ある少年の回想

 マイキーが鮫山の顔面を陥没させてから数日が経ったある日の事だ。その日もオレは学校のチャイムが鳴ると同時に教室を飛び出し、マイキーと待ち合わせしている空き地へと急いでいた。マイキーとダチになった事で、オレは今まで以上に色んなヤツと喧嘩をするようになっていた。というのも鮫山の一件でオレとマイキーはこの界隈のブラックリストに入ってしまったらしく、オレらが吹っ掛けずとも自然と向こうから喧嘩を仕掛けてくるようになったのだ。勿論高校生相手の喧嘩は楽じゃ無かったが、相手が誰であろうとマイキーに敵うヤツなんていやしない。この時から、マイキーは無敵≠セった。
 今日はどんなヤツが仕掛けてくるんだろう。いい加減、オレも1人で高校生と渡り合えるようになりてぇ。そんな事を考えながら空き地に着くと、何やら周囲が騒がしい。何事とかと声のする方に近づいてみれば、そこには高い塀の上で足を組んで本を読むガキと、塀の下からソイツを見上げてギャーギャー野次を飛ばす中学生の姿があった。



「芹澤!降りてこいや!!」

「てめぇ、最近随分とデカいツラしてるらしーじゃねーか!」

「三小の頭だか何だか知らねーが、小学生ガキが調子に乗ってんじゃねーぞ!!」

「………」



 三小の芹澤=c…聞いた事がある。四小ではオレが、七小ではマイキーがそうであるように、オレらと同い年で三小のトップを張ってるヤツの名前だ。オーバーサイズのロンTにスポーツブランドのラインパンツを履いたソイツは、野次などまるで気にする様子も無く黙々と読書を続けている。襟足の短い黒髪に、マイキーよりも華奢な身体。残念ながら顔は俯いているせいでよく見えないが、どう考えても目の前のガキが三小の頭を張ってる人物とは思えなかった。辺りを見回してみるが、マイキーの姿はまだない。……仕方ない、オレが助けに行っててやるか。



「………」

「てめぇ……年上ナメんのもいい加減にしろよ!!」

「……っと…」



 ドサッ、と土埃を立てて芹澤の手から本が地面に落ちる。どうやら野次を飛ばしていた1人がその辺りに転がっていたビンを投げ付けたらしい。ギャハハ、と下品な笑いが響く中、それまでつむじを見せていた芹澤の頭がゆっくりと上がる。ようやく露わになった芹澤の顔は、喧嘩という言葉がまるで似合わないような整った顔をしていた。アイツが三小の頭?嘘だろ?いや、でもマイキーの例もあるしな……。オレが考え込んでいる間にも、中学生らは芹澤を挑発するように下品な言葉をかけていく。



「しっかし、ホント可愛い顔してんなぁ」

「オイ、小学生相手にキモイ事言ってんじゃねぇよ」

「そっから降りてきて泣いて土下座したら見逃してやってもいいぞー?」



 芹澤は落ちた本を見つめて動きを止めたまま。いよいよヤバいと思って助けに入ろうと足を踏み出した瞬間、芹澤がすくっとその場に立ち上がった。



「………っせぇ…」

「あ゛?何だって?」

「見下されてるみてーでムカつくな。さっさと降りてこ……ぶっ!!」



 塀から飛び降りた芹澤は、1番近くにいた男の前頭部を両足で蹴って着地を決め込む。顔面から地面に倒れこむ男の姿にその場に居た誰もが呆気にとられる中、芹澤は振り向きざまに別の男の腹に飛び蹴りを食らわし、間髪入れずに地面に手を付いて残りの1人の顎を両足で蹴り飛ばした。



「うっせぇっつってんだろ!!テメェらのせいでどこまで読んだか分かんなくなっちまったじゃねーか!!」



 口悪っ!!芹澤は腹蹴りした男に馬乗りになると、何度も顔面を殴りながら罵声を浴びせ始めた。



「あ゛ぁ!?土下座しろだぁ?テメェらがしろや!ミジンコ並みのちっせぇ脳みそにしっかり刻んどけ!今度また私の読書の邪魔したら次は殺すからなぁ!!」



 容赦なく拳を振り下ろす様に他の2人は顔面蒼白でブルブルと震えている。明らかに体格差のある小学生にタコ殴りにされて小便を漏らす中学生……何だよこの状況。



「悪ぃケンチン、遅れた」



 ぽん、と肩を叩かれてハッとする。振り返るとマイキーが「よっ!」と片手を上げて立っていた。



「今日は紹介したいヤツがいるんだよ。多分もう来てるとー…」



 マイキーはひょいっと身体を傾けて空き地を覗き込む。そしてすぐに形相を変えて走り出した。



「珠綺ーーーー!!」

「……ん?万次郎?……うわっ!!!」



 芹澤のとこへ駆け寄ったマイキーは、何を思ったか中学生に跨る芹澤の身体をドンっと突き飛ばす。当然、芹澤の身体はころん、と地面に転がった。



「っ痛ぇ……万次郎!何すんだよ!!」

「オマエこそ何してんだ!」

「何って……コイツらが私の読書の邪魔したから泡吹くまで殴ってやろうかと……」

「殴んのはいーけどその体勢はダメだ!!」

「はぁ?」



 もうどっからツッコんでいいのか分からねぇ……。マイキーと芹澤が周囲そっちのけで口喧嘩を始めると、芹澤によって漏れなく顔を変形させられた中学生らはここぞとばかりにそそくさと走り去って行った。



