ある青年が起こした竜巻

 ザァザァと止まない雨に、倒れるキヨマサ君。フラフラのオレの隣りには血を流し過ぎて座り込んだドラケン君がいて、オレらを庇うようにアッくん達がレッド君らに応戦してくれている。キヨマサ君に刺された左手の感覚はもう無いし、アッくん達もドラケン君ももう限界だ。精一杯やったのに。アッくんの人生も、ドラケン君の人生も、ヒナの人生も、結局オレにどうにかする事なんて出来ないんだ。



「ホント、お前はいつ見てもボロボロだな、タケミっち」

「……え?」



 ヒナもエマちゃんもいないこの場に、こんな高い声を出す人間はいなかったはずだ。動かない身体をなんとかひねると、グレーのパーカーをビショビショに濡らした黒髪の女の子が突っ立っている。



「ま、タケミっちにしては100点満点ってトコか」

「え、珠綺ちゃん……?」



 愛美愛主との抗争は止めたはずだった。内部抗争で刺殺されたというドラケン君のピンチは回避したはずだった。だけど、蓋を開けてみたらどうだ?8月3日に起こるとされていた暴走族チーム同士の抗争は、歴史が改変されて全く別の抗争に変わってしまった。珠綺ちゃんが東卍の隊長らを連れて来てくれた事にホッとしたのも束の間、結局ドラケン君はキヨマサ君に腹を刺されて重傷。もうオレには何が何だかわからねぇ。



「オイ、ドラケン、生きてるか?」

「……勝手に殺すんじゃねーよ」

「ハッ、減らず口叩けるなら心配いらねーな」



 死ぬんじゃねぇぞ。そう言って珠綺ちゃんはアッくん達に近付いていく。



「ちょ……、珠綺ちゃん、ダメだ…!」

「…ハァ……タケミっち、そりゃどっちに対する心配だ?」

「どっちって……珠綺ちゃんは女の子なんスよ!?」



 オレの言葉にドラケン君はニヤリと笑う。



「女の子ぉ?そんなの、この場にはどこにもいねぇよ」



 ドラケン君が言い終わる瞬間、珠綺ちゃんが飛んだ。



「オイそこの赤頭!伏せろ!」

「え、珠綺ちゃん!?……うぉっ!」

「ブッ……!!」



 アッくんと対峙していたレッド君の顔面に珠綺ちゃんの靴裏がめり込む。その勢いでレッド君の身体が吹っ飛ぶと、珠綺ちゃんはくるりと前宙して今度は山岸に掴みかかっていたヤツの後頭部に回し蹴りを食らわせた。



「つ、強ぇ……」

「だから前にも言っただろ…珠綺アイツの強さには東卍オレらの隊長格でも手を焼くって…」



 前にマイキー君達がオレの学校に乗り込んできた時、校門で珠綺ちゃんが学校の先輩らをボコボコにしていた時があった。あの時は珠綺ちゃんが来る前にマイキー君やドラケン君がある程度先輩らを痛めつけていたのかとも思ったけど、どうやら全くの見当違いだったらしい。



「な、何だよこの女……うお゛ッ…!」

「黙ってろ。こっちは急いでんだ」



 タクヤに蹴りを入れていた男が足払いされて顔面から地面に倒れ込む。最後の1人、マコトの首を絞め上げていたヤツの脳天に踵を落として珠綺ちゃんは軽やかに着地をした。



「……ふぅ、今日はタケミっちもそのダチも参戦してたからな。場外乱闘って事で誰にも文句言われねーだろ」



 振り向いてニッと歯を見せる珠綺ちゃんの姿に張りつめていた緊張が解けて膝が崩れ落ちた。遠くから救急車とパトカーのサイレンが聞こえる。良かった……助かったんだ。



「うっ……サツだ…!」

「バックレんぞ!」

「キヨマサ君は!?」

「ほっとけ!!」



 流石にドラケン君やオレの刺し傷があるので向こうには分が悪いようで、レッド君達は慌てて逃げていく。ホッと息を撫で下ろすと、カンカンと下駄の音が近付いてくる。



「タケミチ君、救急車とパトカー呼んだよ!」

「珠綺!!」



 どうやらその場から離れていたヒナとエマちゃんが警察と病院に電話をしてくれていたらしい。ありがとな、溝中五人衆。ありがとう、ヒナ、エマちゃん。助かったよ、珠綺ちゃん。



