ある少女の恋愛相談
組んだ膝の上に本を乗せ、お行儀悪くテーブルに片肘をついて頬に睫毛の影を落とす。これが1つ歳の離れた友人の読書スタイルだ。ぺら、ぺら、と速いテンポでページを捲っているけど内容は全て頭に入っているっていうんだから凄い才能だと思う。速読、って言うんだっけ?
「珠綺、今日の晩御飯何が食べたい?」
「……んー…」
「ウチは昨日ハンバーグだったんだけど……珠綺は何食べたの?」
「……んー…」
鼻から抜けるような声が漏れただけで、珠綺は一向に顔を上げようとしない。でもこれはいつもの事。確かに珠綺は本を読むスピードが速いけど、読んでいる最中は完全に本の世界に意識を持っていかれてしまう。この状態の珠綺を呼び戻すのは至難の業だ。いつだったか忘れたけど、マイキーとドラケンが激しい口論をする中で平然と読書に没頭してた時もあった。確かあの時はマイキーがドラケン目掛けて投げたペットボトルの蓋が開いて、珠綺の読んでいた本を汚しちゃったんだよね。キレた珠綺のお陰で喧嘩は両成敗になったけど、読みかけの本をダメにされた珠綺の怒りはなかなか収まらなくて、数日間史上最悪なまでに不機嫌だったのを覚えてる。あの時のマイキーの拗ねっぷり……ぷっ!今思い出しても笑える。
珠綺が本を読み始めてから十分ちょっと経っただろうか。手元の本のページは残り半分くらい。あと十分もすれば本を畳んで、伸びをして、氷が解けて薄くなったカフェオレをぐいっと飲み干すのだろう。仕方なく珠綺の前に座り、両肘をついてボーっと彼女の観察を始めてみた。珠綺は自分の事に無関心だから、いっつも薄い化粧をしている。女の子なら好きな人の前では可愛くありたいって思う筈なのに、珠綺は全然。せっかく綺麗な顔をしてるのに、可愛い新作リップも、盛れると話題のマスカラも、人気女優がCMしている香水も、全てに興味が無い。薄い化粧もウチがしつこいから何となくやってるだけ。珠綺にとってはどうでも良い事なんだ。
「……エマー…」
「ん?」
「……そうじろじろ見られてると落ち着かねー…」
ぺらっ、とページを捲る。これは珍しい。まだ読み終えてないのに珠綺が反応するなんて。とは言っても、本を読む事を止めるつもりは全然無いらしい。相変わらず顔はずっと下を向いたまま。それでも暫く視線を送っていると、珠綺は小さく溜息を吐いて読みかけの本を開いたまま裏返した。
「どした?何か言いたい事があんだろ?」
「別に……今晩の献立を相談したかっただけだよ」
「だったらそんな不貞腐れた顔すんなよ。可愛い顔が台無しだぞ?」
「むぅー……」
歯が浮くようなセリフだけど、サラリと言ってのける珠綺はメチャクチャカッコいい。前にマイキーに言われた事があった。珠綺はエマに甘いって。そうかな?ウチからしてみれば、マイキーの方が大分甘やかされてると思うけど。でも、確かにウチは珠綺に怒られた事が無かった。おじいちゃんの家で暮らすようになってから大分経つけど、初めて会った時から珠綺はずっと変わらず優しいまま。ぽん、と頭を撫でられて恥ずかしさからテーブルに突っ伏す。
「……珠綺はさ」
「んー?」
「マイキーとチューした事、ある?」
「……は?」
ちらっと視線を上げると、珠綺はポカン、と口を開いて間抜けな顔をしていた。
「いきなり何言うかと思えば……あーアホらしー」
「アホじゃないもん!ウチにとっては超重要な事なんだから!」
「あのなぁ、仮に私と万次郎がチューしたとして、それがエマに何の関係があんだよ?」
「いいじゃん!気になるんだもん!参考にさせてよ!」
テーブルを叩いて訴えたけど、珠綺には全然響かない。それどころか心底興味の無さそうな顔で裏返しにした本に手を伸ばしている。させるもんか!
