ある少年の葛藤

 夕飯を食べ終わってペケJとだべっていると場地さんに呼び出された。何でも珠綺さんから電話があったらしく、何やら焦った様子で「抗争は終わってなかった」「ドラケンが狙われてる」と言われたらしい。抗争っていうのは数週間前に愛美愛主の連中が不意打ちで襲って来たっていう例の一件の事だろう。ただ、ドラケン君が狙われてるっていうのはどういう事だ?愛美愛主の残党があの時の腹いせに闇討ちでも企ててやがったって事か?連絡を貰ってすぐに特服を着て外へ出ると、駐輪場でバイクの準備をする場地さんの姿を見つけた。



「場地さん!スイマセン、遅くなりました」

「おー、急に呼び出して悪かったな」

「いえ、全然。それで、ドラケン君が狙われてるって……」

「オレにもよくわからねぇ。珠綺のヤツ、簡単に用件だけ言って電話切りやがった」



 やっぱりさっき電話で教えてもらった以上の事は場地さんにも分からないらしい。そうなると、珠綺さんを待って詳しい話を聞かない限り動きようがない。とりあえず壱番隊のヤツらに一斉メールを打って、次に連絡をしたらすぐに動けるようにとだけ伝えた。場地さんはというと、いつも以上にイライラとした様子でバイクの周りをウロウロしてる。無理もねぇか。事が事なだけに、本当ならいますぐにでも行動を始めたいんだろうな。やる事も無いオレは、仕方なくしゃがみこんでボーッと雨に打たれるアスファルトの地面を眺めていた。昼はいい天気だったのに……いつの間にこんな土砂降りになったんだろう。一体どれくらい経っただろうか、暫くするとバシャバシャと水を弾くような音が聞こえてきた。



「……ハァ…よーやく来たか…」



 場地さんがゆっくりとバイクのエンジンをかける。慌ててオレもそれに続こうと立ち上がると、遠くの方からオレらに近付いてくる影に気が付いた。雨で視界が悪くハッキリとは見えないが、ラフな服装と黒い髪、それから背格好からして珠綺さんである事に間違いないだろう。これでドラケン君の事について詳しい事が聞ける……そう思った時だった。



「な゛っ……!!」



 先にバイクに跨った場地さんが絶句したような声を上げた。一体何を見たらそんな声が出るんだ……?首を傾げつつ場地さんの視線を追う。



「?………〜〜〜っ!!!」



 次いでオレも絶句した。



「悪い、遅くなった!詳しい事は走りながら話す、さっさと出してくれ!」

「バカかオメェは!!」



 キーンと耳鳴りがする。珠綺さんは眉間に皺を寄せて耳を塞いだ。



「うるせ……何でそんなキレてんだよ?何だ、詳しい事端折ったのに怒ってんのか?仕方ねーだろ、こっちは走りながらだったんだから」

「そんな話をしてんじゃねーよ!オマエ何で傘持って来なかったんだ!」

「傘ぁ?あー……持って出たけど、走ってたら邪魔になって捨てた」



 バイクから降りるなり、場地さんは凄い勢いで珠綺さんに詰め寄る。珠綺さんはというと、ビビる様子も無く迷惑そうに顔を歪めて場地さんを睨み返すだけ。普段なら場地さん相手でも引く様子の無いその姿はカッコいいの一言に尽きるのだが……スンマセン珠綺さん。今回ばかりは庇いようが無いッス。



「捨てた……じゃねぇ!オマエちょっとは女だって自覚持てよ!透けてんだろこのバカ!!」



 珠綺さんが着ていたのはよりにもよって真っ白い無地のTシャツだ。この雨でずぶ濡れになったTシャツは珠綺さんの身体にぴったりと張り付き、中に着ている下着の形がくっきりと浮き出ている。……しかも、これまた何でよりにもよって黒い下着着てんスか……。



「あ?……ああ、言われてみりゃ確かに。でもンな事どうでもいいだろ。さっさとドラケン探しに行くぞ!」

「オマエの心配してんじゃねーよ!周りの事を考えろっつってんだ!」

「周りだぁ?何で周りが関係あんだよ。私が気にしてねぇっつってんだからそれで終わりだろーが」



 終わりじゃねぇッス……。足技を得意とする珠綺さんは今でこそ見えパンを履いているが、前はパンツが丸見えになるのも気にしないでその長い足を振り回していたらしい。場地さん曰く、その時の喧嘩は地獄だったそうだ。珠綺さんが強いからとか、そういう意味でじゃねぇ。珠綺さんが蹴りを仕掛ける度にスカートが捲れて、その中身を目にした連中は敵味方問わず悉くマイキー君に脳天を蹴られて失神しちまったのだと言う。見かねたドラケン君と三ツ谷君の説得で今は見えパンを履いてくれるようになったらしいが……下着が透けた今の格好で珠綺さんがマイキー君に合流なんかしてみろ。愛美愛主の連中はともかく、下手したらオレらまでマイキー君に殺される。ギャーギャー言い合う2人を置いて、オレは一旦部屋に戻った。足にじゃれつくペケJの頭を撫でて、干しっぱなしにしてたパーカーを手に取る。



