ある少女と彼氏の事情
放課後、塾が始まるまでの暇潰しにフラフラとウィンドウショッピングを楽しんでいると、コンビニに貼られていたポスターに目が止まった。8月3日、武蔵神社でお祭りが開催される日。クラスの友達も彼氏と行くって言ってたっけ。彼氏ー……頭に浮かんだタケミチ君の顔にボボッ、と顔が熱くなった。そうだよ、タケミチ君とヒナはもう彼氏と彼女の関係なんだもん。普通に誘っても全然おかしくないじゃん。
「ねえ、何見てんの?」
でも、前にタケミチ君に連れられて行った神社で会った可愛い女の子。えっと…確か、エマちゃんだったっけ?タケミチ君の事いくじなし君≠チて。随分と大人っぽい子だったし、タケミチ君ああいう子が好きなのかな?
「可愛いね、今暇?」
可愛いって言ったら、タケミチ君のお友達っていうマイキー君とドラケン君と仲良さそうにしてた黒髪の女の子、珠綺ちゃんも美人さんだったな。艶々とした黒髪と長いまつ毛が印象的だった。渋谷第二中学の制服だったよね、あのセーラー服。
「おーい、シカトしないでよー」
むー…。エマちゃんといい珠綺ちゃんといい、タケミチ君の周りって大人っぽい子多くない?それとも、ヒナが子供っぽいだけ?
「ちょっと!」
「え?」
ポスターを見ながら考え込んでいると、いつの間にか片手を掴まれていた。何?というか、誰?
「よーやく気付いてくれた。いや、君ホントに可愛いね」
「えーっと…誰、ですか?」
「あ、オレ怪しいヤツじゃないよ。ただ、君があまりに可愛すぎて、ちょっとお近付きになりたいなーって」
ヒナの手首を掴んだ男の人は、気持ちの悪い笑みを浮かべたまま尚も話しかけてくる。
「よかったらお茶しない?勿論奢るから」
「い、いえ……これから塾なので…」
「塾ー?わ、真面目!いいじゃん、1回くらいサボっても。ね、行こうよ」
どうしよう……。ちょっと怖い。マイキー君やドラケン君の方が怖いけど、あの人達はタケミチ君のお友達。千堂君達もあまり素行が良いとは言えないけど、話してみるとみんな優しい人達ばかりだ。でも、今目の前にいる人はどうだろう?全くの知らない人。タケミチ君、呼んだら助けに来てくれるかな?それとも、迷惑かな?何も言えず涙が出そうになっていると、ヒナの手を引く力が強くなる。どうしよう、どうしよう。
「オイ」
「え?」
「ヘッタクソなナンパしてんじゃねーよ。そのナリでナンパだぁ?整形外科行って出直してこい」
「……あ」
ヒナの肩に手を置いて男の人から引き離してくれたのは珠綺ちゃんだった。
「ひ、ひっどいなぁー……でも、お姉ちゃんもすっごく可愛いね。オレ、めっちゃラッキーかも」
「テメェに褒められても嬉しくねーよ。さっさとその手離して消えろや」
ま、前に神社で会った時も思ったけど、珠綺ちゃんってやっぱりちょっと言葉使いが乱暴…。珠綺ちゃんの物言いに、男の人の表情が少し強張った。
「可愛いからって何言っても許されると思ったら大間違いだぞ。オレ、そこそここの辺では顔が知られてると思うんだけど」
「ハッ、そんな汚ねぇツラのヤツなんてその辺にウヨウヨいるって。もう1度言うぞ?さっさと消えろブス」
珠綺ちゃん煽ってどうするの!オロオロしていると、男の人はヒナの手を離して今度は珠綺ちゃんの腕を掴む。それでも珠綺ちゃんは全く動じていないようで、ヒナの方を見て「ちょっとだけ離れててもらえる?」と笑った。
「マジで口悪いねー。可愛い顔してんのに勿体ないよ」
「可愛いとか美人って言われるのは聞き飽きてんだよ。あと、口が悪いって言われるのも聞き飽きた。お前、聞いた事ねぇの?口の悪い美人≠ノは気を付けろって。私、そこそここの辺じゃ顔知れてると思うんだけど」
「は?……ぐぅっ!!」
お腹を一蹴り。その衝撃で男の人はよろけながらも両手でお腹を押さえて蹲る。頭のてっぺんを見せた瞬間、珠綺ちゃんは駆け寄って高く振り上げた脚を容赦なくとの頭に振り下ろした。す、凄い!カンフー映画で見た主人公みたい!
