ある少年とトンデモ人間
「オイ、どれにすんだよ?」
「急かすなよ。んー……ホッピングシャワー…いや、ロッキーロードも捨てがたいし久しぶりにストロベリーチーズケーキが食べたい気も…うーん………場地、3段にしてもいい?」
「いいワケねーだろ。1種類だけっつったの忘れたのか」
オレの言葉に珠綺はあからさまに顔を顰めた。暫くジトリ、とした目でオレを睨んでいたが、すぐに諦めてうんうんと唸り声を上げ始める。オイ、何でオレが悪いみたいになってんだよ。奢ってやるだけ感謝しろや。つーか、どうしてオレが珠綺にサーティーワン奢んなきゃなんねーんだよ。……思い出した。全ては千冬のせいだ。
長ったらしいホームルームの最中、ポケットに入れていた携帯が震えた。何かと確認してみると、送信者は珠綺=B何となく、ではなく確実に嫌な予感がした。
『補習課題の採点出たんだろ?』
あまりに急な文面に携帯を握る手に力が入る。
『何で知ってんだよ?』
『千冬に聞いた』
……千冬、マジでボコす。マイキー、三ツ谷を筆頭に珠綺に甘いヤツは多いが、千冬もそれに近いものがある。まぁ、アイツの場合は甘いって言うより逆らえないって言うのが正しいのかもしれないが。珠綺、中身はゴリラだけど見た目はいいからなぁ……中身はマジでゴリラだけど。オレが返信せずにいると、再び携帯が震える。
『場地にしては良い点だったみたいじゃん』
『まあな』
『お礼はサーティーワンでいいぞ』
『は?前にアイス奢っただろ』
『スーパーカップだったけどな。私はハーゲンダッツがいいっつっただろ』
それはオメェが「食べたい味が無い」って文句言ったからだろうが。アイツは一体どんな顔してこの文を打ってんだ?珠綺はマイキーの事をガキだガキだと言うが、オレからすればコイツも大概だ。むしろ、会ったばっかの時の方がまだ大人びてたんじゃねーかとも思う。
珠綺は昔っから何でも出来た。料理は……この際置いとくとして、勉強も、芸術も、スポーツも、何でも少し習っただけで人並み以上に出来ちまうトンデモ人間だった。初めて会った時もそう。真一郎君に連れられて道場に現れた黒髪の小柄なガキは、数日間通っただけで全ての形を覚え、半月も経たないうちに二回りもデカいヤツと組手が出来るまでに上達してしまった。
「芹澤、お前家でもこっそり練習してんじゃねぇの?」
「何でわざわざ家でも練習しなきゃいけねーんだよ。ここで教わるので十分だ」
肩で息をするオレに対して、珠綺は涼しい顔でそう言った。この頃のオレは珠綺のツンとした態度がかっけぇと思っていたが、今となってはよく分かる。珠綺のこの態度は、何に対しても無関心だった事の現れだった。やれば出来るっていうのはオレらからしてみれば羨ましい才能だが、そのせいで珠綺は何をしてても退屈そうだった。道場で先生に褒められても軽く頭を下げるだけだし、カバンからはみ出てた満点に近いテストの答案にすげぇと騒いでも「ふーん」と不思議そうな顔をするだけ。だからなのか、珠綺は1カ月もしないうちに道場を休むようになっていた。
「あれ?珠綺はどうした?」
「あ!真一郎君!!」
先生が居ない時間を狙って道場に顔を出した真一郎君は、オレの頭を軽く撫でてキョロキョロのと中を見回した。
「アイツ全然来ねぇんだよ。佐野といい芹澤といい、何で道場に通ってんのか意味わかんねぇ」
せっかくスゲェのに。そう言ったオレに真一郎君は苦笑いした。
「マンジローはともかくとして、珠綺はなぁ……。オレとしては、圭介やマンジローと組手すればいい方に成長すると思ったんだけど」
「オレぇ?オレなんかと組手しなくても、芹澤は上手いじゃん。形も綺麗だし、アイツもう道場に来る必要なくねぇ?」
