ある少年の大切なコ

 夕飯の支度でもするか。そう思った矢先にやって来た珠綺はスーツケースにガーメントバッグ、背中にサコッシュとえらく大量の荷物を抱えていた。まぁ、事が事なだけに仕方が無い。置き場も無いのでとりあえずオレの部屋に押し込むが、スペースの半分以上を持っていかれてしまった。



「何も今日行かなくてもいいんじゃねぇか?法要自体は明後日だろ?」



 そう言うと、珠綺はスーツケースを漁りながら答える。



「そうも言ってらんねーよ。一応私が喪主なんだし、坊さんや祭場とも全然打ち合わせ出来てねーんだから」



 明後日、8月3日は珠綺の母親の三回忌だ。オレと珠綺は幼馴染と言える仲だが、珠綺の母親とは数回しか会った事がない。しかも珠綺の両親はコイツが8歳の時に離婚してるから、お袋さんに関するオレの記憶もその時で止まったまま。覚えてる事なんて殆ど無いのだが、珠綺とは全然似ていなかった事だけははっきりと覚えている。珠綺は親父さん似で、お袋さんに似ていたのは珠綺の姉貴の方だった。



慈綺いつきさんは?」

「姉さんはまだ留学から帰ってこれねーって。今大事な時だし、邪魔したくねぇ」

「そうは言っても、葬式も一周忌にすら出てねぇんだろ?今回は流石に呼んだ方が……」

「いいんだよ。姉さんはあんな面倒な集まりに行かなくて。今更出て見ろ。それこそどやかく言われちまう」



 慈綺さん。オレらとは6つ離れた大学生で、オレらが中学に入るとほぼ同時に語学留学とやらでアメリカに行っちまった珠綺の姉貴だ。男勝りで口の汚い珠綺とはこれまた対照的で、慈綺さんは物腰柔らかでいつもニコニコしてる人だった。珠綺の両親が離婚して、珠綺は親父さんに、慈綺さんはお袋さんにそれぞれ引き取られたが、昔から重度のシスコンだった珠綺はちょくちょく慈綺さんに会いに行っていた。



「珠綺、何だよそのクリーム」

「いいだろ!ハンドクリーム。姉さんがくれたんだ」



 ある日、女らしい物に全く興味を示さなかった珠綺が小学校にハンドクリームを持って来た事があった。別にどっかのブランド物でもなく、薬局で売ってる普通のハンドクリームだったけど、珠綺は休み時間の間熱心にソレを眺めていた。満面の笑みでオレにハンドクリームを見せびらかして、珠綺は嬉しそうに口を開く。



「姉さんがさ、『珠綺はせっかく綺麗な手をしてるんだから、傷付けちゃダメよ』って。だから決めたんだ。私、今後喧嘩でぜってぇ手は使わねぇ」



 蹴りだけで相手を潰せるよう頑張る!そう高らかに宣言した珠綺。何つーか、今思えばツッコミどころしかない。慈綺さんの言葉の真意は「喧嘩するな」って事だったんだろう。言葉の意味を完全にはき違えている。けどその宣言以降、コイツは本当に喧嘩で拳を振るわなくなった。最初はそれこそ苦戦していたみたいだが、元々習っていた空手に加えて見よう見まねで体操やテコンドーも齧るようになり、数カ月も経てば足技だけで十数人を軽く相手出来るまでに成長していた。我が幼馴染ながらホント末恐ろしいヤツだ。珠綺が今でも手のケアやネイルを欠かさないのは、慈綺さんが褒めてくれた綺麗な手≠保つため。今も昔も、慈綺さんが珠綺にとっての全てだった。



「あ、そうだ。コレ、三ツ谷ンちにもおすそ分けな」

「何だコレ?」



 スーツケースの中身を整理してた珠綺は、何かが入ったビニール袋をオレに寄越した。中身は見た事も無い店の名前が書かれた……ゼリー?