「……大体、テメェだって何度も私の下着姿見てんだろーが!」

「おま…ッ、ソレはガキの頃の話だろーが!」

「そん時と何が違うんだよ!?場地の脳みそは何も成長してねーじゃんか!」

「あ゛ぁ!?テメェ今なんつった!?」

「何度でも言ってやんよ!場地はバカだっつったんだ!!」

「ンな事言ってなかっただろーが!!」

「あのー……」

「「あ゛ぁ!?」」



 再び駐輪場に降りてみると、場地さんと珠綺さんは未だ口論を続けていた。むしろ、何かヒートアップしてねぇか?意を決して2人に話しかけると途端にギロリと鋭い2組の眼光に睨まれる。こ、怖ぇ……。



「あー……ドラケン君の事も気になるし、早く出ませんか?」

「ほら見ろ!千冬だってさっさと出ようって言ってんじゃねーか!」

「いや、でもその前に……」

「……ん?」



 オレは珠綺さんに向かってさっき取ってきたパーカーを差し出した。割と薄手のヤツだから、夏のこの時期でも腕まくりすれば着れるはずだ。



「いや、そのー……ホラ、そのままだと風邪引いちゃいそうですし、念のために着といて下さい」

「んー……でも、このパーカー汚れちまうし…」

「全然気にしないんで!汚れても破けてもいいヤツなんで!!」



 ……嘘ッス。そのパーカー、ちょっといい値したヤツッス。……今更ンな事言えねーけど。



「……なるべく汚さねーよう頑張る」



 珠綺さんは渋々といった様子でパーカーを受け取ると、濡れたTシャツの上からそれを被った。グレーのパーカーだったから被った瞬間に色が変わり始めたが、さっきのように下着が透ける事は無いだろうからこれで一安心……。チラっと場地さんの顔色を伺うと、ガリガリと頭を掻いて溜息を吐いていた。この様子ならすぐにバイクを出してくれるだろう。



「オイ、これで文句ねーだろ。場地、さっさとバイク出せよ」

「だから何でオメェはンなに偉そーなんだよ」



 ゲシッと場地さんの脹脛部分に蹴りを入れた珠綺さん。場地さんは舌打ちをして再びバイクに跨りエンジンをかけ始めた。よかった、これで他の連中にも連絡が取れる。メールを打ちながらふと顔を上げると、珠綺さんは既に場地さんの後ろに腰を降ろしていて行先について指示を出してくれた。目指すのは今日夏祭りの会場になっていた武蔵神社の近く。どうやら既にマイキー君と三ツ谷君が向かっているらしく、肆番隊と伍番隊の隊長には既に連絡済みとの事。4つの隊が総出で探すんだ、見つかるまでにそう時間はかかんねぇだろう。



「場地、急いでくれ。もしかしたらエマも一緒かもしんねーんだ」

「オマエが無駄な時間取らせたんだろうが……落ちんなよ」

「オウ!」



 珠綺さんはぐいっと腕まくりをして返事をした。普段からオーバーサイズの服を好んで着てるとはいえ、流石にオレが着てる服はデカすぎたらしい。雨に濡れて色が濃いグレーに変色した自分のパーカー……そのぶかぶかの袖から除く白くて細い腕。オレはハッとしてバイクのハンドルに頭を打ち付けた。ガンッと音が鳴り、場地さんと珠綺さんが何事かと振り返る。




「ち、千冬……?」

「大丈夫か…?」

「だ、大丈夫ッス…」



 首を傾げた2人に歯を見せて笑い、オレもバイクのエンジンをかけた。今からドラケン君助けに行こうとしてるんだぞ?関係の無い事は考えるべきじゃねぇ。……でもオレの服着てる珠綺さん、かなりクるモンがあるよなぁ。ブカブカな感じがすっげぇ可愛い。それに、珠綺さん、結構派手な下着してんだな……って、これは考えちゃダメな事だろ!場地さんのバイクを追いかけながら、オレは浮ついた考えを吹き飛ばすべく何度も強く首を左右に振った。