「上手い、上手くないじゃねぇんだよ。珠綺に必要なのは。だから、圭介も頑張れよ。頑張って、珠綺を負かせてやってくれ」
「ん?んー……?」
オレには真一郎君が何を言ってるのかよく分からなかった。その日の帰り、道端でばったりと珠綺に会った。手に黒くて頑丈そうなカバンを持った珠綺は、オレの顔を見て小さく「あ」とだけ呟く。
「芹澤!何で道場来ねぇんだよ!」
「行く意味がねぇから。それと、今日はフルートの稽古だったし」
「ふ、フルート?」
珠綺は「ん」と頷いて手にしていたカバンを開いて見せた。カバンの中を覗き込むと、リコーダーとはちょっと違う、銀色でピカピカとした笛が入っている。
「これ、楽器?」
「そう。ま、でもこの習い事ももうすぐやめると思う」
「え?何でだよ?上手く吹けなかったのか?」
「逆。もう吹けるようになったから、これ以上やる意味無いかなってさ」
パチン、パチン、とカバンの留め具を締めて、珠綺はつまらなそうに言った。
「多分、そのうち道場もやめる。真一郎君に言われて始めたけど、やっぱ私には合わないわ」
「明日は一応顔出す。じゃ、またな」と淡々と話す珠綺に、オレは何も言い返せなかった。次の日、約束通りに珠綺は道場に現れた。やってくるなり早々に先生に大目玉を食らっていたが、珠綺は特に気にしていない様子。これに関しては今も変わらないが、珠綺は昔から図太い人間だった。
「……アイツ、誰?」
「え?」
オレに並んで突きの練習をしていた珠綺が、ふとある一点に目を止めた。珠綺の視線を辿ると、その先には大人相手に蹴りの練習をしているマイキーの姿がある。前蹴り、後ろ蹴り、横蹴り……ピンッと伸びた足と素早い動きはその日も冴えわたっていた。
「佐野だよ。先生の孫で、真一郎君の弟。……アレ?芹澤会った事無かった?」
「知らねぇ。あんなガキ見た事無い」
「あ゛?」
珠綺の言葉に反応したのは勿論マイキーだ。マイキーは蹴り出した右足をピタリと止め、ギロリと此方に目を光らせる。
「オレの事ガキっつたの、お前か?」
「は?ガキをガキっつって何が悪いんだよ」
いや、お前らどっちもガキだから。ついでにオレも。
「お前、今のオレの蹴り見ても何とも思わねぇの?お前なんか瞬殺だぜ?」
「別に、何とも。確かにお前は私より強いだろうけど、別にどうでもいいし。私は別に空手家になりてぇワケじゃねーもん」
「ああ、そっか。お前、オレと組手してボロボロに負けんのが嫌なんだろ」
「……あ゛?」
それまで淡々とした口調だった珠綺の口からえらく低い声が出た。珠綺がいかにも不機嫌と言わんばかりの顔で睨みつけると、マイキーは調子に乗って「ぷぷっ」と珠綺を指差して笑う。
「図星突かれてキレてんじゃねーよ」
「……キレてねーし。ガキっぽい煽り方に呆れてただけだ」
「あ゛ぁ!?」
「ハッ、怒り方もガキくさ」
今度は珠綺が見下すような顔をしてマイキーを鼻で笑う。珠綺がこんなにも感情を露わにしたのは初めての事だった。そりゃそうだ。マイキーのいない道場で、珠綺に敵うヤツなんていやしなかったんだから。珠綺の態度に腹を立てたマイキーは、珠綺の側頭部目掛けて足を振り上げる。珠綺は咄嗟に左手でガードし、マイキーの右足を受け止めた。
「……ほー…」
「テメェ……いきなりなにすんだよッ!」
マイキーの足を振り払い、珠綺の右の拳がマイキーの腹に打たれる。すぐさまマイキーは左足で地面を蹴り、一歩珠綺から距離を取った。マイキーが蹴りを止められるのも、珠綺が突きをかわされるのも見た事が無い光景だ。マイキーの前蹴りが珠綺の顎に当たったと思うと、横蹴りを払って珠綺の突きがマイキーの肩に当たる。これ、喧嘩だよな?止めるべきなんじゃ……と周囲を見回したが、肝心の先生は腕を組んで興味深そうにその光景を眺めている。いや、こんなの先生が止めなきゃ誰も止めらんねぇよ。