「だいたい、万次郎が来るのが遅ぇから絡まれたんだぞ?何だよ、こんなトコに呼び出して」



 ムッと眉を潜めた芹澤。マイキーは「あ、そうだった」と芹澤の背中を押してオレの前に連れてきた。



「この前話しただろ?四小のドラケンとダチになったって」

「……そうだったっけ?」

「珠綺ってホントに人の話聞いてねーよな」

「万次郎にだけは言われたくねーよ」



 フンっ、と鼻を鳴らして、芹澤のビー玉のような目がオレに向けられる。さっきの一件で芹澤がとんでもなく口が悪く喧嘩の強いヤツという事は分かったが、この顔を見ただけであの凶暴性を察知出来るヤツがどれくらいいるんだろうか。少しドギマギしていると、横からマイキーのむくれた顔が割り込んでくる。



「ケンチン、ダメだぞ。珠綺に惚れたら」

「ほ、惚れ……っ!?」

「珠綺はオレのだから」



 な?とマイキー。芹澤は「んー」とどちらとも言えない返事を返す。



「……その刺青…」

「え?」



 芹澤は少し考えるような素振りをして、じっとオレのコメカミを見つめる。暫くして、芹澤は「おおっ!」何かに納得するようにぽんっ、と手を叩き、ニッと笑った。



「うん。すっげーかっけぇじゃん」



 あ、笑うと可愛いかも……いやいや、無い無い。



「えーっと……芹澤、君?」

「ん?珠綺でいーよ、ドラケン」



 そう言って手を差し出してきた珠綺の手を握る。ちっせぇ手……この手がさっきまで中学生を殴っていたなんて信じらんねぇ。小柄ながら身体の使い方が上手い珠綺の喧嘩スキルに感動していると、しびれを切らした様子のマイキーがオレと珠綺を引き離して、最後に爆弾発言を投げた。



「ちなみに、珠綺は女だからな」



 ファミレスでお子様セットを頬張るマイキーと、その隣でオレンジジュースを飲みながらクロスワードパズルを解く珠綺。小5の時に知り合ってからもう4年が経とうとしているが、この2人の関係は相変わらずだ。変わった事と言えば、あの時はどっからどうみても男のようなナリをしていた珠綺が髪を伸ばして女らしくなった事くらいだろうか?出会った時からこの2人は口喧嘩が絶えないが(まぁ、オレとマイキーも同じようなもんか)、マイキーも珠綺もお互いに対して何かと甘い節があった。今もそうだ。お子様セットを完食して目を擦りだしたマイキーに対して、珠綺はさも当たり前のように膝を貸している。



「珠綺、マイキーを甘やかすなよ」

「……甘やかしてるつもりはねーし。むしろ、万次郎の為に旗持参してるドラケンのが甘やかしてんだろ」



 ガリガリとクロスワードパズルを埋めながら、珠綺は空いている片手でマイキーの頭を撫でている。だから、それが甘やかしてるって言ってんだよ。……そう、良くも悪くもこの2人の関係は相変わらず。エマがいつも文句を垂れてるが、こんなにいつも一緒にいる癖に本人達は「付き合ってない」の一点張りだ。



「この後行くんだろ?病院」

「ああ。抗争になる前に、マイキーには見せといた方がいいと思ってな」

「……うん、私もそれがいいと思う」



 ふわふわとマイキーの髪を撫でたまま、珠綺は困ったように笑う。



「悪ぃな、任せちまって」

「気にすんな。これも副総長の務めだ」

「……そっか」



 ふと見せた珠綺の表情に一瞬言葉が出なくなった。そんなオレに気付いたのか、珠綺は「ぷっ」といつもの吹き出し笑いをして「オイ、見ろよ」とマイキーに視線を落とす。言われるがままに珠綺の腕の中を覗き込むと、我らが総長は赤ん坊の様に珠綺の腹に顔を埋めて爆睡していた。おうおう、幸せそうな事で。



「オイ、マイキー!食ったらすぐ寝るのいい加減直せよ!!」

「うーん…もう食べられないよー…」

「うわっ、すっげぇ食い意地……」



 必死に珠綺に縋りつこうとする身体を引き剝がしてみたが、少しぐずるだけで一向に起きる気配が無い。赤ん坊の方が寝起きいいんじゃねぇか?……まぁ、期待はしていなかったけどな。



「会計とかはこっちでしとくから、気にせず行ってこいよ」



 仕方なくマイキーを背中におぶり、ひらひらと手を振る珠綺を置いてファミレスを後にする。マイキーは相変わらずイビキをかいたまま。はぁ……ウッセぇー……。



「んー…珠綺ー……」



 むにゃむにゃと寝言を言うマイキーに一瞬足が止まる。なぁ、マイキー。マイキーが珠綺の事をすげぇ大事にしてるのはオレもよく分かってる。だったらちゃんと捕まえておいてやれ。マイキーが隣りにいる時、珠綺は楽しそうに笑う。でも、だからこそマイキーは知らない。珠綺が自分の背中を見ている時、どんな顔してるのかを。