「良かったなぁ、今日がネイルの予約日で。そうじゃなかったらテメェの顔、グチャグチャに整形してるとこだったわ」
コンビニ袋から取り出した豆乳飲料にストローを刺しながら、珠綺ちゃんはぴくりとも動かなくなった男の人の頭を何度か爪先で突いた。キューッと凹んだ紙パックがパコッと音を立てて元に戻る。その音でようやく我に返り、慌てて珠綺ちゃんに頭を下げた。
「あ、ありがとうございました!」
「ん?ああ、気にしなくていいよ。災難だったな」
珠綺ちゃんはニッと歯を見せて笑った。わ……っ!美人さんだけど、笑うとちょっと幼いかも。
「で、何見てたワケ?」
「え?」
「私コンビニの中から様子見てたんだけど、ずっと真剣な顔して何か見てたじゃん」
このブスが一生懸命話しかけてたのに、と再び足でツンツン。
「え、えぇっ!ずっと見てたんですか!?」
は、恥ずかしい……。ほっぺを押さえてあわあわしていると、珠綺ちゃんは更に可笑しそうに笑い声を上げた。
「んー?ああ、武蔵祭りね」
「は、はい……タケミチ君、一緒に行ってくれないかなぁって…」
「8月3日、ねぇ……」
珠綺ちゃんは暫く考える素振りを見せる。8月3日だと何かマズいのかな?
「んー……まぁ、タケミっちは東卍のメンバーじゃねぇしなぁ……うん、大丈夫じゃね?誘っても」
「え、そんな簡単に……」
「大丈夫だって!ヒナちゃんとタケミッチって付き合ってるんだろ?」
「あ……はい…」
うー…改めて言われるとなんか照れる。
「で、でも、最近のタケミチ君、なんか大人っぽいっていうかー…」
「んー?そうなの?」
「……この前も、エマちゃんと何かあったみたいだし」
「あー……」
自分で言って少し落ち込んだ。珠綺ちゃんは気まずそうに頬を指で掻いている。
「まぁタケミっちも悪いっちゃ悪いけど許してやってよ。エマも悪気は無かったんだ」
珠綺は苦笑気味に続ける。やっぱり珠綺ちゃんもエマちゃんと知り合いなんだ。
「エマは何つーか……頑張るベクトルが斜め上なんだよなぁ。この前のも、別にヒナちゃんからタケミっちを奪おうとしてやったワケじゃねーし。ちょっと気を引きたい相手がいただけなんだよ」
「気を引きたい、相手……?」
「多分ヒナちゃんと気が合うと思うけどなぁ」
良かったぁ……。エマちゃんがタケミチ君の事を好きじゃないって聞いて少しホッとした。ヒナがタケミチ君の事好きな気持ちは誰にも負けないつもりだけど、あんな可愛い子が相手じゃ少し気が滅入っちゃうもん。
「エマもあんなバカな事はもうしないだろうし、良かったら今度話し相手になってやってよ」
「わ、私が?」
「私だとエマの恋バナの相手になんないから」
ケータイ貸して?と手を出す珠綺ちゃん。反射的に慌てて自分の携帯をその手に乗せると、珠綺ちゃんはストローを咥えたまま自分の携帯をピコピコと操作し始めた。
「何か相談があったら連絡して。ヒナちゃんが良ければエマも紹介するし」
携帯の裏側を合わせて数秒、珠綺ちゃんの手からヒナの手に携帯が戻ってくる。成程、赤外線……。
「あ、それと……」
珠綺ちゃんはガサガサとコンビニ袋の中からどら焼きを取り出すと、ポンッと携帯の上にそれを置いた。
「今から塾なんだろ?それ、差し入れ」
「え!いや、悪いです!」
「頭使ったらお腹空くじゃん。休憩時間にでも食べてよ」
じゃ、私ネイルサロンあるから。と珠綺ちゃんはひらひらと手を振ってヒナの進む道とは反対の方へ歩いていく。もう一度頭を下げて、それから珠綺がくれたどら焼きと連絡先が増えた携帯を交互に見比べた。思わず「ふふ」と笑みが零れる。流石タケミチ君の知り合いだ。とっても素敵な人!
「う……うぅ……」
「あ……」
すっかり忘れてた。振り返ればヒナに声を掛けてきた男の人は未だに地面に倒れこんだまま。うーん……ちょっと可哀そうだから、コンビニの人に声かけておいてあげようかな。
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