「ちょこまかと……うっとおしいなぁ!」
「おおー…これもかわすのか…っと!」
数分続いたマイキーと珠綺の組手だったが、終わる時はあっという間だった。低く体勢を構えたマイキーが珠綺の右足を蹴って払い、尻を突いた珠綺の腹を一突き。珠綺の身体はパタン、と床に倒れこんだ。
「す……すっげぇ!流石佐野!!」
「ふふん、まぁオレ様にかかればこんなもんよ」
鼻高々にタオルで顔を拭うマイキー。一方の珠綺はと言えば、大きな目を見開いて呆然と天井を見つめていた。そんな珠綺に近付き、マイキーはひょこっとその顔を覗き込む。
「え……、何だ、今の……?」
「お前、結構やるな」
オレには敵わねーけど。その一言に珠綺は我に返ってムッと眉間に皺を寄せる。
「何で上からなんだよ、お前」
「オレの方が強ぇから」
「もう1度相手しろ。次は私が勝つ」
「お前さっき自分でも言ってたじゃん。オレのが強ぇって」
「言ってない」
「言った」
組手をやめてしまった事で先生は完全に興味を無くしてしまったらしく、言い争いを始めた2人を放置して再び突きの練習をするようオレ達に指示を出した。
「お前、名前は?」
「……芹澤珠綺」
「珠綺…珠綺……よし、お前は今日からタマな!」
「何だよそのクソダサいあだ名!!!」
「オレの事は万次郎様でいいぞ」
「誰が呼ぶかクソチビ!!!」
「あ゛ぁ?」
「ンだやんのかテメェ」
「……先生、止めなくていいんですか?」
「放っとけ」
その後も暫く2人は口喧嘩を続けていたが、ふとマイキーが何かに気付いたように動きを止める。
「タマ、お前ー……」
「あ?何だよ」
「………」
何を思ったか、マイキーはじぃっと珠綺の下半身を見つめ、そうして躊躇なく股座を掴んだ。
「あ、やっぱちんこねぇや」
「あ?何当たり前の事言ってんだよ」
「はぁ?え、女……ってそうじゃねぇ!」
「ん?何慌ててんだよ?なぁ?」
「ああ……あ、言ってなかったか?私が女だって」
オレの頭はショート寸前だった。今まで散々敵わなかった芹澤珠綺は女で、その股座をマイキーは平然と掴んでいる。違うだろ?女子の反応って、そんなんじゃ無いはずだよな?クラスで女子がスカート捲れる度にキャーキャー言ってるけど、アレが普通の反応なんじゃねぇの?
「万次郎!!!」
「いってぇ!!!」
先生の拳骨がマイキーの頭に落ちる。ついでに珠綺にも。それを見てオレはホッとした。あ、オレの感覚は正しいんだなって。
隣を歩きながらご機嫌に鼻歌を歌う珠綺を見て溜息が出る。珠綺の手には2段積みのアイス。あー、オレも三ツ谷達の事言えねーじゃん。
「で、結局何頼んだんだよ?」
「ナッツトゥーユーとオレンジソルベ」
「その2つの名前、さっき言ってたか?」
「多分」
……そうか?全く聞き覚えねぇんだけど。珠綺は憎たらしいくらい良い笑顔でアイスを頬張る。マイキーに負けて以来、珠綺は道場をサボらなくなった。相変わらず退屈そうな時はあったが、マイキーと組手をしている時だけは凄く楽しそうで、オレはそれが少し悔しかった。だがある日、初めて組手で珠綺から一本を取ると、珠綺はあの日のように驚いた顔をして、嬉しそうに笑ったんだ。
「場地、もっかい!」
今オレと組手したらどっちが勝つだろうな……。オレって即答したい気持ちはあるが、なんせ珠綺はゴリラだ。人間がゴリラに勝てるか?ってか、ゴリラって実際どんくらい強いんだ?
