ある少女の懸念材料

『珠綺、落ち着いて聞けよ』



 ドラケンからの連絡を受けて、2段アイスに浮かれきっていた私の気分は急降下した。今日は確か、東卍が拠点にしている工場跡地で愛美愛主≠ニの抗争に向けた集会をするって言っていたはず。集会って言っても、呼ばれているのは総長の万次郎と副総長のドラケンを除けば参番隊隊長のパーと、副隊長のぺーやんのみ。今回の抗争の発起人がパーだから、別に何も可笑しい事は無かった。



『パーが愛美愛主≠フ長内を刺して逮捕された』



 ……成程、場地の表情が強張ったのはこれが理由か。妙に冷静な自分の思考に驚きつつ、そのままドラケンから事の経緯を聞かされた。抗争の予定日を待たずに大勢で奇襲をしかけてきた愛美愛主≠セったが相手が悪かった。総長の長内はそこそこの実力者らしいが、無敵のマイキー≠ノは到底敵わなかったらしい。パーをボコして意気揚々としていた長内だったが、いざ万次郎と対峙すると秒で地に伏してしまったとか。みみっちい作戦も虚しく、あっという間に総長を叩かれた愛美愛主は戦意喪失。それで全てが丸く収まれば良かったのに。



『パーは最初から長内を刺すつもりだったんだろうよ。パーが長内刺したのはオレらの責任だ。アイツがそこまで思い詰めてたなんて、オレらは誰も気付いてやれなかったんだから』



 パーらしくない行動だ。アイツは確かに単純でミジンコ並みの脳みそしか持ち合わせてないが、暴力と喧嘩の違いは分かるバカだったはずだ。未だ九九もまともに言えないし、メールの変換も誤字ばっか。でも、そんなパーだから私らはアイツが大好きだったんだ。例え愛美愛主がクソでも、長内が救いようのないクズでも、やって良い事と悪い事の分別はつくだろうに。……いや、ドラケンの言う通り、確かにパーはその判断も出来なくなるくらい追い詰められてたのかもしれねぇな。



『けど、どんな理由があってもパーのした事は許されねぇ事だ。オレは自首するって言ったアイツの意志を尊重してやりてぇ』



 けど……、とドラケンは少し間を置いて続ける。けど、万次郎はドラケンの意見には反対だったらしい。まぁ、アイツらしいっちゃらしい。東卍は万次郎の全てだ。「東卍はオレのモノ」と公言してるアイツは、チームのメンバー……しかも創設時からの付き合いであるパーがいなくなる事が許せなかったんだろう。



「万次郎はどうしてる?」

『知らねぇ。さっき掴み合いの喧嘩になったけど、オレと言い争っても埒が明かねぇって1人でどっかいっちまった』




 もしかしたら珠綺に連絡があるかもしれねぇから、そろそろ切った方が良いかもしれねぇ。そう言ってドラケンは電話を切った。予定よりも早く場地と解散した私は、家に帰るなり汗とアイスでベタベタになった身体に嫌気がさして風呂へ直行する。ポイッ、ポイッと下着を洗濯機に投げ入れて頭からシャワーを被る。
 ドラケンや場地は何か勘違いしてる。アイツらは揃って私が万次郎を何とか出来るみたく思ってるが、それは買い被りすぎだ。その証拠に場地と別れてから十数分間、私の携帯は音を発する事も震える事もしなかった。結局のところ、私は部外者なのだ。だって、私は東卍のメンバーでも無ければアイツの親族でも無いし、恋人と呼べる関係でも無い。私がこうでありたいと望んだ関係なのに、今回のような事が起こる度に名前の無い関係に寂しさを感じる。……ホント、救いようがねぇな。



「………遅ぇ」

「いや、いつ来たんだよ」



 風呂から上がってリビングに行くと、我が物顔でソファを独占してる万次郎の姿があった。万次郎には合鍵を渡してるから、我が家に好きに出入りしている事に対しては全く不思議に思わない。ドラケンと喧嘩したって言うからどこかのタイミングで何らかの連絡はあると思っていたが、にしても随分と早くにやって来たもんだ。




「オラ、どっちかに詰めろよ。座れねーだろうが」

「………ん」



 ポンッ、と胡坐をかいた自分の膝を叩く万次郎。



「いや、詰めろって」

「だから、んっ!」



 再び膝をポンッ、と叩く。ああ、もう!



 こうなった万次郎はとてつもなくメンドクサイ。いつだったか無視して床に座った事があったが、雑誌を読むにしてもテレビを見るにしても全てに於いて邪魔をしてくるせいで何も手に付かなかった。



「………はぁ〜」



 渋々指示されたトコに腰掛けると、尻が付く前に万次郎の腕が私の腹に巻き付く。カエルみたいな声が出なくてホントに良かった。



「……オイ、髪濡れたまんまなんだから万次郎も濡れるぞ」

「んー……」

「飯どうする?なんか出前でも取る?」

「……んー…」

「……オイ、乳揉むな」



 フニフニと胸を掴む手の甲を摘めば、次は首に顎が乗せられた。それ、地味に痛ぇんだけど。そうは思いつつ、先の一件を知ってしまったが故に拒絶する事も出来ず。



「珠綺さー…」

「何だよ」

「ケンチンから電話もらっただろ」



 一瞬反応に遅れた。しまった。一言でも返すべきだった。それを肯定と取ったのか、万次郎はぽつり、ぽつりと話し始める。



「ケンチンと喧嘩した」

「……うん、ドラケンに聞いた」

「何でパーを見捨てたんだってキレたら、逆にキレられた。『パーの意志はどうなるんだ』って」



 万次郎の腕の力が強くなる。流石に苦しいと身体を捩ると、少しだけその力が和らいだ。万次郎だってドラケンの言う事が正しいのは分かってるんだろう。パーは誰に言われた訳でも無く自分から自首すると言ったんだろ?その意志を尊重したい気持ちも少なからずはあるはずだ。けど、それよりも万次郎の場合は執着心が勝っている。例えばお子様セットの旗、例えばボロボロのタオル、例えば……真一郎君の面影。



「オレは、それが間違っていたとしてもパーに東卍にいてほしいって思った。金でパーを出所出来るならそれでも良いって思った」

「は……?金?出所?万次郎、お前、一体何言って……」

「珠綺」



 肩から万次郎の顔が離れて背中にその熱が移る。いくら緩くなったとは言っても万次郎の腕を振り解くだけの力は私には無い。万次郎の身体が僅かに震えてる事に気が付きながらも、私は抱きしめてやることすら出来なかった。



「珠綺は、オレを置いていなくなるなよ」

「……何言ってんだよ、お前は」



 いなくなるわけねぇだろ。そう返すのに一瞬躊躇いが生じた事が感付かれていない事を願う。
 万次郎、一つだけ間違ってる事がある。もしいつかの未来、万次郎の隣りに私がいないのだとしたらそれは私が離れたんじゃない。万次郎が私から離れるんだ。万次郎の足枷にはなりたくねぇけど、いつか来るかもしれないその未来が私はそれが怖くてたまらない。万次郎、私はこんなにも無力だ。それでも、叶うのならずっとお前の隣りに居たいと思うよ。