「あっ!エマ、返せ!」
「ダメ―!!珠綺がちゃんとウチの質問に答えてくれるまで返さない!」
「……はぁ…」
ほら、やっぱり彼女は優しい。うんざりした顔してるけど、珠綺は絶対にエマを怒らない。行き場を無くした右手をひらひらさせて、どっかりと椅子に寄りかかった。
「そーいうのはそれぞれのタイミングってのがあるんだよ。他人の体験談なんて何の参考にもならねーだろうが」
「参考になるかもしれないじゃん。マイキーに聞いてもいっつもはぐらかされるんだもん」
「万次郎にも聞いてんのか……」
はは、と珠綺の渇いた笑い声。
「……男の子ってよく分かんないんだもん。どんなに可愛くお洒落しても、大人っぽい仕草勉強しても、ドラケン全然興味持ってくれないし」
「うーん……あの喧嘩バカ共に女心を分かれって言う方が無理があると思うけどなぁ…」
それには同感。でも、マイキーなんて凄く分かりやすいと思う。珠綺が他の男と話してると目に見えてヤキモチ妬いてるし、反対に珠綺がひっついてると凄く嬉しそうにしてる。いいなぁ、珠綺はマイキーに愛されてて。ウチもドラケンに妬いて欲しい!抱き着いてイチャイチャしたい!
「ねー、珠綺はマイキーと2人の時って何してるの?」
「えー?CB250Tでツーリングか、気に食わない連中を潰しに行くか……ああ、たい焼き屋巡ったりもしてるな」
「はぁ……聞いたウチがバカだった」
「だから言ったじゃん。参考になんねーって」
そう言って珠綺は歯を見せて笑った。もう!マイキーもマイキーだけど、珠綺も珠綺だ。何で女の子なのに進んで喧嘩に行くかな?納得がいきません、と唇を尖らせると、珠綺は「んー」と少しだけ考える素振りを見せてカフェオレに口を付ける。
「第一さ、何度も言ってるけど私と万次郎はエマが憧れてるよーな関係じゃねーんだって」
「嘘!だっていっつも同じベッドで寝てるじゃん」
「それはアイツの部屋も私の家も、ベッド1つしか無いだけで……」
「それに、珠綺だってマイキーの事好きでしょ?」
立ち上がってテーブル越しに詰め寄る。珠綺はきょとんとした顔で何度か大きな目をぱちぱちとさせた。普段綺麗なのに、こういう顔は可愛いからホントに珠綺はずるい。……嘘。珠綺が可愛いのはずっと前から知ってる。こんなに口が悪いのにお化けとかが苦手で、コーヒーはミルクとお砂糖をいっぱい入れないと飲めないのも、強がってるけど1人が嫌いなのも、マイキーの前だと笑顔がキラキラしてるのも……全部、全部、とっても可愛い。
「……ん。大好き」
だから、いつか珠綺が本当のお姉ちゃんになってくれたらどんなに素敵だろう、っていつも思っちゃう。早く付き合っちゃえばいいのに。マイキー可哀そう。こんなに綺麗に笑う珠綺を見れないんだから。
「珠綺、初体験っていつ?最初ってやっぱ痛いの?」
「おいおい……ってか、どうして私が非処女だって決めつけてるワケ?」
「え、まさかまだなの!?」
「さー?どうでしょう?」
ウチの手から本を取り返した珠綺は、またおなじみの体勢で本を読み始めた。もう、ここからが肝心なのに!この前、クラスの女子達が「処女はめんどいって彼氏に言われた」なんて話してるのを聞いた。え、そうなの?小慣れた感のある大人女子の方がいいの?珠綺の意見を聞きたかったのに、何度身体を揺すっても彼女は生返事を返すだけでもう相談には乗ってくれる気は無いらしい。
「……あ」
「どうしたの?」
ぴたり、とページを捲る手が止まる。何事かと首を傾げると、珠綺は顔を上げてはっきりとした口調で言った。
「鮭が食べたい」
あ、ずっと食べたかったのね。
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