「だからおすそ分けだって。今日の昼にタケミっちの見舞いに行ってきたんだよ。そのついで」

「ついでって……こんな高そうなの貰えねぇよ」

「貰っとけって。理由が欲しいって言うならー……そうだな、今まで借りパクしてたスウェットの延滞料って事で」



 ほい、と次にスーツケースから出てきたのは、数カ月見当たらなかったオレの部屋着達。1、2、3……オイ、貸してたのは5着だけって思ってたけどもっとあんじゃねぇか。



「こんな時じゃねぇと持ってこれねーからな。全部返す」

「当たり前だろ。……このTシャツ、いつ持ってったんだよ…」



 はぁ……。溜息を吐くオレに、珠綺は「だからお詫び、な?」と両手を合わせて上目遣い。これがオレ以外の男だったらコロッと騙されるんだろうが、生憎オレはコイツの顔には見慣れちまってんだ。今更ドキッとなんてするか。



「……今回だけだからな」

「さっすが三ツ谷!話が分かる!」



 こういうトコがドラケンや場地に「甘い」って言われるんだろうな。



「そういえば、マイキーの様子はどうだ?弐番隊ウチの隊でもマイキー派≠セドラケン派≠セ意見が分かれて面倒な事になってんだけど」

「ああ、それならもう大丈夫だ。タケミっちが解決してくれた」

「あ?タケミっち?」



 タケミっち……愛美愛主≠ニの抗争について集まった時にマイキーが呼んだっていう、金髪の学ランの男。そういやさっき、見舞いに行ったとか言ってたな。特別ガタイが良いワケでもねぇし、パーちんやぺーやんに凄まれてビビッてたアイツが、オレやスマイリーでも止めきれなかったマイキーとドラケンの喧嘩を解決したっていうのか?



「さっき万次郎からメール来たけど、『ケンチンと仲直りした』って来てたから間違いないと思うぞ」

「一体どんな手を使ったんだよ……」

「んー……ま、今回はタケミっちだったから良かったんだよ。タケミっちは部外者で、東卍に対してもパーに対しても私怨なんてねーからな。誰が正しい、誰が間違ってるって人の意見に左右されずに自分の意見だけをまっすぐにぶつけられる。私や東卍のヤツらじゃ出来ねぇ事だ」



 確かに珠綺の言う事は一理ある。そもそも、今回のマイキーとドラケンの喧嘩が収集付かなかった原因はトップ2人の意見が真逆だった事にある。弐番隊内でも意見が割れちまったように、個々でそれぞれを支援するヤツらが出たせいで東卍内の分裂化が加速していった。喧嘩を止めようとしても、結局のところ自分と同意見の方を庇っちまってもう片方を逆上させる。これじゃ喧嘩なんて止められるはずもねぇ。



「それなら、珠綺だって東卍じゃねーんだから出来るだろ」

「私じゃダメだ。私は、万次郎を止めらんねぇ」



 例え、万次郎が間違っていたとしてもな。そう言った珠綺の表情は見えなかった。オレは時々怖くなる。珠綺がマイキーに向ける感情は、慈綺さんに向けている感情によく似てる気がしているからだ。
 珠綺だって気付いてるはずだ。お前は芹澤で、慈綺さんはお袋さんの瀧谷≠名乗ってる。歳も慈綺さんの方が上だし、本当なら喪主を務めるのは慈綺さんのはずだろ?いくら慈綺さんが留学中だからって、本当なら意地でも慈綺さんに連絡を取って帰国させるべきなんだ。でも、珠綺はそれをしようとしない。何んでかって?そんなの簡単だ。珠綺は慈綺さんに嫌われるのが怖いんだよ。



「三ツ谷、私はよくわかんねーんだ。好きだから守りたいって思う。好きだから邪魔したくないって思う。それっていけない事なのかなぁ……?」



 昔っから珠綺を見てきたオレには、頭のいいはずの珠綺がどうしてそんな事を疑問視するのか痛いほどよく分かる。だって、オレはずっと隣で珠綺を見て来たんだから。コイツが泣いてるのも、怒ってるのも、笑ってるのも、誰よりも見てきたのはオレだから。悪ぃけど、こればかりはマイキーに譲ってやれねぇ。



「いけねー事じゃねぇよ。珠綺がどうしたいかは珠綺が自分で決めればいい。でもな、絶対後悔するような事はするな。オマエの為にも、オマエの事が好きなヤツの為にも」

「……もし私が判断を間違えたら、三ツ谷は怒ってくれるか?」



 振り向いた珠綺は泣きそうな顔をしていた。オレは珠綺の頭を乱暴に撫でまわして答える。



「怒るだけで済ませるかバカ。そん時は引っ捕まえてぶん殴りに行ってやるから安心しろ」



 オレの言葉に、甘え下手な幼馴染は「怖ぇな」と肩をすくめて笑った。