「……場地、お前、なんか失礼な事考えてねぇ?」
「あ?ンな事考えてねぇし。……オイ、後ろ溶けかかってんぞ」
「え?うわっ!マジ!?……スモールサイズにしとくべきだったか…」
「は!?お前何勝手にデケェサイズ頼んでんだよ!2段にすんなら小せぇのにしろよ」
「サーティーワンでスモール頼むとか有り得ねぇだろ。ちゃんと全部食うから心配すんな」
「そういう問題じゃねぇんだよ」
コイツとこんな長い付き合いになるとは、あの頃のオレは思ってもいなかっただろう。何だかんだ言って、珠綺とつるむのは楽しかったし、何よりマイキーが珠綺を離そうとしなかったのが1番の理由かもしれねぇ。……だから、マイキーが珠綺を東卍に入れねぇと言い出した時は驚いた。珠綺が顔に傷作る度文句を言ってた三ツ谷ならともかく、マイキーは率先して珠綺を喧嘩に連れ回してたっていうのに。
ブブッ…ブブッ…
携帯のバイブ音が響く。オレのポケットからは振動を感じないから、多分珠綺のだろう。
「珠綺、鳴ってんぞ」
「今無理。場地、代わりに出て」
アイスと格闘中の珠綺は、「ん」と肩から下げてたカバンをオレに突き出す。出ろって言うけど、相手誰かも分かんねーのによくそれ言ったな。教科書、財布、ハンカチとかき分けて振動源を取り出すと、サブディスプレイには龍宮寺堅≠フ文字。珠綺は携帯の名前登録をフルネームにするタイプらしい。
「オウ、何か用か?」
『あ?場地か』
「おお、珠綺がちょっと手ぇ離せなくてな……何かあったのか?」
オレがそう尋ねると、ドラケンは少し間を置いて耳を疑うような事を口にした。
『パーが逮捕された』
「はぁ!?」
「ん?どした?ってか、誰から?」
暫く無言でドラケンの話を聞いて、そのまま首を傾げる珠綺に携帯を返す。珠綺は訳が分からないといった顔をしていたが、オレの表情でただ事では無いと察したのかアイスとの格闘を中断した。
「……で、理由は?……うん…うん………そっか…」
ポタポタ、と珠綺の手からオレンジとクリーム色の液体が滴り落ちる。
「……万次郎はどうしてる?…あー…うん。分かった。そうするわ。……ん、電話ありがと」
携帯を閉じるなり、珠綺はひとくちアイスを齧って言った。
「悪ぃ、今日はもう帰るわ」
詳しい話は聞けなかったが、どうやら予定よりも早く愛美愛主が乗り込んできて、突如起こった抗争の中でパーが愛美愛主の長内の腹をナイフで刺したとの事だ。せめてもの救いは、パーが自分の意志で逮捕されたって事だろうか。やった事は褒められたモンじゃねぇが、全てはパーの決めた事だ。オレらがどうこう言える問題じゃねぇ。
「送ってくか?」
「いや、いいよ。こっからウチまでだったら、歩いてすぐだし」
珠綺は携帯を持つ手で頭を押さえながら、再びがぶり、とオレンジ色にがぶりつく。
「じゃ、また集会で。……あ、アイスご馳走さん!」
「オウ」
コーンの底がふやけきっちまったのか、珠綺が歩く度に道路には点々とアイスの染みが続いていく。珠綺は道路や自分の手が汚れている事にも気付いていない様子で携帯をいじりはじめた。
「珠綺!」
「ん?」
「マイキー頼むな」
珠綺はきょとん、として、それから困ったように笑った。残りのアイスをコーンごと口に入れて、空いた手でひらひらとオレに手を振る。珠綺に任せっ放しになるのは流石に気が引けるが、これが得策には違いなかった。きっと、今日の集会は中止だ。総長のマイキーは顔を出さねぇだろうし、三番隊の隊長だったパーは逮捕されちまった。仕方ねぇからオレの隊だけでも集めて今日の事を報告するか。そう思って携帯を取り出すと、通知が1件。
『スンマセン場地さん。珠綺さんに場地さんが補習で64点取ったって報告しちまいました』
……点数まで話してたのか、あのバカ。オレが電話をかけると、千冬は少し怯えた声で電話に出た。お前を怒鳴るのは後回しだ。今から大事な話すっから、副隊長としてよく聞いとけ。
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