少し皺の寄った生地を整形してやれば……出来た。



「珠綺」

「ん?」

「ほら」



 視線を落としたままの珠綺の頭に出来立てのソレをぽん、と乗せてやる。



「新しいシリーズ物の文庫本買ったって言ってただろ?」

「……あ、ブックカバー」

「この前ルナマナ任せっ放しにしちまったからな。余った端切れで悪いけど」

「んーん。早速使う」



 乱暴にクロスワード誌を閉じて、カバンから新品の文庫本を取り出す。そのまま本にカバーをかけ、珠綺は「おお!」と歓声を上げた。



「ぴったり!」

「当たり前だろ。文庫本サイズにしたんだから」

「うんうん、良い感じ。ありがと、三ツ谷」

「おう」



 すっかりご機嫌な様子の珠綺は、カバーの調子を確かめるようにぺらっと表紙を捲っている。



「あ、そうそう」

「ん?」

「万次郎がさ、今日の集会にタケミっち呼ぶって」



 ……タケミっち?誰だ、ソレ。



「ドラケンが声かけるって言ってたから、多分来んじゃねーかな?」

「いや、だから誰だよ、ソイツ」

「この前渋谷駅でぶつかったひょろい金髪なんだけどね、万次郎が気に入っちゃったんだよ」



 珠綺は尚も脈絡なく話を続ける。整理すると、前に渋谷駅で珠綺がぶつかったヤツが、何かのきっかけでマイキーとも知り合った、と。で、ソイツの名前がタケミっち=c…?



「めっちゃ弱そうだから、東卍の奴らにメンチ切られて小便漏らしちまうかも」



 珠綺は「ぷっ」と吹き出した。おい、女が小便とか言うな。オレの視線に気付いたのか、珠綺はギクッと焦ったように肩を揺らした。



「私も気にはしとくけど、もし見つけたら教えてよ。一応万次郎の客だから」

「分かった。覚えとくわ」



 ん、と返事をして珠綺はぺらっと文庫本のページを捲る。……ん?ページを捲った……しまった!



「バカ珠綺!今読むんじゃねぇ!」

「……んー…」



 珠綺の声から漏れる生返事……遅かった。文庫本の厚さからして、珠綺が読み終わるまでは15分ちょっとといったところだろうか。お前、何のために手芸部ウチに来たんだよ。はぁあ、と思わず深い溜息が出た。



「芹澤さーん……あれ?」

「あー…珠綺はちょっと取り込み中だから、オレが行くよ」



 壁にもたれて足を組む珠綺の膝にはちゃんとカーディガンがのったまま。まぁ、それを守ってるだけマシか。黙々と本を読み進める幼馴染の頭を小突いて、オレは田中さんに合印の合わせ方を教え始めた。