「ボサッとしてないで、ドラケンに手を貸してやってくれ」

「は、はいっ!」



 珠綺ちゃんとアッくんに担がれて、ドラケン君が救急車に乗せられた。手を刃物で刺されたオレもケガ人って事で、勧められるがままに同乗する。



「タケミっち、私らもすぐ後を追うからドラケンを頼むな」

「う、ウッス!」



 泣きじゃくるエマちゃんの頭を撫でて、珠綺ちゃんが笑顔で片手を上げる。僅かに指が震えてる……そう思った瞬間にハッチバックが下げられてしまった。病院までの道中、息が荒くなるドラケン君を前にオレは神に祈る事しか出来ない。大丈夫…大丈夫……だって…!オレの脳内に過ったのは、渋谷駅の近くで初めて出会ったあの日、キラキラとしたネイルを見せびらかしながら笑う珠綺ちゃんの姿だった。





* * *





 心肺停止の状態で緊急手術に入ったドラケン君。後から来たヒナにエマちゃん、アッくん達……それから三ツ谷君とペーやん君はみんな落ち着かない様子で待合室をウロウロしている。



「タケミっち」



 その中で、最後に現れたマイキー君だけはとても落ち着いていた。ヒナに泣きつくエマちゃん、思いつめた表情のペーやん君、焦った顔の三ツ谷君を「うるせぇ」と一喝してどっかりと長椅子に腰掛ける。



「昔っから言った事は絶ッ対ェ守る奴なんだ。こんなトコでくたばんねぇよ。そんな不義理、絶ッ対ェしねぇ。アイツ、オレと天下獲るって約束したからな」



 だからケンチンを信じろ。そう力強く断言したマイキー君はやっぱり強ぇと思った。そうだ、オレらがテンパってどうすんだ。



「……あの、マイキー君」

「ん?」

「その、珠綺ちゃんは……?」



 そう、この場には何故か珠綺ちゃんがいない。「後を追う」って手を振ってくれたのに。辺りを見回すオレに、マイキー君は歯を見せて笑った。



「珠綺の事は心配すんな。他の奴らと一緒に外で待ってるよ」



 あんま大勢で押しかけちゃ迷惑だろ?そう言ったマイキー君の言葉は最もだったけど、どうも釈然としない。救急車が発車する間際、指を震わせていた珠綺ちゃんだってドラケン君の事が心配なはずなのに。
 30分、1時間と時間は過ぎていく。マイキー君のお陰で落ち着きを取り戻したオレらは、じっとその場に留まりながら赤く光り続けるランプが消えるのをひたすら待った。2時間近く経った時、ようやくランプが消えた。



「手術が、終わった……」



 オレの心臓はドクドクと鳴りっぱなしだ。大丈夫だ、大丈夫だよ。だって、だってー……。



「……一命はとりとめました」

「へ?」

「手術は、成功です」



 その言葉を聞いて、その場に居た全員が歓声を上げた。オレもたまらず両手でガッツポーズを作る。ナオトが言っていたドラケン君が死ぬ日は8月3日……そして、気が付けば今の日付は8月4日。良かった、ドラケン君が死ぬ8月3日をを回避出来たんだ。



「……あ、なぁナオト」



 あれは2週間前、まだパーちんが長内を刺す前に2017年現在に戻った時の事だった。



「珠綺ちゃんって今何やってるか分かる?」

「は?珠綺ちゃん=c…?」

「芹澤珠綺ちゃんだよ。マイキー君やドラケン君と仲良かった……もしかして知らねぇ?」



 マイキー君は半グレ集団となった東卍のトップになっていて、ドラケン君が2005年の8月3日に刺殺された未来。ずっと疑問だった事をナオトに聞いてみた。アッくんはドラケン君が死んでからマイキー君が変わったって言っていた。じゃあ、珠綺ちゃんは?もしドラケン君が死んでしまったとしても、珠綺ちゃんがいたらマイキー君を止めてくれていたんじゃないかと思ったんだ。



「……勿論知っていますよ。佐野万次郎に関する事はとことん調べましたから。でも…何故芹澤珠綺なんです?瀧谷慈綺ではなく」

「え?瀧谷…慈綺?」



 聞いた事も無い名前に思わず間抜けな声が出た。誰だ、その人。



「瀧谷慈綺は今タケミチ君が口にした芹澤珠綺の実の姉です。両親が離婚して苗字が変わったようですが」

「へー……珠綺ちゃんって姉ちゃんいたんだ。……でも、それこそ何でその慈綺さんなんだよ?マイキー君と仲良かったのは珠綺ちゃんだぞ?」



 オレが質問すると、ナオトは不思議そうに首を傾げた。



「僕からするとどうしてタケミチ君が芹澤珠綺と知り合いなのかさっぱり……。確かに芹澤珠綺と佐野万次郎はとても仲が良かったようですがー……」



 芹澤珠綺は2005年の7月4日、渋谷駅付近で暴走バイクの事故に巻き込まれて重症を負い、そのまま脳死判定が出されて2010年に死亡したんですよ。



「……え?」



 ナオトが言った言葉を理解するのに数秒かかった。



「珠綺ちゃんが……死んでいた…?」



 2005年の7月4日……それはオレが初めてタイムリープした日。そして、オレが初めて珠綺ちゃんと出会った日。思い返すと記憶にあるのは別れ際にひらひらと手を振る珠綺ちゃんと、ブォンと遠くで響いたバイクの音……。



「……オレが珠綺ちゃんにぶつかったから…未来が変わったんだ」

「何ですって?」



 あの日、珠綺ちゃんは「ネイルサロンに行くつもりだった」って言っていた。オレとぶつかって間に合わなくなったから諦めたって。でももし、あの時オレとぶつからずにネイルサロンに行っていたとしたら……。



「ナオト!珠綺ちゃんの未来が変わったはずだ!珠綺ちゃんは2005年7月4日に死んでなんかいない!オレが戻ってくるまでに珠綺ちゃんが今どうしてるか、もう1度調べてくれ!!」



 そう、今オレがいる2005年世界では珠綺ちゃんは生きている。オレが珠綺ちゃんが死ぬ過去を変えた。だから、きっとドラケン君も助けられる……救急車の中でそう信じる事にしたんだ。次に2017年に戻った時、きっとヒナも、アッくんも、ドラケン君も、珠綺ちゃんも…みんな生きているはずだって。
 病院から出たオレは、肩を組んで談話する特服の中に2つの人影が無い事に気が付いた。1つは病院に来た時から一向に姿の見えない珠綺ちゃん。もう1つはさっきまで一緒に居たはずのマイキー君。



「あれ?おっかしいなぁ……どこ行ったんだ?」



 病院の敷地内を探していると、賑わうエントランスから大分離れた所で壁にもたれかかる2人の姿を見つけた。なんだ、やっぱり珠綺ちゃんも来てたんだ。



「マイ―……」



 声をかけようとした瞬間、マイキー君の身体がズルズルと地面に崩れていった。小さく息を吐いて、珠綺ちゃんがマイキー君の前にしゃがみ込む。そのまま優しく両手でマイキー君の顔を包み込み、こつん、とおでこを合わせた。



「………よかった…っ……」



 小さく掠れるような声だ。珠綺ちゃんがマイキー君の頬から手を離してそのまま彼の頭を抱きしめると、今度はマイキー君の腕が珠綺ちゃんの背中に回る。



「よかった……ケンチン…」

「…ん」



 そうだ…どんなに喧嘩が強くても、マイキー君も珠綺ちゃんもまだ中学生なんだ。気丈にみんなを励ましていたけど、マイキー君も珠綺ちゃんも精一杯明るく振る舞っていただけ。内部抗争が起きて、ドラケン君が刺されて、1番辛かったのはマイキー君だったんだ。



「…心配かけさせやがって……」

「……ん」



 マイキー君の頭に顔を埋めた珠綺ちゃんの肩も震えてる。良かった、本当に良かった。



 これで、きっと2017年未来は変えられる。